第62話 保奈美の真の狙い
穂波さんの家に戻ると、中には氷の保奈美こと、保健教師の栄保奈美先生が、穂波さんをベッドの上に寝かしつけ、介抱し終えたところだった。
「やっほー富士見くん」
うっすら不敵な笑みを浮かべて挨拶をしてくる保奈美先生。その微笑みの裏に何を思っているのか、計り知ることは出来ない。
「……穂波さん、だいぶ泥酔したみたいですね」
「ごめんね、私がついつい勧めて飲ませちゃったから……」
「いえいえ。むしろ、ダル絡みされる前に、介抱してくれて助かりました」
「あはは……それならよかった」
お互い立ったまま、謎の沈黙が生まれる。
その沈黙を破るようにして、俺は口を開く。
「それで、どこまで俺達の事知ったんですか?」
「さぁ? どこまででしょう?」
試すようににやけ顔を見せてくる保奈美先生。
これは、瑠香の家で俺が電話に出た時の話だ。
◇
「もしもし」
『あっ、富士見くん?? やっほー』
穂波さんから掛かってきた電話から聞こえてきた声は、やけにテンションの高くて明るい声で話す、保健教師の栄保奈美先生からだった。
「栄先生?」
『ごめんね富士見くん。悪いんだけど、穂波ちゃんの家まで戻ってきてくれる?』
「いやいや……戻るって、俺穂波さんの家すら知らな……」
『あぁ、そういうのいいから。もう全部聞いちゃったから』
「えっ?」
その冷たい声に、俺はぞっと身震いした。それってつまり……
『まあ、そのあたりのことは後で話すから、とにかく早く帰ってきて。波ちゃんが富士見くんシックになってて超面倒くさいの!』
すると、電話越しから穂波さんの雄たけびのような声が聞こえてくる。
『恭太ぁぁぁぁぁ!!!! 早く帰ってきて~いくらでも身体で甘やかしてあげるからぁ~!!』
「……」
『まあ、こんな感じ』
……なんか、凄い意味深なこと言ってた気がするが、今は忘れよう。
俺は、一つため息を吐いて頷いた。
「わかりました。今から30分ほどしたら戻りますので、それまで介抱よろしくお願いします」
『任せて! それじゃあ富士見くん。私、家で待ってるわね♪』
まるで、今から俺が保奈美先生の家に向かうかのようなセリフを言って、保奈美先生は電話を切ってしまった。
そして、瑠香の家からお暇して、穂波先生の部屋に戻ってきて、今に至るという訳だが……
◇
俺は、冷や汗を掻きながらその無慈悲なまでの表情を作る氷の保奈美を睨みつける。
「そんな怖い顔で睨みつけないでよ。私だってそんなに悪魔じゃないんだから」
この人に隙を見せたら終わりだ。そう心に喝を入れながら口を開く。
「……穂波さんは、何か言ってましたか?」
「ん? そうだなぁ~富士見くんと一緒に暮らしてるのに、何も手だしてこないこととか、波ちゃんが欲求不満とか、富士見くんを襲いたいとか色々?」
「……俺が言うのもあれですが、穂波さん何言っちゃってんの?」
俺は呆れ交じりの視線をその酔いつぶれている穂波さんに向ける。
「まあまあ、それくらい富士見くんのことを好きってことじゃない?」
果たして、本当に穂波さんは俺のことを男としてそのように思っているのか、未だに俺は計りかねている。
そんな俺の心情を知らずに、保奈美先生は声のトーンを変えて、つまらなさそうな声で言う。
「にしても、なんかつまんないなぁ~。私的には、もっと修羅場みたいのを想像してたんだけど」
「修羅場ってどんなことですか?」
「そりゃ、私と仕事、どっちが大事なの的な?」
「あぁ……なるほど」
この人ならそういう人の黒い部分を見る方が、大好物そうだ。
なんなら、人の不幸を楽しそうに見ているのが一番の楽しみではないかとさえ思う。
「で、私はこうして波ちゃんと富士見くんが一緒に暮らしている禁断の関係だって知っちゃったわけだけど、どうしたらいいわけ? 教育委員会に直接連絡する? それとも、自首する?」
この悪魔のようないやらしい笑みを浮かべて尋ねてくる氷の保奈美。
「そ、それは……出来れば公に出さないで……」
「へぇ~そんなこと私にお願いしちゃうんだ。私は、富士見くんがそんな悪い子じゃないと思ってたのになぁ。先生残念だよ」
やはり、この人に波風立てずという言葉は通用しないらしい。
なら、他の手段で手を打つほかない。
こんなことを考えていると、保奈美先生は含みのある表情で言ってくる。
「そんなこと言うなら、それ相応の対価を払ってもらわないとなぁ~」
保奈美さんに満足してもらえるような対価、そんなのは一つしかない。俺は、恐る恐るそれを口にする。
「それなら……俺の事、保奈美さんの好きなようにしていいですよ」
「ふぅ~ん……そっか」
その俺の答えに、保奈美さんはあまり共感が持てないような声を出す。
射すくめるような視線を向けながら、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。
俺はただ、立ち尽くして近づいてくる保奈美さんを見つけることしか出来ない。
「富士見くんは優しいんだね。そうやって自分を犠牲にしてまで波ちゃんを守ろうとするんだ。なのに、その犠牲にしたと思ったことが、かえって他人を傷つけることになる」
そう言って、俺の頬をその冷たい手で触れてくる。
背筋がぞくっとして、今にも心臓に張りを突き刺されそうな勢いだ。
だが、俺は必死に声を出す。
「どっ……どういうことですか?」
「さぁ? どういうことでしょう?」
氷の保奈美は、そんな容易く答えを教えてくれるものではない。俺は保奈美先生の掌で転がされているような感覚に陥っていた。
すると、保奈美先生は俺の頬から手を放して、耳元でささやいた。
「
「……!?」
俺はその名前を聞いて驚愕の表情を浮かべる。
「まさか……」
「そう、そのまさか♪」
からかうような視線を向ける保奈美先生。
そう、これは、俺が中学校の頃の話。
◇
当時気になっている女の子がいた。
隣のクラスの美少女、名前は
水泳部に所属していて、そのあどけない可愛さからついた異名がリトルメイド。
マーメイドじゃなくてメイドなのは、文化祭の時にメイド喫茶をやった時に付けられた。
俺は意味もないのに、休憩の十分休み、無駄に隣のクラスの知り合いと話しに行き、友香ちゃんの姿を一目見ようとしていたものだ。
あまり話したことすらなかったけれども、ちらりと俺が見ると、時々目が合ってにこっと可愛らしい笑顔を俺に向けてくれた。
そんな時間が、俺は好きだったのだろう。
けれど、事件は起きた。
ついついそのことを瑠香にぽろっと喋ってしまった結果。瑠香が友香ちゃんに殴り込みに行ってしまったのだ。「恭太を好きにならないで!」と……
それ以降、俺と友香ちゃんは、目を合わせることをやめた。それどころか、俺は隣のクラスに行くことすら、瑠香の手によって止められ、友香ちゃんと関わることなく中学を卒業した。
◇
そうか……この人の目的は最初から違ったのだ。
最初からこの人は、俺と穂波さんの関係について、何かしら嗅ぎつけていた。だから、穂波さんがお酒を飲むと口が緩むのを利用して、秘密を握ることに成功した。
そして、保奈美先生の真の目的は、俺と穂波さんの関係性を知ることじゃない。目の前にいるこの俺だ。
妹である友香ちゃんが負った傷、その罪を償わせるために、俺の秘密を得ようとして、穂波さんを利用してまで最後まで俺を追い詰めて叩き落すためにやってきた。それが真の目的。
それこそが、氷の保奈美こと、栄保奈美の真骨頂、化けた鬼なのだ。
穂波さんを俺が好意を抱くように仕向けたのも、全部俺に問題を起こさせようとしたため。すべて、この人の術中にはまっていたということだ。
俺と瑠香、両方に制裁を加えるには、俺を叩きのめせば、瑠香に精神的シックの大ダメージを与えられる。それを見込んで標的を俺にしたのだろう。
だから、彼女は俺の手玉を取るようにして、言い放った。
「それじゃあ、お望み通り、私が富士見くんを好きな通りしていいのかな?」
生唾を飲み込むことしか出来なかった。これ以上保奈美先生に何か逆らうことは出来ない。だから俺は、ただ諦めたように首を縦に一回だけコクリを振る。
それを見た氷の保奈美は、にひっと悪い笑みを浮かべながら、こういったのだ。
「それじゃあ富士見くん。私と付き合って」
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