海が奪って、雨粒と空き缶

小河

海が奪って、雨粒と空き缶

海が奪って、雨粒と空き缶



ささいなことだった。仕事で取り返しのつかないミスをした、それだけ。


静かな波の音が辺りに響く。他に人は誰もいない。家族で昔よく訪れていた海岸まで足を伸ばした。

GWや夏休みによく来て地元の子にも仲良くしてもらった、毎年会うのが楽しみだった子がいたりして冒険とか一日一杯のジュースを隠れて缶ごと飲んだり、色んな思い出があるんだよな〜。

流れる時間は目に見えるようにゆっくりでいやがおうにもまどろんでしまう、まるで小さい頃に戻ったようだ。

来る途中にある自動販売機でさっき思い出した飲み物を見つけた。

最近あまり見かけなくなったので、なくなってしまったのかと思っていた。

昔、ジュースと言ったらこれだったな、よく親にせがんで買ってもらっていたな。

もう出会わないかもしれないからと思い購入、バス停のベンチで待ちながら蓋をあける。

パッケージは少し違うけど、あのなんだかよくわかんないベリーの味は今も変わらない。

何も考えなくていい今、懐かしいものに囲まれ、得も言われぬ幸福感に浸る。

柔らかく甘い感情に身を委ねたらいつのまにか寝てしまった。


はたと目がさめる。先程と景色が一変し、辺りは灰の雲に覆われていた。

景色一つで気の持ちようは簡単に変わる。

昨日のうまくいかなかったこと、今日全て投げだして逃げてきたこと、明日どうなってしまうんだろうという不安。全てが胸に込み上げてくる。

雨がぽつりぽつり、段々と雨足が強くなりやがて私を責めるように夕立が降り出した。

そうすると私の目にも夕立がやってくる。人がいないことをいいことに大人げなく泣いてしまった。


「大丈夫ですか?」

雨が地面を叩く音が人の声に聞こえる。まるで気遣ってくれているような声。

「あの、すみません、大丈夫ですか?」

もう一度聞こえた、今度は確実に実体を持って隣から聞こえる。驚いて横を見るとさっきまでいなかったはずの男性の姿があった。

「お休みになられていたと思ったら突然大きな声が聞こえたので」

申し訳なさそうな様子でこちらを見ていた。

最初からいたのか…恥ずかしいのと情けないのでどんな表情をしていいかわからず、顔が真っ赤でぐちゃぐちゃになる。悟られないように目線を外しながら

「すみません、うるさかったですよね」

「いえいえ、急だったので驚いただけですよ。僕も邪魔しちゃいけないかと思って黙っていたので、驚かせてしまってすみません。」

その人は花びらのように柔らかく甘く、またどこかで聞いたことのある懐かしさを声に感じてつい聞き入ってしまう。

いやいやこちらこそと何度かやり取りをしてから、二人の間に沈黙が訪れた。



ちらっと横を見ると彼は静かに空の水滴を飲み込む海を眺めていた。

サラサラとした黒髪を前で流し、そこから覗く肌はかすみ草の花弁みたいに白い、触ったら消えてしまいそうだな。

まだ沈黙は続いている、相変わらずバスは来ない。

さっきのこともあって黙っているのも何か違う気がした。

そしてまたこの綺麗な人から聞こえてくる懐かしい声をもっと聞いてみたくなった。


何か話題はないかと探していると、ふと目に入ったのは私の手元にあるパッケージと同じ物が彼の手元にもあった。とっさに缶を指差しながら

「それ、よく飲まれるんですか?」

雨のせいで思ったよりも大きな声がでた。

「え、」彼は戸惑いながら聞き返す。

変な質問してしまっただろうか。確かに私が勝手に気を許しただけで相手からしたら、

バス停で寝ていたらいきなり泣き出した知らない人。

あれ?これただの変なやつじゃない?はぁ、何分か前に戻りたい、欲をかかなきゃよかった。

彼は少し考えるようにして、缶を見つめる。紺色のビー玉のような瞳が遠い昔を映し出していた。

「これ、昔大好きだったんですよ。いろんな思い出があって、初めて好きな人ができたときもこれのおかげで距離が縮まったりなんかして。」

「このジュースにぴったりなシチュエーションですね」

「ええ、でも大人になってこれもこれとの思い出も、好きだった頃の自分も忘れてしまって…。毎日を淡々と過ごすだけになってしまいました。さみしいですよね、追いかけてたいたものが簡単に手に入るようになると追いかけることも探すこともしなくなるなんて」

ちょっと悲しそうに、けれどおかしいようにくすっと笑いながら

「けどある約束を思い出したんですよ。相手が覚えてるかはわからないんですけど、

大人になったらまたここで会おうって、ただの口約束だからその子が来る保証なんてどこにもないんですけどね。」

「可愛い約束ですね」

「ですよね、子供らしい可愛くて無鉄砲な約束だ。これがその頃の自分の全てでした。それくらいその子のことが大好きだったんです。だから会いにきました、懐かしい思い出とその思い出の中でもいいから愛しいあの子に…。そして今もずっとここで待っているんです」

「素敵ですね。いいな、その子はあなたみたいな人にそんなに愛されて幸せ者です」

そこまで言い終わって、彼を見ると顔をみずみずしい白から熱っぽい薄桃色に染め上がっていた。私もつられて染まっていく。

「あの、そのすすすみません 変な意味ではなくて!!」

「ふふ、大丈夫ですよ」

彼も照れながら、さっきよりも親しみのある笑顔を浮かべている。


「きみはどうしてそれを?」

彼は私の手元を指差して言った。話を振られると思っていなかったのでビクッとなってしまう。

「私は…」

全てから逃げだして、懐かしい思い出に自分を浸らせたかったから。

なんて言えたものだろうか、情けないし格好が悪い。

彼の顔に目を向けると桃色の肌はすっと落ち着き、元のみずみずしい白に戻っている。

けれど頬はまだ熱っぽくて、雨が降っているのに瞳はまるで太陽にかざしたように光を帯びていた。

そんなに大したことないのに、表情にはちょっとした期待みたいなものを感じる。

期待を裏切ることになるけれど、この人にだったら言ってもいい気がした。


優しそうだからとか、可愛らしい所があるからではなくて、彼の言葉に自分に似たものを感じたからだと思う。


「私は今の生活から逃げてきました。毎日何かの終わりが迫ってきて、終わったと思ったらまた新しい何かに追われる生活に疲れてしまって」

そこから次々と言葉がでてきた、それはまるで理性や我慢によってせき止められてたものが流れでていくようだった。

彼は何も言わずコクリコクリと相槌をしながら私の言葉を受け止めてくれる。

最後まで言い終わり空っぽになった心は風通しが良くなった。

「聞いてくださってありがとうございます。いきなり暗いこと言ってしまって、嫌な気持ちになりましたよね」

「いえ、むしろよかったです。きみは何も悪くないじゃないですか、きっと上手に頑張れる人なんですね。とても素敵なことだと思います」


彼の温かい微笑みが、真っ直ぐな言葉が、空っぽになった心に新しいものを湧き上がらせた。

それはまた私の目に夕立となってこぼれ落ちていく。けれど落ちたものは決して冷たくはなかった。


「あ、あの泣くつもりでは」

慌てて涙を拭こうとすると、彼は黙ってそっと私の手を掴んで

「ここには誰もいませんよ」

と言って右手をぎゅっと握ってくれた。


握られた手はひんやりとしていて、泣いて体温の上がった私の手には心地よく感じる。

そのまま気がすむまで泣いて、いつのまにか彼の肩によりかかっていた。

彼は何も言わずに大切なものに触れるように頭を撫でてくれる。

そして小さい子を寝かしつけるように、綺麗な子守唄を囁くように言ってくれた。


「誰だって失敗しますし、悩みます。避けては通れないものです。

だからこそ逃げたいときは逃げてもいいし、甘く懐かしい場所に戻ってもいいんです。

そこからまた歩きだすのさえ決まっていれば、休むことも大切だから、また逃げたくなったらいつでもここに来てください。ここで待っていますから、僕はずっとあなたの味方ですよ」


なんでそんなこと言ってくれるの、ついさっき会ったばかりの私に。


「どうしてそんなに私に優しくしてくれるんですか?

あと昔お会いしたことがありますか?あなたを見ていると懐かしい気持ちになるんです。お名前教えてもらえたら思いだ」

言いかけたところで彼は私の唇にそっと人差し指を押し当てて

「悲しいことにそれらを教えることはできません。けれどきみを大切に想ってる。

それだけは知っていてほしい」

あまりにもさみしそうな困った顔で笑うものだからこれ以上は聞けなかった。


まだ雨は降っている。だがさっきよりも雨足は弱まり、辺りは静けさに包まれている。

ただ彼が頭を撫でてくれたときの空気と髪が擦れる音、私の心臓の音、互いに握った手を確かめる音だけが空気に溶けていく。

またやわらかな感情がさっきよりも自然に呼吸をするように体に染みてくる。

そしていつのまにかまた寝てしまっていた。



「またきみにに会えてよかった。やっと会えたのにもうお別れなんて…

本当はずっとそばで生きたい。生きてきみの苦しみも悲しみも取り除いて

笑顔に、幸せにしてあげたかった。

でももうそれは叶えられない。だからどうか幸せでいてほしい

遠いこの地で願っているよ」

彼は彼女の髪にそっと口づけをした。




ブップーブップップーーーーーー





けたたましいクラクションの音が鳴り響く。

「お客さん、起きてください ねぇお客さんってば!」

バスのドアが開いて運転席から車掌のおじさんが怒鳴っていた。


あまりにも心地よくて眠ってしまった。あれ、あの人はどこに?


「おじさん、ここに到着した時私しか人はいませんでしたか?」

「はぁ?何言ってんだ こんな時期に一人いるだけでも珍しいのに」

「そうですか…」

「つい最近も似たようなこと言う若僧がきたぞ。まぁでもありゃ残念だったな」


嫌な予感がした。取り返しのつかないことをしたのではないか。そう直感が脳に走る。


「残念なことっていったいどんな?」

「いやなぁ、この付近の海辺は意外と事故が多くてな

その日も今日みたいな天気だったんだよ。雨が降って、なのにさっき言った若僧は約束があるからと言って海に向かおうとしたんだよ。俺はやめとけってとめたんだけどよ、昔近くに住んでたから大丈夫って言って聞かなくてよ。んで数時間後には波にさらわれたみたいで戻って来なかったんだよ」

「そ、その人は何歳くらいのどんな容姿でしたか?」

「んーと、歳はあんたと同じくらいで肌が外に出てないのかってくらい真っ白でよ

そうそうその缶大事に持ってよ。なんかあるのかって聞いたら初恋の人と内緒で飲んだ思い出の味だかなんだでニヤニヤしてたな」


全て繋がった。あのときのあの言葉も、昔の記憶も。

一筋の糸に連なったものを勢いよく引っ張って手繰り寄せて、それはいっせいに弾け飛んだ。

真正面から突風に襲われた感覚そのものだった。

そうだったのね、あなたは来るかわからない私をここで待っていてくれてたのね。

なのに私ときたら弱音を吐いて甘えてるだけで、何も伝えられなかった。

せめてありがとうと言えたらよかったのに、また涙が出そうになってうつむいたら目の前に彼が持っていた缶が目に入った。

もう十分甘えた。あなたは歩きだす勇気と逃げ込める場所を作ってくれた。

じゃあもう泣くのをやめよう。


「お嬢ちゃん大丈夫かい?」

急にうつむいた私におじさんが心配そうに声をかけてくれた。

「はい、大丈夫です……バスに乗ります」

「本当かい?」

「やっぱり少し待ってもらってもいいですか?」


私は近くの道端まで出て白い花を探し、よく見かける小さい白い花を缶にさした。

かすみ草とはいかなかったけど、この花もあなたにぴったりね。


「いってきます、また必ず戻ってくるね」


それだけ言い残してバスに乗り込む、発車のベルが鳴りゆっくりと走り出す。

後ろの席の車窓からバス停に目をやると


白い花を嬉しそうに持った彼が立っていた。

雲間から陽が彼に降り注ぎ、あの白い肌はキラキラと反射している。

紺色のビー玉からは、たくさんの水光が溢れ出している。

まるで彼が絵画のように綺麗だった。今すぐバスを飛び降りて彼の元に行きたいのにそれだけはしてはいけない気がした。

彼は小さく手を振りながらこちらに何か言っている。

驚きとあまりの美しさに固まってしまう、でも何を言ってるかだけは知りたくて必死に目を凝らす。

その口の動きを読み取った瞬間、彼は消えてしまった。


その言葉に嬉しかったり、恥ずかしかったりで口元が緩んでしまう。

今度会いにいくときはかすみ草の花束を持って行こう。



「なぁ嬢ちゃん」と信号待ちのタイミングでおじさんが海を見つめながら声をかけてきた。

「どうかしましたか?」

「そのジュース味が色々あったよな?それはいったい何味なんだ?」


「これは、このジュースの名前はね」










僕の初恋の味はきみだよ





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