鈴蘭には毒がある-見た目に騙されてはいけません-
叶 望
第1話 プロローグ
鈴蘭(すずらん)-谷間の姫百合-
高地に自生する多年草。
花の香りは強く鈴のようにかわいらしい花が鈴なりに咲く。
色は白以外にもピンクや赤もある。
花言葉は「純粋」「謙遜」「純潔」といった清楚なイメージが多い。
見た目が山菜に似ているため誤って食べて中毒を引き起こすこともある。
自我というものがいつ芽生えたのか、それをハッキリと覚えている人は居るだろうか。
残念ながら、私には明確に断言する事は出来ない。
だから今の私が持っている違和感も気が付くと既に共にあったという状態なのだ。
ただちょっとだけ他人とは違う知識を有しているだけのただの子供だ。
「問題は知識がかなり片寄っている事ですね。」
青みがかった銀の髪に淡い金色の瞳を持つ少女は一人部屋にしては広すぎる室内で溜め息と共に思っていた事を吐き出した。
長い髪はさらりとしてまるで絹糸のようだ。
まだ幼い年齢にしては流暢過ぎる口調で整った顔立ちは将来有望だろう事が伺える。
少女の名はリリーナ・ヴァレイと言う。
ヴァレイ子爵家の長女であり生粋の箱入り娘として育てられている。
「でも今のままじゃ駄目なのよ。」
少女の母親はかなり高位の貴族であったが、あまりに体が弱かった。
とても美しい女性ではあったのだが、あまりに病弱で滅多に外へ出ることのない幻とまで言われていた人だった。
過去の形で紹介するのは、彼女は既にこの世から姿を消しているからに他ならない。
マリーナという名の少女の母親は、リリーナを産んで程なくして命を失った。
そんな母を持つリリーナはそれこそ目に入れても痛くないという程大切に育てられた。
溜め息ひとつ付くだけでも部屋に押し込められるくらいに。
少女の父親はエリック・ヴァレイ子爵。子爵家の当主である彼は物腰の柔らかい人柄で流されやすい人だった。
前妻との間に息子がおり、父親と同じ茶色の髪と緑の瞳を持っている。
マークという名の次期ヴァレイ子爵の跡取りはリリーナと年が7つ離れている。
リリーナが生まれる前に母を失ったマーク。
結果何が起こるかというと、父親並みにリリーナを溺愛するシスコンの誕生だ。
現在15という年を向かえ、大人の階段を上り始めたマークは学院という檻に閉じ込められている。
束の間の平穏をやっとリリーナは手にいれた。
何せ四六時中べったりと張り付く兄に邪魔だからといって無下には出来ない。
マークも母を失い寂しい少年期を過ごした。
その寂しさをリリーナで紛らわしていた反面、リリーナも同じように依存していたのだから。
8歳を迎えたリリーナは去年無事にデビュータントを果たした。
柔らかいピンクのふわふわドレスに身を包みまるで妖精のような愛らしい姿。
幻姫の娘であるリリーナは当然の如く好奇の目に晒された。
だから余計に兄や父の後ろに隠れて縮こまってしまったのは無理もない。
唯でさえ箱入り娘であったリリーナは物凄く人見知りに育ってしまっていた。
国王や王妃といった王族への挨拶さえ最低限をこなすと直ぐに父の後ろに隠れた。
同い年の二人の王子でさえポカンと呆気に取られる程の極度な人見知りの少女は、デビューの後はこうした社交の場から姿を消した。
青みがかった銀の髪と金色の瞳と大人しい姿からまるで鈴蘭のような姫だ。
そう噂だけを残してリリーナは今日に至る。
自分がとんでもない人見知りのお嬢様に育ってしまった事を自覚したリリーナは今のままでいることに危機感を覚えた。
このまま籠の中の鳥になって何も出来ない娘になる前に、自分に出来る事を探した。
先ずは知識を持つこと。
残念な事にリリーナが持っている知識は今の今まで全くといって良いほど役に立たなかった。
いや、役に立てようと考える事をしなかったからだ。
与えられるものに慣れきっているリリーナは自分から何かをしようとした事が一度も無かった。
着替えひとつとっても、侍女が服を着せてくれるし支度もすべてやってくれる。
自分でしたくともそれはさせては貰えない。
そういう立場の人間なのだと幼い頃から言い聞かせられてきた。
デビューから1年経ってようやく身動きがとれると喜んだのも束の間、どこから手をつければ良いのか分からないでいた。
侍女に相談しても返ってくる言葉は知れている。
だからといって、リリーナには友人と呼べる者も周りには居なかった。
悶々と悩んだ末に出した結論が知識を深める事だった。
侍女の目を掻い潜ってリリーナは屋敷の中を探検に出かけた。
いつもは兄や侍女達がリリーナを先導して連れていってくれる。
家の中だというのに何がどこにあるのかさえ知らないと気付いたリリーナは初めての冒険に出かけた。
去年行った城とは違って大きすぎはしないが、それなりには広い屋敷の中を歩いていく。
侍女や侍従を見かけては隠れてやりすごす。
まるで悪戯を仕掛けているかのようにわくわくしながらの探検はリリーナにとって始めての感情だ。
言われるままに物静かなお嬢様を続けてきたリリーナにかつてない想いが心を躍らせる。
そして、隠れながら部屋をいろいろと見て廻ったリリーナが見つけたのは1つの書庫。
屋敷のなかでも父の執務室に近い場所にそれはあった。
ゆっくりと扉を開いて中に滑り込む。
それから音を立てないように扉をそっと閉めて、目の前に広がる本の棚を眺めた。
高くまで積みあがった本を見上げてどこから読み始めようかと思い悩む。
だが、難しいことを考えるよりも手の届く辺りの本を引っ張り出して読み始めた。
難しい言葉や分からない単語も沢山あるが、とにかく読むことをしなければと分からないなりに読もうと試みた。
当然意味を理解するのに時間がかかったのは言うまでもない。
こっそりと忍び込むことを始めて3年。
リリーナはこの部屋にあった本のほとんどを網羅していた。
勿論理解することと、ただ網羅する事では意味は違うのだが。
ほとんどにしたのは、ここに置いてある書物に紛れてどう考えても自分がみると不味そうな資料の類まで入っていたからだ。
父の仕事の内容を勝手に読むわけにはいかない。
だからそういった資料には手をつけずにいたのだ。
ここにあった本を読んで分かったのは、この国の歴史だとか、英雄伝だったり偉人録だったりと様々だ。
中でもリリーナの目を引いたのは冒険譚だった。
それを見てリリーナは冒険者という職業があることを知った。
冒険者は様々な依頼を受けてお金を稼ぐ職業だ。
薬草を集めたり、魔物を倒したりする物語は家からほとんど出ることのないリリーナにとって憧れの職業だった。
英雄となった冒険者が悪さをしていた竜退治に行く話しなどはありふれているとはいえ限られた情報しか与えられてこなかったリリーナには輝かしく映ったのだ。
他にも植物に関する書物や食べ物の本、手紙の例文なんて本もあった。
そして魔物の本も。
冒険に憧れたリリーナはこれを念入りに読んでおり、今では名前を言っただけで特徴も細かく思い出せるくらいにはなっていた。
実物は見たことがないがリリーナはそういった情報を沢山集めることで知識にあったものとの齟齬を確認していた。
リリーナの知識にもこうした魔物に関する知識があった。
だからこそ覚えるのも簡単だったと言える。
ほとんど同じような情報だったのが唯一の救いだ。
今までは何のための情報なのか全く意味をなさなかった知識がやっと自分の物になったのだ。そして、リリーナは魔法に関する書籍も当然の事ながら読み込んでいた。
魔法を実際に見たことがあるのかというと全くないというのが回答になる。
魔法を使って生活を支えているわけではない。
魔法は貴族の特権だ。
だからこそ、大衆には広まっていないし何よりも魔法が活用されるのは戦場だ。
戦いの場など身近な所にないリリーナは見る機会さえなかったのだ。
ましてや父のエリックは文官だ。
子爵であるため領地もない。
下っ端役人的な位置にあり、男爵よりも権力はあるが伯爵には及ばない。
中間管理職さながらの板ばさみを受ける地位。それが子爵だ。
武官ではないので剣も最低限しか収めておらず、魔法も得意とはしていない。
だからリリーナも普段目にする事がないのだ。
それに子爵家である自分の身の回りの世話をするものは大抵平民だ。
だから魔法なんて使うことができない。
平民は魔力が少ないために魔法を使えない。
もちろん貴族が情報を制限しているせいもあるのだが、それは武力を与えないために必要な処置なのだ。
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