母の想い

 消えた母親の気配が、真上の梁から感じられる。こちらの隙あらば、すぐにでも襲いかかるつもりだろう。


『どうやらこの女、成りたての下等妖怪だねぇ。特に害はなさそうだけど……斬るのかい、おまえさん?』

「ああ。化け物は、この世から根絶やしだ!」


 天井からわずかに射し込む一筋の日光ひかり。それを拒むかのように、ゆっくりと上げられた剣先が照り返した瞬間、斬喰郎の全身が紫炎しえんに包まれ、梁の高さまで一気に飛び跳ねる。


「キシャアアアアア!」


 白濁したまなこ、乱れて絡まった長い黒髪、ただれる肌にわいた蛆虫ウジムシ──蜘蛛クモのような低い姿勢で梁の上に張りつく女の腐乱死体が、獲物からの奇襲に驚き、牙を剥いて威嚇する。


「うおらぁぁぁぁッ!」


 斬喰郎は空中に舞いながら水平に構えた魑獲紗丸チェシャマルで女の脇腹を深く突き刺すと、これを軸にして全身を捻りながらの一回転。そこから力いっぱいに刀をぶっこ抜き、土間へと見事に着地する。

 耳をつんざく金切声が頭上から聞こえたかと思えば、続けて大量のドス黒い血が周囲に降りそそぎ、女の腐乱死体が転げ回るようにして囲炉裏の上に落っこちた。


「──うひゃー、やっと見つかった……よ……あれ?」


 形見の長襦袢を抱きかかえて戻った彦作が目にしたものは、囲炉裏端で散らばる鉄鍋や杓子、それと無残に折れ曲がった手足の母親が血の海の中で絶命した光景だった。


「あっ…………ああ……あ…………ああああ」


 その場で膝から崩れ落ちる彦作。

 斬喰郎はただ、無言で刀を振るい、腐った血を土間に払い落とす。


「……おまえも……同じか…………」


 声と肩が震えていた。

 長襦袢を強く握り締めて固められている手の甲に、ポタポタと涙のしずくが落ちていく。


「アイツらと、同じか! おっかぁを化け物扱いしやがって! おっかぁはな、オイラを守ってくれてんだッ! 死んでも……死んじまっても、オイラを守ってくれてんだぞぉぉぉ!」


 背を向けたまま魑獲紗丸を鞘に納めた斬喰郎は、少しばかり間を置いてから、何も言わずにその場を立ち去った。


 それでも彦作は、大声で罵り続ける。


 何も構わず、腹の底から出した大声で罵り続ける。


 やがて後には、ケラケラと狂ったように笑う女の声が響き渡って消えていった。


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