なしひとへのお題は『誰のものでもない・天国はここにある・星屑が降る夜』です。
自分の背後に世界は存在するのか?
人間が世界から受け取っている情報はとても限られている。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。そのどれもが手を伸ばせば届く距離より先の見えないものについて、あるいは目が届く範囲より外側の知り得ないことについて、何の感触も与えられないままに生きている。
たとえばゲームの主人公を考えてみる。
マップとマップの間をつなぐ出入り口を通り抜けた途端、出口側の世界が急速に構築され、あたかも通り抜ける以前から存在したかのように主人公を囲んでいる。それと同時に、入口側の用済みになった世界はメモリから揮発する。
主人公はたったいま作られたばかりのマップを世界だと思い込む。
同じことは私の背後の世界についても言える。
あなたが左を向けば右側の世界が粉々に砕けて、あなたが右を向けば左側の世界がスワイプして無限遠に飛んでいくのだ。
そうではないと、誰が証明できるだろう?
あるいは世界五分前仮説という考えかたがある。
この世界はお湯を注いで五分待てば食べられるノンフライ式のカップラーメンで、本商品はカロリー控えめで妊婦にも大人気であるという仮説だ。
つまり五分前の世界は乾ききった乾麺で、五分の間にお湯で戻された即席の世界だったとしても、自らの記憶を捏造されたかもしれないその世界の人間は、誰もその仮説を否定できないのである。
人間は物を見るとき、物のある側面しか認識することができない。
ある側面を見ながら同時に別の側面を見ることはできず、したがって、人間がある時点におけるある物体を、この上なく完璧に把握することなどできないのだ。
あなたの背中を見ながら、あなたの顔を見ることはできない。
私は、いま私の目の前にいるあなたの内側に宇宙基地が広がっていても驚きはしない。
カントは物自体という概念を考え出した。つまり、誰かに見られる何かには、見られたどこかしらの面とは異なる、誰にも把握され得ないその物自体の全貌である。
私は私を知らない。
私は世界を知らない。
私はあなたを知らない。
その事実を認めた途端、すべての言葉がどこまでも終わりなき後退を始める。知り得ないことについて、何の言葉を語りうるだろうか。目の届かない範囲。手の届かない距離。
つまりあなたは私の背後の世界だ。
ウィトゲンシュタイン曰く、語り得ないものについては、沈黙せねばならないのである。
……。
されど不思議なことに、私はあなたについて色々なことを語ることができる。
今朝、私と一緒に食べた朝食のこと。
あなたが笑うと口元の片側が左右非対称に少し持ち上がること。
あなたが生まれたあの夜、星空は傘のような広い雲に覆われていたこと。
私はきっと、あなたのことを何も知らない。しかし何も知らないなりに、数分前に捏造されたかもしれないあなたについての記憶を、私はいくらでも語ることができる。
つまり愛とはそういうものなのだと、私は思う。
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