我が主を想う

くずは

我が主へ

昔から人間は、異質なものを排除する生き物である。

種族が違うと言うだけで、人は人を殺める。

それは何年経っても変わらぬ。

人間とは醜い生き物であるものよ。

我もかつては人の子であった。

か弱き者であった。

記憶は散ってしまったが、あの痛ましい瞬間だけは覚えている。

なんとおぞましいことであったか。

ただ周りのものより能力が劣っていた、それだけで。

それだけの事で我は犠牲になったのだ。

あぁ何たる悪行、我は身を焦がす程の怒りを覚えた。

我の中で憎しみの炎が燃えた。

遂に怨念となり悪魔となりて、我は蘇った。

だが我は美しい存在、殺しなどという下衆な行為はせぬ。

人間の脳に司令を出して、自ら堕ちるように仕向けただけのこと。

普通なら悪魔というものは血肉を食し、力を得るのだろう。

人間をこの体に取り込むだと?

なんと穢らわしい。

穢らわしいにも程がある。

そんなことを零すと悪魔の仲間からは嘲笑われたか。

悪魔の体も醜いものよ。

血を拒んだ我は悪魔として衰弱していった。

果てには人間に捕らわれ、忌々しい石版に封印された。

誠に、長い長い眠りであった。

何十年、何千年と時が経った。

真っ暗な闇の中で我は独りでいた。

静寂が我を包んでいた。


主よ、あぁ我が愛しの主、レアよ。

我は心から感謝する。

あの時そなたが来なければ我は…

あのまま石版と共に消えていた。


あの日は、雷雨が酷い夜であったか。

我は心底驚いた。

石版から体が抜けたのだから。

何が起きたのか分からなかった。

石版は跡形もなく崩れ落ちていた。

見ると足元には齢八にも満たない人の子があった。

足を滑らせたか、我のいた石版に倒れ込んだようだった。

その魂は雨風に打たれ、息はか細く、今にも消えそうなものであった。

頭からは紅い鮮血が流れ、地面を染めていた。


「人の子よ、我を救ってくれたのか…?」


我が止血をしようと手を伸ばそうとした時。

命の灯火はその瞬間、消えたのだ。

魂の光が体から抜け、天に昇る。

人の儚い命が消える瞬間を、我はこんなにも間近で見た。

もし清き魂であるならば美しさで息を飲んだのだろう。

だが、主の魂は酷く…醜く穢れていた。

それはまさにとてつもない恨み、妬み、憎悪の塊であった。

そう、それはかつての私と同じ。

我は気づいたのだ。

石版から抜け出せたのは、この怨念に惹かれたからだと。

あぁ力が漲っていく。

我は我を取り戻していく感覚を覚えた。

天に昇ってゆくその魂を我は包み込んだ。

まだ亡くなったばかり。

肉体は生きている。

ならば先程の恩を今返す時。

この怨念に我の力を捧げようではないか。


「人の子よ、穢らわしき魂の主よ。我が名はゼノン。我に答えよ」

『…ゼ…ノ…、?…た…すけ…て…』

「人の子よ、名をなんという。我に誠の名を記し肉体を捧げよ」

『…なま…え……レ…ア……レナード…アレク…サンドル…クォーツ…』

「レア…レアよ、我に強く願うがいい。その恨みを…憎悪を我の力に変えよ」

『…生き…たい…生きたい…たすけ…て…死にたく…ない…!』

「さぁ…我と契約せよ。我はそなたの願いを叶える者。代償としてそなたの肉体を…」

『…契約…する…お願い…助けて…!』


張り裂けるような悲痛な叫びが魂から零れ伝う。

共に我の脳裏に記憶の映像が流れる。

激しい衝撃と罵倒の声。

人間の女…母なるものか。

周りを囲む複数の人間。


これは…主の記憶。

なんとも惨たらしい…

あぁ、人間こそ悪魔よ。


憎悪、そして死に対する多大なる恐怖。

負の感情は我に答えるようにより深く、濃く増してゆく。

そうだ、そなたは強くあれ。


「レアよ、人の子よ、我はそなたを気に入った。その生命力、讃えようぞ…!契約を完了する…そして歓迎しよう…我が主よ…!」


我はその魂を抱き締め、主の肉体へと飛び込んだ。



そして月日は流れ、主と我の今日に至る。

主のお陰でこうして優雅な日々を送っているのだ。

美しい我と果実の香り。

豊満な、肉厚な、力強い…果実味が口の中に広がる。

透き通ったグラスの中に熟した紅い海が我を歓迎している。

最後の一滴が我へと降り立った時、景色が変わった。


「おいゼノ…流石に飲み過ぎだ…!」

『主よ、誠に良きワインであった…感謝するぞ』

「俺そんなにアルコール強くねぇって何度も…あぁ二日酔い不可避…」

『…主…我が主よ、気を悪くしたか。』

「知らねぇ…まぁ昔よりはマシか…俺がガキの頃も飲んだりしてたよなぁ…はは…バレたら終わりだよ俺…」

『隠せば良いのだ。主よ』

「…ったく…お前ってやつはほんっと…」

『…主…!』


寝てしまったようだ。

契約とはいえ主の体は人間のまま。

我が強くなればこの体も変化するのだろうか。

無理に強くなれば、簡単に壊れてしまうのだろう。

ワインの飲み過ぎは人間の体に悪いと聞く。

とはいえワインは悪魔としての食でもあるのだ。

主が眠り、体から力が抜ける感覚がする。

我は眠らなくとも生きてゆける。

しかし、主の為に大人しくしておくのだ。

儚く、美しい我が主の体。

あぁ、こんなにも愛おしい。

主…我が愛しのレアよ、我はそなたを守り抜く。

契約などどうでも良い。

いつまでもそなたの中に入れるのなら。

この魂に誓って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我が主を想う くずは @Usanogi_K

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る