第65話 早とちり
俺が扉を開けたその先にいたのは……ベッドでくつろいでいるピンク色の寝間着姿の美少女だった。
「ちょっとお姉ちゃん! ノックしてから開けてって言って……る……」
彼女は怒ったような表情でこちらを見上げると、保奈美さんではない男が部屋に入ってきたことを見て、目を見開いた。
そして、身体をビクっと壁際にのけ反らせて、今にも悲鳴を上げそうな勢いだったが、まじまじと俺の顔を見て思い出したのか、その表情が驚いたものへと変化して、恐る恐る声を上げた。
「えっ? ふっ……富士見くん?」
俺に答えるようにして、軽く手を上げる。
「……久しぶり……友香ちゃん」
「……」
「……」
二人の間に生まれる気まずい沈黙。そんな様子を後ろで眺めていた保奈美さんが、面白いものを見たと言った感じで割り込んで間に入ってきた。
「どう友香? びっくりしたでしょ!」
ドッキリ大成功とでもいうように、ニタニタ笑顔を浮かべる保奈美さん。
そんな保奈美さんに、友香ちゃんはぷんすか怒ったような口調で声を張り上げる。
「もう! やっぱりお姉ちゃんの仕業だったの!?」
「だって、富士見くんに会いたいって言ってたじゃない。だから、お姉ちゃんがちょっとサプライズで連れてきてあげたの!」
「もう、お姉ちゃんはそうやって余計なことをする……!」
頬を膨らませて、少し不機嫌そうな視線を姉である保奈美さんに向ける友香ちゃん。
そんな姉妹の様子を眺めていてふと思った。
友香ちゃんは俺と会って驚いてはいたが、狼狽したり気勢を上げたり、拒絶するような感じではない。てっきり俺は、あのことが原因で闇落ちしていたり、引きこもりニートになってしまっているのではないかとさえ覚悟していたのに。
チラリと部屋の中を見渡すと、壁にはここからさほど遠くない所にある女子高の制服が掛けられていた。友香ちゃんはどうやらそこに通っていて、普通の高校生活を送っているらしい。
そんなことをしていると、二人は視線を交錯させて睨み合っていた。
完全に二人に置いてきぼりにされた俺は、困ったような表情を浮かべて間に割って入る。
「えぇっと……俺は一体どうすれば……?」
保奈美さんに連れてこられるがままにここまで来たが、結局のところ何をすればいいのかさっぱり分からない。困り果てていると、ようやく視線を俺に向けた保奈美さんが、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「そりゃもちろん。愛のこ・く・は・くだよ! 富士見くん」
「はい?」
訳が分からないと言ったような表情を俺が浮かべていると、保奈美さんの後ろでベッドに座っていた友香ちゃんが、ぽっと頬を真っ赤に染める。
「なっ! 何言ってんのお姉ちゃん!?」
そんな妹の様子を見て、保奈美さんは「まあまあ」と執り成しながら、踵を返してドアの方へと向かって行く。
「それじゃあ、後は二人で仲良くね! 私は明日朝早いし、もう寝るから!」
「は? え、ちょっと!」
「お姉ちゃん!?」
「あっ、それと、勝手に家に帰ったりしたらどうなるか分かってるよね、富士見くん?」
「なっ……」
ここにきて、それを逆手にとるとは、なんて卑怯な!
「それじゃ、お休みー」
保奈美さんは、軽く手を上げて部屋の扉を閉めて、自室へと戻って行ってしまった。
突然連れてこられた栄家で、いわば野放し状態にされてしまう俺。そんでもって今いる所は、中学の同級生かつ、中学時代俺が気になっていた女の子である栄友香の部屋の中。そして、保奈美さんに弱みを握られている状態で、家から出ることを禁止されてしまった袋の鼠状態。
どうしていいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
すると、後ろから小さな声で友香ちゃんが声を掛けてきた。
「ひ、久しぶりだね。富士見くん」
俺はピクっと身体を震わせて、心臓の鼓動が一気に早くなったのを感じた。
ガチガチになりながらも、俺は友香ちゃんの方を振り返る。
そこにいるのは、背中まで伸びる艶やかな黒髪に、くりっとした目に綺麗な鼻筋、ぷるっとした唇は艶があり、ニコっと微笑んだ時の笑顔が可愛らしい友香ちゃんの姿。よく見ると、少し中学生の時よりもあどけなさが抜けて、少し大人びた印象を受ける。
「お、おう……久しぶりだな」
必死に絞り出しても、これくらいしか声を上げられない。
これから俺は、栄友香と何を話せばいいというのだ。
何を思って保奈美さんが俺を友香ちゃんの目の前に来させたのか、何か意味があるからに違いない。
しかし、彼女のその微笑みからは、これからどのようなことが起こるのか、まるで予測が出来ない。その目の奥には、彼女の中に抱える底冷えた感情が眠っているのだろうか?
俺が緊張した面持ちで、友香ちゃん様子を観察していると、栄友香はおずおずとした様子で、ソファに置いてあったクッションを手に持ち、こちらへと伸ばしてくる。
「座ったら?」
「お、おう……」
俺は友香ちゃんからそのピンク色の丸型クッションを受け取り、ひとまずベッドの下のフローリングへクッションを置き、あぐらをかいてクッションの上に座り込む。
どうしたものかと悩んでいると、友香ちゃんがようやく本題だというように口を開いた。
「その……富士見くんは、どうしてうちに?」
「へっ……?」
あれ? 友香ちゃんが何かあるからここに連れてこられたんじゃないの?
そう思っていると、友香ちゃんが手を制して声を上げた。
「あっ……やっぱりいいや。多分、お姉ちゃんが『ついてこないと分かってるわよね』とか言って脅されてきたんでしょ」
流石は保奈美さんの妹、よく姉の性格を理解していらっしゃる。
「まあ、そんな感じだ」
俺が頷きながら答えると、友香ちゃんがため息を吐いて壁に寄りかかる。
「やっぱりかぁ……全くもう……お姉ちゃんはそうやってすぐ大げさに物事を拡大解釈して、悪い方向へ広げちゃうんだから……」
どこか呆れたような声で言う友香ちゃん。その言葉に、俺は引っ掛かりを覚えた。
「えっ? でもさっき、保奈美さんが友香ちゃんが俺に会いたがってるって言ってたって」
「それは、今何してるんだろうなぁーくらいのつもりでは言ったけど、今すぐ会いたいとは言ってないよ……?」
「へっ!?」
どういうこと? 意味が分からなかった。だって、友香ちゃんは……
俺は自分で言うのもどうかと思うのだが、友香ちゃんの意を確かめるためにも尋ねた。
「だって、友香ちゃんが俺に恨みがあって、それを俺に償わせるために、ここに連れてこさせたんじゃないの?」
俺が恐る恐る述べると、友香ちゃんは焦ったように手を横に振って否定する。
「違う違う! 私、富士見くんのこと恨んだりしたこと一度もないよ! ただ、懐かしいなぁ……もう一度会ってみたいなーって、いっただけ。そしたらお姉ちゃん、私が恨んでるんだと勘違いして……」
「へっ? それってつまり、保奈美さんの早とちりってこと?」
俺が言うと、友香ちゃんが申し訳なさそうにコクリと頷いた。
「な、なんだよそれ……」
俺は拍子抜けするように力が抜けてしまった。
命を削る覚悟でここに来たというのに、保奈美さんの勘違いだったなんて……
「だから安心して!? 私は、全然富士見くんのことも京町さんの事も、全然憎んでないから! むしろ、私にとっては、懐かしいいい思い出としか思ってないから!」
まくしたてるように友香ちゃんに言われ、俺はほっと胸を撫でおろす。
それと共に、呆れ交じりの声で友香ちゃんに思わず愚痴めいた言葉を零してしまう。
「ホント、勘弁してくれよあの人……」
「ご、ごめんね。私のお姉ちゃん、勝手にそういう方向に物事を捉えて、他の人を懺悔させようと追い詰めるところあるから……」
どうやら保奈美さんは、人の話を最後まで聞かないで、自分の中で何か都合のいい方向へと物事を解釈して、自分が面白がる方向へと物事を進めていくたちの人間らしい。なんという悪趣味! ホント、最悪な性格してるな!
ひとまずこれで、友香ちゃんが俺や瑠香に対して何か怨恨や恨みを持っていて復習しようとしているという可能性は無事払拭された。
しかし、遅かれ早かれ、俺は友香ちゃんに一度会って謝らなければならない事がある。友香ちゃんが許していたとしても、自分の心の中には、まだ中学の時のわだかまりと申し訳なさが残っているから。だからそこ、この機会にちゃんと謝らなければ先に進めない。そう思った。
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