Fourteenth Chapter...8/1

きっと、夏の暑さのせい

 七月も終わり、今日から八月になる。朝起きて最初にした作業といえば、部屋の壁にかけたカレンダーを一枚めくり、八月のページに切り替えることだった。

 明日には満生塔が稼働することになる。様々な思いが交錯する中、やはり稼働式典は強行されるのだろう。どうかそれが、醜い争いの場にならないことを願う。

 スマートフォンは相変わらず圏外で、リビングのテレビも砂嵐のままだった。父さんはまた退屈そうに外を眺めている。空はからりとした快晴で、もうしばらくは天気が崩れることはなさそうだった。

 チャットアプリの既読は勿論ついていない。龍美の行方は分かったのだろうか。一昨日から昨日にかけてはほとんど意識を失ってしまっていたし、自分の問題と否応なしに向き合わされていたので、確認するのを失念していた。今からでも双太さんに連絡して聞いてみたいが、まだ朝も早いし迷惑かもしれない。せめて病院の診察時間まで待つことにしようかな。

 元気が戻るようにと、少し多めに作ってくれた母さんの朝食を感謝しつつ平らげる。昨日の夕食も若干豪華だったので、全部食べ切るのは正直楽ではなかった。昼食は普通の量にしてくれるだろうか。

 九時を過ぎたころ、僕は病院に電話を掛けてみた。しかし、何故か電話は自動音声になって切れてしまった。休業日ではないはずなのだが、どうして切り替わらないのだろう。念の為にもう一度電話をかけてみたが結果は変わらなかった。

 こうなったら、龍美の家に直接連絡した方が早いだろうか。そうも考えたのだが、昨日できなかった理魚ちゃんのお見舞いがてら双太さんに会いに行けばいいかと思い直して、電話はかけないことにした。

 部屋に戻ろうとしたところで、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。両親はまだリビングでくつろいでいたので、僕が訪問者を確認しにいく。


「……?」


 ドアスコープから外の様子を伺うと、どうやら近所のお爺さんが来ているようだった。回覧板でも回ってきたのかな。特に不審には思わなかったので、僕は扉を開けた。


「どうも、おはようございます」

「おお、おはよう。今日も暑いねえ」

「ですねえ。どうしてまた、家まで?」


 訊ねると、目を細めて笑みを浮かべたまま、


「それなんだがね、電波塔の抗議デモとやらをやることになったんで、参加者を募っておるんじゃよ。ご両親はおるかい?」

「ああ……」


 とうとうこの家まで抗議の波がやってきたか。……そうと分かっていたら開けてはいなかったのだが。両親を出せと言われたものの、絶対に断るに違いないし、ここは僕が適当にあしらっておくべきか。

 しかし本当に、この暑いのに熱心なことだ。それくらい、強い意志で行動を起こそうとしているのだろう。ここ数日で、そんなにも住民たちの心は鬼の祟りに支配されてしまったわけか。

 ……もしかして、だけれど。

 彼らにも、ひょっとしたら聞こえているのだろうか。

 鬼の声が。

 死を望む鬼の嗄れ声が。


「すいません、私たちは自宅でゆっくりさせてもらいます。電波塔には賛成もしませんが、反対もしていないので。まだまだこの街では新参者ですしね」


 それは、父さんの声だった。いつのまにかリビングから出てきて、後ろについていたらしい。ありがたい助け船だ。さり気なく背中を叩かれたのは、後は任せろという意思表示だろう。僕は素直に従い、父さんの後ろへ下がった。


「残念じゃのう。まあ、無理強いも出来ん。……しかし、参加せんのなら念のためその日は家で大人しくしておきなさい。鬼に祟られんようにな」

「……忠告、痛み入ります。そうさせてもらいますよ」

「ほい。……それじゃあ、私はこのへんで失礼させてもらおう」

「暑いので、気をつけてくださいね。……では」


 あくまで紳士的な態度で、父さんはお爺さんを追い払ってくれた。大人の対応というのはこういうことを言うのだな、と感心する。見習いたいものだ。

 ゆっくりと玄関扉を閉め、父さんはふう、と息を吐いた。やれやれと言いたげな父さんに、僕はお礼を言う。


「集団心理というやつか、最近街全体が嫌な雰囲気に包まれているな。……そういうのとは、距離を置いておかないと痛い目にあいそうだ」

「そうだね……集団心理、か。そうなのかも」


 日本人は、判断を周りに合わせてしまう傾向が強いとよく言われているが、電波塔の抗議運動もそういった部分が色濃く出た結果なのかもしれない。


「それにしても……あのお爺さん、もう暑さにやられていたような気がするな。倒れなきゃいいんだが」

「僕には元気そうに見えたけど……」

「いや……最後に少しだけ、目を見たんだが……どうも充血していたようでな」

「……え?」


 目が……充血していた?


「まあ、ご老人には珍しくないことなのかもしれないし、気にしなくてもいいだろう。自分の体調管理くらい自分でできるはずだ」

「……まあ、ね」


 僕が過敏になっているだけだろうか。目が充血していたということに、薄気味悪い何かを感じてしまうのは。

 赤い目と、鬼の祟り。……まさかとは思うが、それが何らかの繋がりを持っているのだとしたら。

 それはどのような繋がりなのだろう。

 どんな仮説にせよ、荒唐無稽なものになるのは間違いないのだが。


「……」


 三鬼村に伝わる、三匹の鬼。

 水鬼、餓鬼の祟りは、起きてしまった。

 最後に待つのは、確か……邪鬼の祟り。

 あの日瓶井さんは、邪鬼のことをどう説明していたっけ……?


「……ヒトを狂わせ、壊してしまった……」


 そうだ。確かに一週間前、瓶井さんはそう口にしていた。そしてまた、人々が邪鬼になっていくのだとも。

 感染する、狂気。……それって、今の街の状況に似ていないだろうか?

 祟りを畏れるがゆえの、電波塔に対する抗議活動。そこにはやや暴力的な側面もある。住民達がその活動を肯定し、広まっていくのは、狂気が感染しているからだと言えるのではなかろうか。

 確かに荒唐無稽だな、と笑い飛ばしたくなる。しかし、ここ最近の出来事は鬼の祟りの『枠』にほとんどぴったりはまっているように思えてならない。一人は溺死し、一人は腹を裂かれて殺され、そして人々は狂気に飲まれていく。……そう表現すると、本当に三鬼の祟りそのものに映ってしまうではないか。


「……どうした? 顔色が悪いぞ。お前も暑さにやられたわけじゃないよな」

「……ううん、違うよ。ありがとう、父さん」


 暑さにやられたわけではない。けれども、酷い眩暈がした。

 祟りが起きないようにと電波塔に反対している住民たちが、既に祟りを受けてしまっているという構図。それに気づかないまま暴走が始まり、街は狂気に満ち満ちて……そして。


「……体調は気にかけてな」


 父さんがリビングへ戻っていく。僕は立ち尽くして動けない。

 馬鹿馬鹿しいことは承知の上だ。ただこの状況が鬼の伝承に当てはまるという、それだけに過ぎない。そこに何の科学的根拠もありはしないのだ。

 なのに……その符合が怖い。

 そう言えば、と思い出す。瓶井さんはあの会談の最後にこう語っていた。

 ――かつて、三匹の鬼が現れたとき。夜空に、赤い満月が昇ったと言われている。また赤い満月が昇るなら、そのときには……この満生台は、全ての鬼に祟られ、狂い果ててしまうのだろうからね

 赤い満月の昇った夜に、満生台は全ての鬼に祟られ、狂い果ててしまう。

 そう……赤い満月。

 もし、狂気に陥った者の目に、満月が赤く映ったのだと解釈すれば。

 或いは、狂気に陥った者の目が、赤い満月のように見えたのだと解釈すれば。

 ……それは、つまり。

 狂気に呑まれてしまった人間は、目が赤くなるということではないか。

 先ほどのお爺さん然り、そして……彼女もまた然り。

 考えれば考えるほどに、伝承通りのことが起きているように感じてしまう。

 非論理的なことを、信じてしまいそうになってしまう……。


「……夏の、暑さのせいだ」


 僕は、そう斬り捨てる。この暑さのせいで、下らない妄想ばかりが浮かんでくるのだと。

 だけど、下らないはずのその妄想は、考えまいとしてもずっと頭の中に居座り続けて消えてはくれなかった。

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