訪問

 昼食の後、両親に少しだけ出かけると告げて僕は家を出た。雨が止むまで外出は控えた方がいいと言われたが、どうしても外せない用事だからと返すと、それ以上止めようとはしなかった。

 心配してくれる気持ちはありがたいけれど、大事なことなのだ。後でいくらでも謝るから、許してほしい。

 気のせいかもしれないが、雨の勢いはさっきより弱くなっているように思えた。だが、いつになったら止むのかはさっぱり分からない。天気予報も外れ気味だし、この近辺の空模様は予報すらあてに出来なかった。

 瓶井さんの家は、北側の森の近くに建っている。もう少し山に近ければ、街を見渡せたかもしれない場所だ。彼女は地主なので、そうしたければ高い場所に新しい家を建てられそうだが、長年暮らしている今の家を取り壊す気にはならないのだろう。

 そう言えば、山の中腹に八木さんの観測所があるけれど、あの場所に建っているということは、瓶井さんの許可をもらっているということだ。彼女も八木さんの仕事には肯定的ということか。地震の研究は街の防災にも繋がるし、昔から地震に悩まされてきたのだから、当然と言えば当然のことだな。


「……よし」


 最近よく歩いているせいか足が疲れてきたが、やっと瓶井さんの家に着く。僕の家も街の中では大きい部類に入るけれど、この家はやはり格が違う。武家屋敷、とまで言うのは大げさかもしれないが、年老いた女性が一人で住むには広すぎる家には違いなかった。ここだけでなく、山や近隣一帯の土地すら彼女のものなのだから、凄いの一言しか出てこない。

 玄関には、インターホンのような現代的なものはない。どうすればいいか迷った挙句、僕は引き戸を遠慮がちに叩いてみた。しばらくして、中からトントンと足音が聞こえ、下駄を履く音がした後に扉が開かれた。


「よう来なさったね。お入り」


 出てきた瓶井さんに招かれて、僕は家の中に入る。十足以上は靴の置けそうな三和土だが、そのスペースが埋まることは永遠になさそうだ。傘立ても、端の方に申し訳なさそうに収まっている。

 和室に案内され、用意されていた座布団の上に腰を下ろす。するとすぐに、瓶井さんは温かいお茶をちゃぶ台の前に置いてくれた。細かな気配りのできる人だ。


「ありがとうございます」

「客人をもてなすのは当然のことさ。……さて、何でも聞きたいことは話そう。とは言っても、子供が聞いて楽しいものじゃあないし、どこまで信じられるか定かじゃない話ではあるがね」


 そう言って、瓶井さんもまた向かいにあった座布団の上に座った。


「……僕がお聞きしたいのは、一つだけ。満生台……いえ、三鬼村に伝わる、鬼の伝承についてです」

「ふん。もっと多くの人が、興味を持ってくれればいいとは思っているんだがね。君だけでも、こうして話をしに来てくれて嬉しいよ」

「興味、なんですかね。どちらかと言えば、畏怖に近いような感じもします」

「むしろその方がいい。伝承と言うのは、つまるところ訓戒のようなものだ。有名な昔話も、子供に対して、こんなことをしては罰が当たるということをお話に例えたものが多いからね。軽々しく考えない、というのはとても大切なことだ」

「なるほど……」


 何となく、今までの瓶井さんの言動も、その考えに基づくものなのだ。伝承を軽んずるな。畏怖を持たねば、必ず罰が当たる。そんな思いで、瓶井さんは電波塔計画に反対の意思表示をしていたのだろう。

 ……そして、罰が当たった。

 だから、瓶井さんはあの現場に現れたのだ。そして永射さんの死体の前で、告げたのだ。

 これが、鬼の所業なのだと。


「三鬼村に伝わる、三匹の鬼の話……それは、一体どういうものなんですか? 本当にいるのですか? 祟りは、あるのですか……?」

「ふ、焦っちゃいけない。……村の長い歴史を語るには、時間が必要だよ。一から、ゆっくり説明していこう」


 湯飲みのお茶を一口啜って、瓶井さんは、話し始めた。

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