第7話 伯爵家の養女

 ゴブリンの王が斃された同時刻、黒き闇を纏った何かがそれに反応した。

 それはゴブリンたちを先導し氾濫を起こさせた存在。

 それにとって魔物を操るなど造作もないこと。


 単純な命を下しそのまま後は見守るだけでいい。

 一つだけ誤算だったのはかのゴブリンの王を死に至らしめた存在。


【随分と懐かしい気配を感じたけれど……まさかね。】


 それは醜悪なゴブリンの雌の姿をしている。

 ゴブリンは種族的に雌が少ない。

 数少ない雌の中、一際大きな体を持ったそれはゴブリンの女王。


 定期的に氾濫を起こすそれの目的は人を殺すこと。

 それも一人二人ではなく大勢を。

 そして負の連鎖に巻き込んでそれを眺める。


 それが長く生きてきたかの者にとっての唯一の娯楽だった。

 暗い洞窟の中でそれは次の目的のために王を選ぶ。

 そのつもりだったのだが……。


「グギッ?」


 それが見たのは高熱の光の渦。

 残党狩りを行っていた騎士たちに合流したアレクシードの放った灼熱の業火。

 洞窟は一瞬で炎の渦に呑み込まれ全てを燃やし尽くした。


【馬鹿な!なんだこの力は。】


 それは本来であれば有り得ない出来事。

 ゴブリンの女王に取り憑いていたそれは一柱の悪魔。

 元来であれば精神体の悪魔を追い払う事はあっても滅ぼす事など出来はしない。


【この、私がやられる……なんて…この力まさ、か……。】


 灼熱の光に混じる聖なる力。

 それはただの炎ではなく浄化の炎。

 悪意に染まり狂った魂をもそれは燃やし尽くしてしまう。


 魂の救済。

 それは悪魔にとって信じられない力だ。

 かつて教会に祭り上げられた聖女でさえ成し得なかったそれを今まさに自分が体験している。


 有り得ないものを見たかのように驚愕に目を見開いたままそれは燃え尽きた。

 後にはゴブリンたちの魔石が残されただけだった。


「終わったな。」


 アレクシードは完全に沈黙した洞窟を後に戻っていく。

 片付けは騎士たちに任せておけばいい。

 アレクシードの目的は達せられた。


 魔物の氾濫の鎮圧はこうして静かに幕を降ろしたのだった。


【同胞の気配が消えたのぉ。】


【何が起こったのか……。それに懐かしい気配も僅かに感じる。】


【しかしあれは封じられていたはずじゃ。封が解かれたというのか?いや、あり得ないじゃろ。】


【それはそうだ。似てはいるが、別者の可能性もあるな。】


【確かにそうじゃが、悪魔である我らの同胞が消えるなど何があったのじゃろうの。】


【分からない。だが、消えたのは事実だ。気を付けねばならぬ。】


【まさか聖女が現れたのかの?】


【それはない。教会での動きは皆無だ。】


【では、どうするのじゃ?わしは気になるが…。】


【関係ない。私は私のやりたいようにやるだけだ。】


 闇は蠢く。


 彼らの目的は一貫している。

 人に害を成すこと。

 もはや人であった頃の事など記憶にはない。

 歪んだ魂は魔に転じた時点でそれを失っている。


 ただ怒りを、復讐を、そして絶望を齎す事だけに全てを捧げているのだ。

 それが彼らの存在意義。

 誰にも止めることなどできはしない。


 肉体を持たない彼らに対抗する術を持つものはいないのだから。


――――…


 霞のかかった視界の中、遠くに泣き声が聞こえる。

 子供の泣き声だろうか。

 リルはおぼろげな空間の中にいた。


 声のする方に歩いていく。

 しかし、その場所に辿り着く事はない。

 見えない壁に遮られてリルは立ち止まる。


 壁の向こうには暗く深い闇があった。

 そこに一人の少年が蹲っている。

 黒い髪の少年だ。


 行かなければという気持ちがなぜか沸いてくる。

 しかし少年との間にある見えない壁がそれを邪魔していた。

 泣いている子供がリルに気が付いたのかふと顔を上げる。


 赤い瞳。


 それを見た瞬間にリルは引き戻された。


「あっ…。」


 リルは再び白い天井を目にした。

 なぜ自分はこんな場所にいるのか分からないまま泣き疲れて寝てしまっていたらしい。


「気が付いたかね?」


 声が傍で聞こえてその方向に視線を動かす。

 父に似た茶色の髪に青い瞳の男性。

 セイルズ伯爵だった。


「何で……?」


 殺されると思っていた。

 セイルズ伯爵の言葉は暗にリルを殺して村は壊滅したとして処理するものだと。

 それなのになぜ自分は生きているのか。


 ゆっくりと体を起こしてセイルズ伯爵に向き合った。


「リルと言ったか。」


「……はい。」


「君はこれから……。」


 伯爵が言いかけたところでバタバタと騒がしく部屋の中に入ってきた人物がいた。


「ジュリアンナ様お待ちください。」


 使用人が止めようと叫んでいるのが聞こえるが遅かったらしい。

 ドレスを持ち上げて走って来た女性はベッドの傍に駆け寄るとセイルズ伯爵の横に並んだ。

 その後を、一人の青年が追いかけてきた。


「あなた!早く紹介してくださいな。私楽しみにしておりましたのよ。」


 急かすようにセイルズ伯爵に詰め寄る女性の姿に押されてリルは瞬きを繰り返した。


「待て、まだ何も話して居らぬのだ。」


「なんですって!早くして下さいなあなた。娘ができると聞いて楽しみにしておりましたのに。」


「え?」


 何の事だろうとセイルズ伯爵に視線を向ける。


「ごほん。リル。お前を私の養子に向かえる事になった。」


「どうして?」


「お前にはその価値があるからだ。これはすでに決定していることだ。お前の意思は関係ない。」


「価値?」


「そうだ。お前は私の娘となっていずれは貴族としての義務を果たしてもらう。」


 意味が分からず首を傾げるリルにジュリアンナ様が抱きついた。


「もう、可愛いわこの子。あなた、そんな話は今しなくても宜しいでしょ?ほら、私の事を娘に紹介してくださいな。」


「大事な話なのだが……まぁ、いい。私の妻でジュリアンナという。これからお前の母となるものだ。その横に居るのが息子でフレディという。そして、私はライオス・セイルズ。知っての通り伯爵家の当主だ。これからは私の事は父と呼びなさい。」


「父?」


「そうだ。父様でも父上でもいい。」


「……父様。」


「お前はこれからシェリル・セイルズとなる。我が家の娘だ。分からないことがあれば使用人に聞きなさい。」


「……はい。」


「まぁ、シェリル。可愛い名前だわ。ねぇ、私の事は母様と呼んでくれるかしら。」


「はい、母様。」


 嬉しそうにリルに頬ずりをするジュリアンナ様をライオスは優しげな瞳で見ている。

 あの時リルに生き残りはいないと淡々と告げた瞳ではない。


「では私にも挨拶をさせてください母上。」


「いいわ。貴方も兄としてしっかりこの子を支えて上げるのよ?」


「もちろんです。はじめまして、私はフレディ・セイルズ。伯爵家の長男です。シェリルという可愛らしい妹を持てることに喜びを感じています。何かあればいつでも頼ってくださいね。」


 ふわりと微笑むフレディはジュリアンナに似た明るい茶色の髪がぴょこりと跳ねた。

 青い瞳はライオスに似たのだろう。

 リルはこうして訳が分からないまま伯爵家の養子となった。


 すでに12歳であるシェリルは貴族の一員となることで今までやった事も無い勉強やダンス、礼儀作法といったものを叩きこまれる事になる。

 それはある意味で救いだったかもしれない。

 リルは悲しむ間もないほど多忙な日々を送る事になる。


 ただ読み書き計算がある程度できたリルは一から勉強するのではなかった分助かったかもしれない。

 様々な知識を詰め込む日々の中、リルは15歳になっていた。

 ライオスに連れられてとある場所に向かった。


 それは自分の住んでいたかつての村があった場所。

 今は誰も住んでおらず建物は取り壊されている。

 村人が埋葬された場所にリルは知っている顔があって驚いた。


 かつてトーラ村を治めていた村長一家。

 彼らは騎士によって縛られて地面に押さえつけられていた。

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