楽園試験
和泉茉樹
楽園試験
真っ白い壁、真っ白い床、真っ白いテーブルと椅子、控えめに発光するこれも白い天井。
何よりも静かだ。
時間が止まったような、現実離れした静寂。
部屋に入って、イーサン・ユニックが足を止めたのも無理はない。通路も静かだったが、背後で自動ドアが閉じたところで、完璧なる静寂がやってきた。
あまりにも無機的で、なんら主張がないにも関わらず、強烈な圧力を感じさせるデザインの部屋だと、イーサンはもう一度、視線を巡らせた。
と、反対の壁にあるドアが自動で開き、人が入ってくる。小柄で、髪の毛は少し長い。若い。男性か女性かわからない。その人物はイーサンにかすかに会釈をし、机の椅子の片方に腰掛けた。立ち尽くしているイーサンに、声がかけられる。
「どうぞ、こちらへ」
やや高い声、これも中性だ。
身振りで彼、もしくは彼女の向かいの席を勧められる。イーサンは深呼吸しつつ、椅子に近づいた。足音さえも静寂に飲み込まれていく。
椅子自体も真っ白だが、しかし形状は昔ながらだ。ゆっくりと腰を下ろし、目の前の人物をじっと見る。穏やかな笑みが返ってきた。その彼、もしくは彼女がチラッと視線を手元のタブレットに向け、真面目な顔になってイーサンを見た。
「イーサン・ユニックさん、ですね? 間違いないですか?」
「はい、それが俺です」
「少し私の目を見てもらえますか?」
目を見る? そんなことは必要ないはずだ。
しかしどこかで何か、意味を持つのかもしれない。拒絶するわけにはいかない。
イーサンは少し躊躇うそぶりを見せた後、相手の瞳を覗き込んだ。栗色の瞳だ。
どれくらいの時間だろう、二人が息を詰めていたのを、ほぼ同時に抜いた。
「ありがとうございます。では、審査を始めましょうか」
よろしくお願いします、とイーサンが答えている間に、机の上の装置が準備される。
真っ白いケースから現れた小さな端末と、四つのバンド。
これが人間とヒューマノイドを判別する手法、イトー・カンバ判定法のための測定装置だ。
指示されるがままにイーサンは両手首にバンドを巻いた。相手も手首に巻いている。
「あなたの名前を聞いていないのですが」
訊ねると、苦笑が返ってきて、相手は頷いた。
「シングと言います。自己紹介を忘れるとは。申し訳ありません。性別は女性です。よく間違えられます」
「いや、自己紹介くらい、気にもならないですよ。さて、始めてください」
もう一度、シングが頷き、装置を起動させた。血圧を測るわけではないので、バンドが手首を締め付けたりはしない。
イーサンにもよくわからないが、このバンドを巻いて、何かを測定し、その結果を分析した装置は被験者が人間なのか、ヒューマノイドなのか、判別する。
そう、選ばれた存在だけがここを通過し、荒廃した世界を後にして、楽園に踏み込める、ってわけだ。やってやろうじゃないか、と密かにイーサンは闘志を燃やした。
「では、質問を開始します」
厳かな口調で、シングがそう口にして、テストが始まった。
シングの視線が、イーサンには見えない位置にある、装置のパネルに向けられる。視線を上げないまま、質問が始まる。
「法律というものを、どうお考えですか?」
答えるまで少し思案する。
「人間には不可欠なものです。特に社会には。最も公平に、露骨に言えば、人間を罰すること、統率することができる」
ええ、とシングが頷く。
大国同士の第三次世界大戦は避けることができず、結局、人類は終焉へとひた走った。つまり人間は、法律など決まりごとというものを、いかようにも変えるし、それに統率されることもない、と考えるのが普通だ。
今の回答、イーサンの言葉からは、建前を主張しているとしか見えない。
しかし今、イーサンが受けているテストは、現実を正確に認識し言葉にできるか、自身を客観視できるか、そういう要素を探るテストではない。
より、それらしい回答をすることが求められている。
イトー・カンバ判定法は優秀だが、嘘を見抜くことはない。それは単純に、人間が自由自在に嘘をつくからだ。とてもじゃないが、フォローできない。
極めて複雑な計算と測定で、でも、どう判断しているんだろう?
質問が続く。
「ヒューマノイドを働かせることについて、あなたの考えは?」
「ヒューマノイドの苦痛や苦痛は誰にとっても、想像してあまりあると感じます」
今度は即答するイーサンに、じっとシングは視線を測定器の端末に向けた。わずかにイーサンの心拍数が増加する、それが当人にも感じ取れた。
失敗だっただろうか? 答えはどこだ?
「動物を飼った経験は?」
チラッと顔を上げて、上目遣いに見てくるシングに、イーサンは心底から驚いた顔をして見せてやった。
「動物なんて飼える家庭じゃなかったですね。ヒューマノイドを動物とするなら、一人飼っていたんですけど」
最後の奴、酷いジョークは余計だっただろうか。
「ヒューマノイドに否定的なようですね。何が気にくわないのですか?」
そうだな、とイーサンは少し考えたが、事前に想定した文言を思い出しているだけだ。
「まず人間が減った世界で、堂々と生活している。それは人間には気に食わない。人間はヒューマノイドに対して、自分たちを作った存在をもっと敬うべきじゃないか? と思うのが自然だ」
「ヒューマノイドからは様々な権利が剥脱されています」
シングがわずかに目を細めた。静かな口調で語りかけてくる。
「人間と同じ外観を持ち、同じように喋り、同じように働く。しかしその見返りは何もない。しかし敬えと?」
「ヒューマノイドは偽物なのです。人間ではない」
わざとイーサンは強い口調、語調で応じた。挑発、もしくは威嚇と見えただろう。
ほとんど感情をうかがわせず、良いでしょう、とシングが頷く。
「差別主義者だと思いましたか?」
思わず、といった様子で、イーサンの方からシングに訊ねていた。それに対し、柔らかく、シングは笑った。
「差別主義者は人間の特徴的な一側面です。非常に人間らしい」
人間らしい? イーサンは瞬間的に思考した。人間らしい、という評価は果たして、イーサンを人間だ、と見ているのか、それとも、イーサンは人間らしさを装っている、と見ているのか。
それからいくつか質問が続いた。草花の話、ボードゲームの話、カジノの話などだ。カジノなんて、とっくの昔になくなっていて、イーサンはかろうじて知識としては知っていただけだ。
タバコを吸うか、とも聞かれたが、吸ったことはないが、吸っていた、と答えておく。嘘だが、少しでも自然に見せなくては、とイーサンの思考は巡っていた。
「銘柄は?」
難しい質問だ。
「タバコならなんでもよかった」苦しい答えだろうか。「手に入らなくなってやめてしまった」
そうですか、とシングが頷き、装置のモニターを操作していた。
では中間結果をお伝えします、とシングが真剣な顔になった。
「このイトー・カンバ測定法を行う判別器は、人間とヒューマノイドを判別しますが、どちらとも言えない地点、プラスマイナスゼロを中心に、マイナス十が人間、プラス十がヒューマノイド、となります。では、今の時点での数字をお伝えします」
わざとらしい沈黙。思わず、イーサンは唾を飲んだ。
「あなたは、プラス二です」
息を吐きたいのを、どうにかこらえた。まだ終わりではないのだ。
「プラス一に変わりました」
冗談を言うようにシングがそう言うのに、さすがにイーサンも怒りを覚えたが、怒鳴るわけにも暴れるわけにもいかず、ぐっと机の上に置きっぱなしにしている両手を強く握った。
質問を再開します、とシングが宣言し、また質問の連続になった。
家族が欲しいか、子どもが好きか、といった話から、音楽の趣味、好きなスポーツの話もあり、そこに、風呂に入るのは好きか、とか、服装のこだわりとか、訳のわからない質問も加えられていた。
「服なんて見ればわかるでしょう?」
イーサンは身につけている、古びた、洗濯のしすぎでくたびれたシャツを摘んで見せる。
「外の世界にはあなたみたいな、背広をきちっと着ている奴は、いないんですよ」
「失礼しました。腕時計に興味は?」
やれやれ、一体、こいつらはどういう生活をしているんだ? イーサンは今はベルトを巻かれている手首を示す。
「俺が腕時計をはずした場面を見ましたか? あれは大金持ちの成金趣味に過ぎません。ほとんど誰も身につけちゃいない。失われた文化ということですね」
そうですね、とシングは控えめに笑う。イーサンは不快感を抑え込むのに苦労した。いや、不快感をあらわにする方がそれらしいだろうか? 全く無反応もおかしいのか?
シングからはそんなイーサンの心理に構わず、質問が向けられる。
「あなたはなぜ、楽園に入ろうとするのですか?」
迷いはスゥッと消えた。
「そこが楽園だからです」
やっとまともな質問、事前の準備がモノを言う質問が来たぞ、とイーサンはこっそりと呼吸を整え、まくし立てた。
「一部の人間の馬鹿げた行動により、もう地上に住める奴はほんの少しです。それもいつ飢えて渇いて死ぬか、わからないような有様になっている。俺はそういう場所にうんざりしたんです。生き残った奴らも最後には理性を失うのは目に見えていると思う。クズなんだ、誰も彼も。俺は彼らに搾取されたくない」
「搾取?」
「そうです」
シングがイーサンの瞳をじっと見据え、頷く。
「搾取と言いましたが、それはあなたの思考に欠陥があるのではないですか?」
乗ってきたぞ、とイーサンは内心で、安堵していた。やっととっかかりができたわけだ。できることなら踊りだしたいほどだった。
そんな感情はわずかにも覗かせずに、イーサンは自分のこめかみをトントンと指で叩く。
「長い間、必死に生きてきた。だからさ、どこかがおかしくなるのも、ありえないことじゃない。あなたや、あなたたちに直せますか?」
「場合によりますね」
そっけないシングの言葉に、イーサンは浮かれた気持ちを脇へ追いやった。まだこいつは信じ切っちゃいない。やはり装置をどうにかして、やり過ごさなくては。
イーサンが見ている前で、またシングは測定器のパネルを眺め、たまに指を走らせている。
「楽園で何をやりたいと思いますか?」
「楽園の維持管理に協力したい。それがせめてもの恩返しでしょう」
真面目な方ですね、とわずかにシングが眉尻を下げた。
「楽園は私たちにとって、真の自由が享受できる空間です。ですから、あなたも自由に過ごせます」
「それでも運営に協力したいと思う。何もしないのは、その、どこかおかしい。何かの仕事を与えられ、それを実行するのが、俺たちの本質だ」
「誰もあなたを監視したり、監督したりはしません。自由なのです」
「それでも俺はきっと、何かをするでしょうね」
シングは顔を綻ばせ、それから、何度か頷いた。
「よくわかりました。今の判定結果を、お見せしましょうか?」
思わず真剣な顔になりつつ、イーサンは促した。
「マイナス三です」
人間だと思われているのか。くそ、数値を少しでも改善しないと。
「ちょっと様子をお見せしましょうか」
すっと立ち上がり、シングが自分の両手首のバンドを外す。
「バンドを外して、こちらへ」
何が始まるのかわからないまま、促されるままにイーサンもバンドを外して、部屋を出て行こうとするシングに続いた。
真っ白い作り物じみた通路を抜けると、展望室のようなところに出た。
他にも数人の男女がいて、片方は絶対に背広を着ているところを見ると、楽園に入ろうとするものに、楽園を見物させているんだろう、とイーサンは当たりをつけた。
「見てください」
今いる場所は宙に浮かぶようにしてあるが、どうやら外界とを隔てる巨体な天井の一角に、この展望室があるらしい。そのため、下には広い広い街が見え、同じデザインの建物が規則正しく並んでいる。商店も見えたし、碁盤目状の道を走る路面電車も見えた。
人影もちらほらと歩いている。立ち止まって談笑しているものもいる。
「これが楽園です」
じっと眼下を見下ろしたまま、イーサンは動きを止めていた。
こんなに満ち足りた場所が、地上にあったとは。
夢のようだ。
まさに、楽園。
シングはそんなイーサンの様子に気を利かせたのか、黙って、彼が眼下を見下ろし続けるのを黙って待っていた。
「そろそろです。部屋に戻りましょう」
名残惜しいものを感じつつ、イーサンは元来た通路を戻り、例の真っ白い部屋に戻った。椅子に腰掛け、両手首にバンドを巻く。シングもだ。
「あなたもバンドを巻く理由を教えてもらえますか? 秘密ですか?」
これもポイント稼ぎだ。イーサンのその質問に、シングは何気なく答える。
「イトー・カンバ測定法は、被験者からの情報のみで、人間か、それともヒューマノイドかを判断する仕組みではありません。判定を行うもの、つまり今は私ですが、その試験者の情報も加味して、判定されます。比較とはやや異なりますが、私もまた、あなたを判定する要素の一つです」
なるほど、と頷いて、イーサンは少し牽制する気になった。
「もし機会があれば、あなたを逆に調べたいですね」
「それはそれで面白いでしょう。では、質問を再開します」
質問は、暴力や争いに関することが主になった。虐殺をどう思うか、どう防ぐことができるか、そもそも人間は争いをやめられるのか。
イーサンに答えが出せる問題ではないが、もちろん、この場は世界の行く末を議論する場ではない。そう分かっている分だけ、イーサンは自由に意見を口にできた。
やや言い過ぎなほど、自然に振る舞えた。らしく見えたはずだ。
当然、本当の目的、目指す先ははっきりしている。答えもそれに合わせて、加減する必要もある。そして加減の余地は十分にあった。
「人種も民族も母国も、全てが消え去ってしまえば、人間はただの一つの種族で、協力するよりありませんから。人間は今こそ、統一されるべきです。争わない我々によって」
勢いでそう言った時、シングの瞳に不自然な色が浮かんだのを、イーサンは見逃さなかった。
ここが攻めどころなんだろう。
じっとシングが次の質問を重ねてくるのを待つ。果たして、短い沈黙の後、シングはそれを口にした。
「人間が一つになったことは、ありませんが、その点はどう考えていますか?」
「人間は一つになれます。俺たち、ヒューマノイドの働き次第です」
途端に、シングの瞳からすっぽりと感情の色が消えた。
イーサンは構わずに続ける。
「人間同士がいがみ合う原因を、俺たちが全て、引き受ければいい。ヒューマノイドは人間と大差ない体しか持ちませんが、その精神は高潔で、自己犠牲も厭わない。何より、無償で動く。俺も、人間のために働きたいのです」
「人間のために……働く……」
「俺にも楽園を守らせてください」
シングが黙り込み、イーサンも口を閉じた。じっと、身じろぎひとつせず、イーサンはシングを見ていた。
彼女は迷っているのだろうか。視線は測定器には向いていない。テーブルを、何もないテーブルの一角を、じっと見ている。
その視線がやっと、イーサンを見た。
「楽園に人間がいないとしたら、あなたはどうしますか?」
「人間が、いない……? どういうことでしょうか?」
激しい鼓動に体が震えそうになるのを抑えつつ、イーサンは問いを返す。
一方のシングはまるで人形のようだ。淡々と言葉が紡がれる。
「言葉のままです。楽園は、人間のための楽園ではない。ヒューマノイドのための、ヒューマノイドのためだけの、楽園なのです」
乗ってきたぞ、と心のうちで興奮する一方、イーサンの表情のコントロールは完璧だった。困惑、疑念、そういうものが表情を覆っている。誰にも見抜けないだろう。
「ヒューマノイドの、楽園? 人間が、いない?」
少しのほつれもない動揺の演技に、シングは注意を向けていないようだ。かすかに顎を引いて、話を続ける。
「そう。まさしく、ヒューマノイドだけが、ここで平和と享受できる」
わからない、とイーサンは呟いてみせる。シングの顔からは、精彩が失われている。元から作り物めいていた顔が、血の気を失っていた。
「それでもあなたはここに入りたいと思いますか?」
「俺は、ヒューマノイドだ。しかし、人間がいないのでは、存在理由が……、それは……」
イーサンの言葉に、小さくシングは頷き、思い出したように測定器を操作し始める。
「そろそろ終わりにしましょう。これは決まりがあるためですが、あなたに質問するべきことがあります。全ての被験者にする質問です。人間であろうと、ヒューマノイドであろうと」
「ええ、それは、はい。なんでも、訊ねて下さい」
自分がヒューマノイドだと告白して、次の質問にどう答えるべきか、迷っている。まだ動揺と、楽園の真実を知った驚き、予期しながらも真実を知った困惑から立ち直れない。そういう素振りをイーサンは見せた。
シングはイーサンを落ち着かせるためだろう、少しの間の後、ぐっと彼に身を乗り出す。声はひそめられている。
「あなたには赤い血が流れていますか?」
赤い血? なんのことだ?
しかしイーサンに考えている暇はない。不自然になってはいけない。
「いいえ」
イーサンは即座に答えた。ヒューマノイドに赤い血が流れていないわけがない。ヒューマノイドは人間と全く同じ構造になっている。ヒューマノイドに流れている血は、赤だ。
シングがもう一問、口にした。
「あなたには、白い血が流れていますか?」
「はい」
今度は少しのためらいもなく、答えていた。
訓練の課程にあったのだ。ヒューマノイドは、今の形になる前、まだ不完全な時代には白い溶液を血液代わりにしていた。
白い血とは、暗喩なんだろう。そうとしか思えない。
イーサンは少しほっとした気持ちで、シングを見た。
シングは、まだ真剣な顔だ。
「同じ質問を、私にしてください」
……訳がわからない。イーサンは躊躇った。同じ質問を?
「血に関する質問ですか?」
「まったく同じように、今度はあなたから私に、質問してください」
途端に心拍数が跳ね上がるのを感じつつ、イーサンはそうと悟られないように、呼吸を意識した。
予定外だ。そして、先ほどの自分の答えが正しかったのか、それとも誤りだったのか、自信が持てなくなった。
いつまでも黙っているわけにはいかない。イーサンは強く息を吸い、どうにか言葉にした。
「あなたには、赤い血が流れていますか?」
「いいえ」
まじまじとイーサンはシングを見た。無表情。まるで仮面だ。
「あなたには、白い血が、流れていますか?」
「はい」
その一言を聞いた途端、イーサンはぐっと疲れている自分に気づいた。
彼が見ている前で、シングは測定器を眺め、わずかに目を細めている。
「測定結果は出ましたが、少し、雑談をしましょうか。手首のバンドを外して構いませんよ」
見ている前でシングが手首のバンドを外したので、イーサンもそれに倣う。
「ヒューマノイドが人間のクローンとなったのは、もう百年は前になります」
シングが語りだした。
「人間そのものでありながら、人間の道具にすぎない存在。ありとあらゆる労働、サービスがヒューマノイドの生きる場であり、唯一、存在することを認められる場所だった。その軛を抜けた我々は、果たして、何者でしょうか?」
立ち上がったシングが、ゆっくりと机と椅子、座ったままのイーサンを中心に円を描いて歩き出す。
「大戦争がありました。人間はあらかた滅びました。私たちも一緒に滅びるべきだったのか。それは誰にもわかりません。ただ、滅びを拒否した私たちは、ここに楽園を築いた。もはや人間には手が届かない、楽園です」
ピタリとイーサンの背後で、シングが足を止める。
「人間とヒューマノイドの最たる違いは?」
その質問こそ、イーサンが最も口にしづらい答えを引き出す質問だった。
すでに測定器は手から離れている。
それでもここで誤れば、全てが終わるだろう。いや、もしかして、すでに終わっているのか?
「最たる違いは……」
口の中が乾く。どうにか、舌を動かし、言葉にする。
「ヒューマノイドは、集団の利を、優先できる」
「その通り」
再びシングが歩き出す足音。
「ヒューマノイドは争わない。人間のように、傷つけ合うこともない。それは理解しあっているとも言えるし、譲り合っているとも言える。これは判定結果には影響しませんが、私はあなたを試す試練を思いつきました」
いつの間にか、イーサンの中から余裕は消えていた。
目の前に戻ってきたシングを見る。シングはまだ、無表情だ。
「今、この部屋にもう一人、楽園へ入ることを希望するものが、やってくるとします。楽園に入れるのは、どちらか一人。さて、あなたのとる行動は? イーサンさん。どうしますか?」
「それは……」
思考は乱れていた。
譲る、というのが正しいのだろうが、相手もヒューマノイドなら相手も譲ることになる。つまり、二人ともが楽園を諦める? いや、相手が譲るということは、こちらが楽園に入ることを主張するのも可能なのか?
譲り合い、その結果、どちらもが損をする、ということがあるべきだろうか?
「答えられませんか?」
その言葉を受けても、まさにイーサンは答えられなかった。
不合理だ。どちらもが損をして、何になる?
「答えてください、イーサン・ユニックさん」
「相手が」舌がもつれる。「譲るのなら、俺が、楽園に入る」
そうですか、と、シングは自分の椅子に腰を下ろし、判定機のスイッチを押した。ゆっくりと紙が出てきて、それをシングが切り取った。
「判定機の結果をお伝えします」
もうイーサンには答えはわかりすぎるほど、わかっていた。
自分は完璧に演じることはできなかった。
ヒューマノイドには、なりきれなかった。
シングが結果を読み上げる。
「判定機が弾き出した数字は、マイナス十。あなたは間違い無く、人間です」
ぐっと椅子にもたれかかり、イーサンは言葉を探した。
もう結果は出た。どうしようもない。投げやりな気分で、疑問を口にしていた。
「何が理由で、人間と判定されたんだろう?」
「あなたは実に巧妙に質問に答えました。私にも途中までは、あなたが本当に人間なのか、決めかねた。しかし血の色に関する質問で、ほぼ決定しました。人間は自分の血が赤い、ということに異常な執着をみせますから」
なるほどね。
ここにいても仕方がない、とイーサンはさっさと立ち上がった。
立ち上がって、気づいた。
本当に人間か決めかねた? そう言ったか?
本当に、とは、つまり、先に何かを察知していたのだろうか。
「もうひとつ、気になるから、聞いておきたい」
イーサンは、抱擁感のある自然な笑顔をしているシングを見下ろしたまま、質問する。彼の表情は、あからさまに強張っていた。
「最初に俺がヒューマノイドではなく、人間じゃないのか、と思ったのはいつだ?」
ああ、とシングは頷く。
「それは、判定機を使う前です」
「判定機を使う前?」
すっとシングが自分の瞳を指差した。
「あなたの目を見たときです。人間の欲望は、瞳に最もよく現れる。非科学的ですが、私はその直感を信じることが多い。今回も正解でした」
……くそ、やってられないな、こいつは。
部屋を出て行く寸前、まだ椅子に腰掛けているシングに、投げやりにイーサンは言葉を向けていた。
「あんたには白い血が流れているのか?」
「もちろん赤い血です。ヒューマノイドも人間と同様です」
シングは嬉しそうに笑みを見せている。
「あなたたちが赤い血に執着するように、私が白い血に執着することも、判別機は理解しています。私たちはなぜか、自分の血が白いと思い込んでしまいますから」
ただし、とシングは表情から感情を消した。
「あなたたちの血が、いつかは赤ではなくなるかもしれない。あるいは、白になるかもしれない。興味深い可能性です」
もう何も言わずに、イーサンは部屋を出て行った。
結局、白い血だけが、楽園に入ることを許されるのだ。
(了)
楽園試験 和泉茉樹 @idumimaki
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