Eighth Chapter...7/26

水死の怪

 翌朝の学校にも、虎牙の姿はなかった。

 雨も変わらず降り続き、じめじめと陰鬱な空気が街全体を包み込んでいる。

 永射さんの死はその日のうちに街中に知れ渡っていて、教室にやって来たクラスメイトは口々に、永射さんについて話し合っていた。その中にはやはり鬼の祟りだと実しやかに囁くような子もいて、そんなはずはないのだと思いつつも、どこかで鬼が嗤っているような、そんな錯覚に陥りそうにもなった。


「玄人、何で鬼封じの池なんか行ったのよ」


 龍美は案の定そのことを問い質してきたので、僕は素直に、怪しい人影を追いかけたことを説明した。


「……それ、鬼なんて言わないわよね」

「まさか。……多分だけど、あの子だったんじゃないかなって」


 そう言って、僕は教室の隅の空席をちらと見やる。


「……理魚ちゃん?」

「うん。鬼封じの池に探検しに行った日、帰り道で傘も差さずにあの子が歩いているのを見たんだ。それが引っ掛かっていたんだけど、昨日貴獅さんがあの子の病気について教えてくれてね」

「そういや、病気については私も何も知らないわ」

「知っている子なんていなかったんじゃないかな。彼女、喋るのが難しい上に、精神疾患もあるらしいから。伝えない方が良いって思ってたのかも」

「……そうなんだ。それって貴獅さん、言っても良かったのかしら」


 まあ、言わなくては僕が理魚ちゃんに対して嫌なイメージを持ったままになってしまうと思ったのだろう。貴獅さんのおかげで、僕の疑念はある程度解消されたのだし。


「しかし、危ないわねえ……親御さんも、もっとよく見ててあげないと」

「でも、難しいことだと思うよ。そういうのって」


 感情論だけでどうこう言える話ではないのだ。そういうことは。


「ところで、土砂崩れの方はどうだった?」


 理魚ちゃんの話はあまりしたくなかったので、僕は話題を変える。


「どうって言われても。元々山間の道だったからねえ、上の方から土砂がバーって。見事なくらい埋もれちゃってたわ。木もバタバタ倒れてるし。人の行き来くらいは出来るかもしれないけれど、それでも大変でしょうし、雨が止まないと駄目でしょうね。工事も、雨が止んでからだし」

「にしても、上手い具合に街の出入り口が塞がっちゃったんだよね」

「ええ。他にも崩れた場所はあるけど、そこが特に酷かったみたい。……その日の深夜、地震があったって言ってる人もいるらしいわ。崩れたときの音と揺れのせいだと思う」

「へえ……そんなにだったのか」


 他所に行く用がないので、街の境にはあまり近寄らないが、あそこの道は車三台分くらいの幅があったはず。それが完全に塞がるということは、結構大きな土砂崩れだったのは確かだ。


「玄人も、山道を歩いてたときに崩れてきたら大変なことになってたわよ。もう勝手に遠くまで行かないこと」

「あはは……それじゃ保護者みたいだよ」

「お母さんって呼んでもいいのよ?」


 いや、流石に呼べないから。

 三十分になり、チャイムの音が鳴る。いつも通り、時間丁度に教室へ入ってきた双太さんと満雀ちゃんも、虎牙がいないのをすぐに察して眉をひそめた。


「今日も……虎牙くんはいないんだね」

「どこ行っちゃったのかなあ……うゆ」


 やはり、二人にも連絡は入っていないようだ。となると、虎牙は誰にも言わず姿を消したことになる。そんなことを虎牙がするとは思えないのだが、事実彼は今も僕らに何の連絡もしてくれない。

 考えたくもないけれど、昨夜の事件のせいでどうしても頭に上ってくる不安。

 連絡がとれないような状況に、陥ってしまったという恐ろしい可能性。

 多分、それは皆が想像していること。そして、言えば本当のことになりそうで、心の中だけに留めていること。

 僅かでもその可能性があることが、怖い……。


「今日も試験は予定通り行うことにしてるから、皆頑張ってね。昨日のことは、もう知らない子もいないだろうけど、ちゃんと色んな人たちが動いてくれてるから気にしないように」


 はーい、という声は、何となく心がこもっていない感じがする。上辺だけの言葉では、誰も納得なんてできないのだ。それを双太さんも理解してはいるけれど、それ以外にかけられる言葉が彼にはないのだろう。


「それじゃ、時間になったら試験開始だ。あとちょっと復習しておいて大丈夫だから、皆良い点とるんだよ」


 双太さんはぎこちなく笑って、教室を出ていった。

 真面目に勉強をする気にもならず、僕たちは試験までの少ない時間も、集まって昨日のことを話した。とりわけ満雀ちゃんはずっと病院にいて詳細を把握していなかったので、何度も詳しく聞かせてほしいと頼まれた。

 満雀ちゃんに事件のことを話すのは、負担が大きいんじゃないかと心配にはなったけれど、僕自身、もやもやした状態の方が辛いことは痛感しているので、この際言ってしまえと分かる範囲のことは全て答えた。それは龍美も同じようだった。

 掻い摘んだ説明ではあったが、一通りのことを聞いた満雀ちゃんは重い溜息を一つ吐いて、


「永射さん……お父さんやお母さんとも、仲良かったのに。どうして死んじゃったんだろ」


 沈痛な面持ちで、そう呟いた。


「満雀ちゃん……」

「どうして死んだのか……その辺が、さっぱりよね。靴が揃えられてあったっていっても、じゃあ自殺かなんて信じられないし」


 龍美もそれは、あっさり認めるつもりはないらしい。


「……それが、ちょっと奇妙な点があったんだ」


 僕は、昨日牛牧さんに言い出せなかったことを、二人には話そうと思った。

 それは、一種の後ろめたさがあったからかもしれない。

 話しても良いと思えた人くらいには、話しておきたい。一人で隠したままでいるのは気持ち悪いから。


「……靴跡、ね」

「そう。あの場所には、殆ど雨のせいで消えてしまっていたけれど、確かにもう一つの靴跡があったんだ」

「でも、そんな……」


 満雀ちゃんは、有り得ない、という風に声を震わせ俯いてしまう。


「それって……永射さんが転落した場所に、他の誰かがいたってことになるわよね……」

「僕も、そうなんじゃないかって。……だとすると、永射さんの死は自殺でも、事故でもない可能性が出てきちゃうんだ」

「誰かが、永射さんを突き落とした――」


 信じられない。そう言いたい気持ちは十分に理解できる。僕だって、信じたくなんかない。

 だけど、靴跡の問題はどうしてもそれを示唆している。

 信じられないというのは、有り得ないということではない。

 僕らが如何に信じ難くても、それが真実だという可能性はゼロじゃないのだ。


「誰かが永射さんを突き落として、靴を揃えることで自殺に見せかけた……か」

「うゆ……あんな雨の中、わざわざそんなことする人、いるのかな」

「うーん、なんであの日だったのかっていうのは疑問だけど。もしかしたら、雨が強くなる前だったかもしれないしね」

「そっか、それもそうだね……」


 僕と龍美は、推理小説好きが災いして、あれこれと仮定の話を考えてしまう。けれど、いずれにせよ具体的なことは何一つ判然としない。現実で起きた事件に、必要な手がかりが全部転がっているなんて虫のいい話は無いに等しいのだから。


「……ま、この辺にしておこうか。もう試験も始まるしね」


 そういったところで、ぴったりチャイムが鳴った。僕ら三人は無言で頷いて、それぞれ席に戻る。

 ……考えれば考えるほど、どうせ嫌なことしか浮かんでこないのだ。

 それならば、目を背けた方がきっとましなのにと思うのだけど。

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