盈虧園

 この学校の名は、盈虧園えいきえん という。どうしてこんな難しい名前なのかは分からないけれど、気になったときに辞書で引いてみると、盈虧とは月の満ち欠けを表すらしい。転じて物事の流行り廃りとか、ついでに利益と喪失も表すのだとか。

 でも、それが分かったところで、何故この学校が盈虧園なのかは分かるはずもなかった。もっと子供に分かりやすい名前を付ければいいのに。

 二時間目が終わった後の休み時間。僕はなんとなく、その話題を持ち出してみることにした。僕らは基本的に、外で元気に遊んだりすることがないメンバーなのだ。虎牙はともかく、僕や満雀ちゃんは運動苦手だったり出来なかったりだし。龍美も自分から進んでやりたい方ではないらしい。


「盈虧園の名前の由来? そうねえ、聞いてみたことはないけど」


 龍美はそう言いつつ、


「でも……耳馴染みのない言葉ってわけでは、ないかなあ」


 流石文武両道、日常生活では使わない単語だと思うのだけど知っているのか。


「月の満ち欠けだよね。満雀ちゃんはここの暮らし長いけど、由来について知ってたりする?」

「えとえと、聞いたことはないかな。あんまり変にも思わなかったよ」

「そっかあ。まあ、病院が出来た頃から満雀ちゃんはいるし、学校も病院建設を機にこうなったんだよね。昔過ぎて、疑問に感じることもなかったか」

「他をあんまり知らないから……うゆ」


 満雀ちゃんは、ちょっとだけ申し訳なさそうに言う。不思議な語尾を添えて。彼女が困ったとき、返事に詰まったときによく使う便利な言葉が、うゆ、のようだ。……若干あざといと思うのは僕だけだろうか?


「盈虧……ねえ」

「お、どうした不良少年」

「お前な。……いや、下らねえ名前だなって」

「読めないからって」

「そういうんじゃねえよ」


 龍美と虎牙の掛け合いはどこか漫才染みていて、見ている分にはいつも楽しい。

 当の本人たちがどう思っているのかはさておき。


「子どもたちの成長は山あり谷あり、色々経験することが大事。大体は、そういう意味でついたみたいだよ」

「ああ、双太さん」


 次の授業の教科書を手に、双太さんが話に入ってきた。子供が考えるより、先生に聞くのが一番早かったな。


「満ち足りた気持ちも、欠けちゃった気持ちも大事ってこと?」

「そうそう。満雀ちゃんの言う通り」


 双太さんは、優しい口調で満雀ちゃんの言葉に同意する。


「満生台のコンセプトは、満ち足りた暮らしだけどねー」

「それでも人生には、苦い経験も必要ってこったな」

「もーこんだけ生きてりゃ十分でしょ。あとは満ちるだけでいいわ」

「あはは、同感」


 どこかおっさん臭い発言だが、僕も龍美と同じ気持ちだ。


「でも、青春っていうのは、いくら満生台でも保証しかねるからね。その辺は、君たち次第だよ」

「というのは双太さん、そういうことを言ってるんですね?」

「な、なんか言った方が恥ずかしくなるな……そういうこと。大切な時間だから、後悔のないように過ごさないとね?」

「モチです、モチ」

「どーいうこと?」

「あはは、恋バナってやつじゃない?」

「あー……うゆ」

「困っちゃうんだ」


 結局テンションが上がったのは、龍美だけのようである。

 月の満ち欠け。人生の満ち欠け。

 まあ、そんな比喩だと考えたら、悪くはない名前なのかな。

 そこでチャイムが鳴って、雑談は終了となった。

 双太さんはにこりと笑うと、教卓の方へ戻っていった。

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