お題小説

言無人夢

なしひとへのお題は『優先すべきは全部君・誰にも奪わせない・ゆっくりところしてあげようか』です。

 生まれつき目が見えなかった妹は、生まれたその瞬間から世界のすべてを手にしていた。

 彼女は醜いものを知らなかった。

 彼女は痛みや苦しみを想像しなかった。

 そして彼女は、僕という奴隷を従えていた。

 盲目を憐れんだ両親が、花よ蝶よと散々に甘やかしたツケの支払い請求書は、どうした理屈か僕のもとへと回ってきていた。

「あら、下僕。帰っていたの?」

 と、彼女は僕の足音をそう呼んだ。

 それから思いつくがままに僕が困るようなお願いを平積みに積み重ねるのだった。

 隣の家が飼っている犬のジョンのひげを引っこ抜いてきてだの、街の同級生の家に招かれた際にその家で出るおやつを意地汚く食べて叱られてだの。

 むろん、たとえ逆らったところで、直接に僕が被害をこうむることはない。

 ただ悲しみをこぼすのだった。

 彼女は泣き方の天才だった。

 それはそれは聞くものの天が今落ちるかと思わせるほどの悲痛さ。

 一度ならず反抗期を迎えた僕も、いずれその泣き声を聞くのが嫌で嫌でたまらなくなってしまって、結局は自ら望んで奴隷の身分へと舞い戻るのだった。

 さて。

 そんな風に、僕が妹の足元へとかしずいている間に、この国はいつの間にか大きな戦争に巻き込まれようとしているみたいだった。

 最初に死んだのは政府の高官だった父親だった。

 次に死んだのは高名な篤志家だった母親だった。

 僕が死ぬのは時間の問題で、妹が死ぬのは僕ら家族の問題だった。

「踊りましょう、下僕」

 と。

 ある夜、妹はそう言って僕に手を差し伸ばした。

 空襲の地響きが遠くに聞こえる真夜中のことだった。

 使用人も逃げてしまった大広間の真ん中で、妹は僕の手を引いて踊った。

 無様な踊りだった。

 もちろん目が見えていない妹に舞踏の経験なんてあるはずもなく、見様見真似などという言葉さえ彼女には縁遠い。

 想像に聞くだけのワルツを足元に描きながら。

「世界が終わるみたいね」

 そう妹は口にしたけれど、別にこの世界が終わるわけじゃない。

 妹の世界が終わるだけだ。僕たちの世界が終わるだけだ。

 それはきっと妹にだって骨身にしみてわかっている道理だった。

「終わらないよ」

 しかし僕の口元はそんな言葉を吐いた。

「踊り続けるんだ。夜が明けても、陽が暮れても。お腹が空いても、のどが渇いても。何日も何日も、きっと踊り続けていれば、踊り続けている限り僕らの世界は終わらないよ」

 と。

「……」

 妹は笑いもせず、泣きもせず。ただ何か言いたげに黙したまま、僕が手を引くのに付き合って醜いステップを刻んでいた。

 そして次の瞬間、宵闇を切り裂くサイレンの音。

 壁越しに街中を駆けめぐる怒号。悲鳴。

 ……やがて、空襲の音が近づいてきて。

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