崩れゆく箱庭、切なる願い

 帰りの道も、いつもよりやや時間をかけて下っていった。陽はまだかなり高いところにある。

 汗を拭う。いつの間にか、白かった腕もほんのり焼けているように見えた。今年はどれくらいまで気温が上がるのだろうか。残暑も厳しそうだ。

 佐曽利さんの家を通り過ぎる。……虎牙は体調を崩して休んでいるのだと話していた彼も、虎牙が消えた本当の理由をある程度は把握しているのだろう。もう聞く必要はないけれど、佐曽利さんも口の堅い人だなと思った。

 それとは対照的に、龍美の両親は何も知らされていなさそうだ。だからこそ娘を必死に探し回っているのだろう。何と言うか、彼女の性格的にきちんと納得のいく説明はしていきそうなものなので、それは意外だった。

 龍美の両親に、彼女は無事なはずだと伝えるべきかとも考えたが、僕が会ったのは虎牙だけだし、ここで下手に伝えてもかえって混乱を招くだけになりそうだ。きっと言わなかったことには理由があるだろうから、彼女が帰ってきて、自分の口で話すまで余計な口出しはしない方がいいか。

 だらだらと歩き続けて、中央広場付近まで戻ってくる。双太さんはまだ明日の準備を続けていた。仮設の式場はもうほとんど完成したようで、パイプ椅子の一つに腰かけて、スポーツドリンクをごくごく飲んでいる。


「おつかれさまです、双太さん」

「ん……ああ、おかえり玄人くん。随分長い寄り道だったね」

「ええ、まあ。でも、して良かったです」

「……そっか」


 タオルで流れる汗を拭きながら、双太さんは微笑んだ。


「僕もようやく準備が終わったよ。これで明日、式典が行える。人は集まらなさそうだけど、こういうのは形が大事だからね。意味はあると思うことにする」

「苦労してますね……本当に」

「そういう人間なのさ、仕方ない」


 ……損な性分だな、この人は。


「玄人くんのところは、式典には?」

「まあ、残念ながら来ないとは思います。騒ぎが起きるかもしれないから危ないって」

「はは……それが良さそうだね。僕も、病院でじっとしてたいくらいだ」

「ですよね……」


 明日も双太さんは大変なんだろうな。頑張れ双太さん、と心の中で応援する。


「用も全部済んだので、僕はもう家に帰りますね。双太さんも、今日はさっさと帰って英気を養ってください」

「了解。素直に従うよ。それじゃ――」


 双太さんが、言いかけたときだった。

 まるで、世界が壊れてしまったのかと錯覚してしまいそうな……轟音。

 耳を劈くような爆音が、響き渡った。

 そして、その音とほぼ同時に、大地が揺れる。

 ビリビリと、強い縦揺れが襲う。


「な……!?」

「地震……!?」


 音は山の方からした。揺れに耐え切れずしゃがみ込みながらも、僕は山に目を向ける。すると、山頂のあたりから砂埃のようなものが立ち込めているのが分かった。


「まさか――」


 僕のすぐ隣で、双太さんが息を呑むのが分かった。彼も僕と同じ方向を見つめ、口をあんぐりと開けている。


「……崩れたのか……!?」


 双太さんの言う通り、砂埃の上がる辺りの木々が、まるでスローモーションのように倒れていくのが見えた。轟音は止まず、地響きも弱くはなりつつあるものの続いている。

 露わになった山肌。そこから大量の土砂が滑り落ちていく。ここは山からかなり離れているはずなのに、その光景はとても鮮明に映った。


「満生塔が……!」


 その言葉にハッと気付かされる。そうだ、土砂が崩れていく山の中腹あたりには、電波塔がある。そこに土砂が流れ落ちたら、塔が破壊されてしまうかもしれない。

 それだけではない。電波塔の少し東側、その辺りには八木さんの観測所も建っているのだ。あの規模の土砂崩れだと、観測所も危険だ。


「あっ……」


 土砂は、電波塔をほんの僅かに東へ逸れて、下の方まで崩れ落ちていった。ゴロゴロという低音は崩落が終わったあとも、しばらくは耳に残って離れなかった。

 時間にすれば一瞬のことだった。けれども気の遠くなるような、長い時間に感じられた。全てが終わるまで、僕と双太さんは呆然とその現象に目を奪われているしかなかった。


「……止まった……」

「今のは……地震……?」

「分からないよ。音がして、揺れて……それであの、土砂崩れが」

「ええ……」


 電波塔に、被害はなさそうだった。だが、すぐ隣は抉れ落ちた土砂で酷い状態になっている。あれが直撃していたら……間違いなく電波塔はポッキリと折れて、山の下まで落ちてきただろう。


「数日前の土砂崩れみたいに、雨で緩んでいた地盤が耐えられなくなって崩れたのかもしれない。……あれが地震だったなら、引き金になったんだろうね」


 とてつもない音がしたし、抉れた箇所は数十平米規模だろうけれど、山の大きさと比べるとあれで小規模なのだろうか。……もっと大きな土砂崩れが起きたら。考えるだけで恐ろしくなった。


「観測所が心配だ……」

「ここからじゃ、どうなったのか分かりませんよね……」


 大体の位置は知っているけれど、今崩れたエリアの中に、観測所が建っていたのかどうかまではハッキリしない。


「無事なら誰かに連絡が入ると思う。八木さんはしっかり者だろうし、大丈夫だよ」

「……ですよね。絶対に、大丈夫……」


 自分に言い聞かせるように、僕は繰り返した。双太さんは、じっと僕を見つめて頷いてくれた。

 ……これも、一つの災厄なのか。鬼が引き起こした災害なのか。

 土砂崩れが電波塔近くで起きたこともあり、僕ですらそんな風に考えてしまったし、抗議活動を行っている住民たちはほとんど確信に近いものを感じていそうだ。


「……双太さん」

「何だい」


 僕の目は、ひょっとしたら潤んでいただろうか。


「明日が……何事もなく終わると、いいですね」


 不安に胸を押しつぶされそうになりながらも、僕は静かにそう投げ掛けた。

 双太さんは無言のまま、山に目を向けていた。





 その日の夜、八木さんから牛牧さんへ連絡があり、観測所は土砂に埋まってしまったものの、何とか逃げ出せたとのことだった。牛牧さんから家に電話が掛かってきてそのことを聞き、僕は胸を撫で下ろした。

 土砂崩れの一件については、原因がはっきりしていない。音の方が揺れよりも早かったという人もいるし、思い返せば僕もそうだったような気がした。だとしたらどういうことになるのか。それは、流石に分からないけれど。

 僕が危惧した通り、住民の大半は、土砂崩れを鬼の祟りだと決めつけていた。稼働の日が迫っていることに、鬼がとうとう怒り出し、電波塔を壊そうとしたのだと、お年寄りたちは実しやかに囁き合っていた。それを近くで聞いていた母さん曰く、まるで悪いものに取り憑かれているようだったという。言い得て妙だ。

 ……明日。電波塔は稼働を開始する。様々な思いが交錯する中、満生台の発展を掲げ、始動される。

 色々な凶事が、立て続けに起きてきたけれど、どうか。

 明日が無事に終わって、また平穏な日々が戻ってきますようにと。

 僕は願うしかなかった。


 その願いが、たとえどれほど儚いものだとしても。

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