第95話 退居

 文化祭明けの休日、俺と穂波さんは部屋の片づけを行っていた。


「穂波さん、これは仕舞っちゃってでいいですか?」

「えぇ、まとめて頂戴!」


 穂波さんに言われた通り、段ボールに荷物を入れて、ガムテープで縛る。

 中に何が入っているか分かるように、マジックペンで『衣服』などと大まかにジャンルを書き込んでおく。


 今日の午後、俺と穂波さんは、この家を立ち退く。


 俺は穂波さんが事前に用意してくれた、学生寮へ引っ越す。

 費用はすべて母が負担することで話が通っている。

 穂波さん一人で、そこまで俺の今後の手配をしてくれていた。


 穂波さんは、家事に関しては基本ポンコツだけれど、事前手配など事務作業に関しては用意周到に準備出来る。



 あの時までは、相談もしっかりして欲しかったと思っていたけれど、今はもう、そんなことはどうでもいい。

 だって、俺と穂波さんは、無事に生徒と教師、保護者兼同居人としてではなく、恋人として付き合うことになったのだから。


 職員室での出来事の後、教室へ戻ると、クラス全員がお通夜のように落ち込んでいた。

 俺達のクラスは、残念ながら僅差でクラス賞を獲得することが出来なかった。


 しかし、穂波さんにとって最後の文化祭。

 彼女は、今まででいちばん楽しかったと、涙を流して喜んでくれた。

 クラスのメンバーも、穂波さんがそう言ってくれたことで、ここまで全力で取り組んできたことに、意味があったのだと納得して、沈んでいた場も少し和らぎ、いい思い出へと変わった。


 結果として、穂波さんが転任するため、俺のクラス移動の件は取り消されて、今も瑠香や大和達と同じクラスに在籍している。


 ふと現実に戻り、部屋を眺めれば、辺りは段ボール一面に埋め尽くされて、足場もままならない。

 ふいに、穂波さんの家に最初に入った時のことを思い出す。


 当時は、段ボールではなく、衣服やスーパーの袋が散乱しているゴミ屋敷のようなところだったけど。


 苦々しい顔を浮かべつつ、懐かしんでいると、突然インターフォンが鳴った。


「はーい!」


 穂波さんが玄関を開けると、現れたのは引っ越し業者ではなく、意外な人物だった。


「やっほ、恭太」

「あれ、瑠香!?」


 どうして瑠香が穂波さんの家に!?

 瑠香は物珍しそうに穂波さんの部屋を眺めつつ、リビングへ足を運ぶ。


「へぇー、ここが二人の愛の巣だったのかぁー」

「愛の巣言うな」


 思わず、こめかみに手を当ててしまう。


「で、なんで来たんだよ?」

「あっ、そうそう!」


 瑠香は思い出したように、まだ手を付けていない穂波さんのベッドの前へ移動する。


「ほなてぃーこの下にあるの、貰って行っていいんだよね?」

「えぇ! もう私の分は片づけたから、好きなだけ持って行っていいわよ」


 穂波さんの許可を貰い、瑠香はベッド……ではなく、しゃがみこんで、ベッドの下にある荷物をガサゴソと漁り出す。


「お、いっぱいある!」


 瑠香がベッドの下から取り出した箱から、今まで俺が見て見ぬふりをしてきた禁断のグッズたちが現れる。


「お前、何してんの?」

「え? ほなてぃーからソフト貰いに来た」


 やっぱりか……。

 俺は、思わず頭を抱える。


 穂波さんの影響で、アダルト系ゲームの世界にどっぷり嵌ってしまった幼馴染。

 これに関しては、瑠香の今後のためにも、俺が辞めさせなくてはならない課題だな。


「あっ、そうだ恭太」

「なんだ?」

「はい」


 満足そうに物色を終えて、グッズを胸元に抱え込んでいる瑠香は、おもむろに何かを差し出してきた。


 受け取ったのは、謎のソフト。

 パッケージはなく、黒いプラスチックのカバーだけで施されている。

 俺はごくりと生唾を飲み込んでから、そのパッケージを開けた。


「……」


 入っていたのは、瑠香にそっくりな女の子が描かれたディスク。


「恭太にこれあげる!」

「いやっ、いらないんだけど……」

「いいの! これは恭太に持っておいて欲しいの!」

「わ、わかったよ……」


 むくれっ面で言ってくる瑠香に、俺は呆れ交じりに承諾する。

 すると、にやぁっと瑠香が悪戯めいた顔を浮かべたかと思えば、俺の耳元でぼそっと言い放つ。


「寂しくなったら、これを私だと思って、たくさんシちゃっていいからね?♪」

「何を!?」


 いやっ、大体の察しはつくけどさ!

 どうやら、俺の幼馴染を正常に戻すのは、前途多難を呈するようだ。


「二人とも! 引っ越し業者来ちゃったから、ちゃっちゃか片して頂戴!」


 穂波さんに急かされて、俺と瑠香は急いで荷物をまとめ、邪魔にならない所へ移動する。


 引っ越し業者がせかせかぱっぱと、あっという間に段ボールを担いで運んでいく。

 ベッドも型ごとに解体して、丁寧に運び出し終えると、辺りは物一つない殺風景な部屋となった。

 何も荷物がないと、結構広い家だったんだなぁということが実感させられる。


「さっ、二人とも私たちも行くわよ」


 穂波さんに促されて、部屋を出ようとして――

 リビングの扉の前で立ち止まり、フローリングだけが残った部屋を振り返る。


 この部屋で穂波さんと過ごした日々を思い出し、様々な出来事が走馬灯のように蘇ってくる。

 はたと肩を掴まれたので振り返ると、穂波さんが微笑み交じりに俺を見つめていた。


「恭太……今までありがとうね」

「いえっ……こちらこそ……」


 お礼を交わし合い、俺達は再びリビングへ視線を向ける。

 穂波さんも今、俺との出来事を思い出しているのだろう。

 潤んだ瞳を見れば、判断するのは造作もないことだった。


「ありがとうございました……!」

「ありがとうございました……!」


 俺と穂波さんは、ほぼ同時にお礼を言うようにして部屋に一礼した。

 ここでの沢山の思い出を、心の奥底にしまい込むようにして。

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