第6話 魔物の王

 アレクシードの傍から飛び出したリルは近くに落ちていた剣を手にするとそのまま駆けだした。


「リル!」


 焦ったような声が後ろで聞こえたがリルは止まらない。

 まっすぐゴブリンの王を目指していく。

 剣に魔力を纏わせるとその剣で近づくゴブリンを切り裂いて行く。


 邪魔するものは容赦なく切り捨てるその姿は騎士というよりも傭兵に近い動きだ。

 まるでバターでも切るかのように魔物を切り裂く少女の姿に騎士たちが驚く。

 そしてその姿に負けたままでいられないと怯んでいた彼らの心を燃え上がらせた。


 雄叫びがあちらこちらから上がってくる。

 そして駆けだす騎士たちに最早恐れなどない。

 一心不乱に魔物を蹴散らしていく。


 その様子に呆気にとられたアレクシードだが、彼の心を占めているのはリルの姿だった。

 魔物を切り裂く少女は血に塗れながらも美しい。

 彼女が目指しているものはアレクシードにもすぐに分かる。


 そして彼女の言葉がアレクシードを動かした。

 仇をとってとリルは言った。

 それを実現するためにアレクシードは魔力を練り始める。


 これまでとは違う試みだ。

 リルの魔力はアレクシードの体に良く馴染んでいた。

 その魔力を呪文と共に練りこんでいく。


 リルはゴブリンの王の元へと辿り着いた。

 巨大な魔物の姿に物怖じする事もなく切りつける。

 だが、これまでのゴブリンたちと違って簡単には切り裂けなかった。


 それでも僅かな傷を付けたリルは鈍い音と共に吹き飛ばされる。


「かはっ!」


 木々にぶつかり体を打ちつけた。

 口の中に血の味が滲んでいる。

 動こうとしたが体に力は入らない。


 リルは村の者たちと同じように果てるのかと一瞬考えたが、それでも一矢報いてやりたくて全身に魔力を漲らせた。

 ピクリとも動かなかったはずの体が急に軽くなる。

 ふわりと魔力が全身から立ち上って自らの体を覆っていることに気付く。


 そして治癒の呪文を唱えていないのに少しずつ傷が癒えていくのを見た。

 だが、それを待ってくれる敵などこの場にはいない。

 飛び掛ってくる魔物を再び切り裂いて倒す。


 ゴブリンの王はリルを目指して向かってくる。

 自分に立ち向かってきた相手で傷を許した者を生かしておくはずがない。

 魔力を纏って再び挑むリルはそれでもゴブリンの王に僅かな傷しか付けられない。


 だが、それで止まってしまうことなど出来なかった。


「絶対に倒す。皆の仇!」


 村の皆の顔が浮かんでは消える。

 走馬灯のようにリルの脳裏に流れていく。

 時間がゆっくりと流れリルはその中で必死に剣を叩きつけた。


 剣技など習った事もないリルに出来るのは素人に毛が生えた程度の剣。

 だが、魔力を纏う事によって剣自体が強化されその性能を発揮していた。

 それでも限界は来る。


 一瞬の隙にリルの体が宙を舞った。


 殴り飛ばされたのだと気付いたときにはかなりの距離を飛んでいた。


「うっ…ぐ。」


 もはや体は魔力を纏っていても今度こそぴくりとも動かない。

 ただリルに出来るのはその情景を眺めることだけだ。

 霞んでいく視界に高熱の光のような線がゴブリンの王を貫くのを見た。


 ゆっくりと倒れていくゴブリンの王を見てリルは意識を失った。


――――…


 指揮官を失ったゴブリンたちは我先にと逃げ出して行った。

 残党狩りを騎士たちに命じるとアレクシードは急いでリルの元へと走った。

 駆けつけた先で血の気を失ったリルの姿を見たアレクシードはその場で固まってしまう。


 今まで人の事を気にかけた事がないアレクシードはリルを助けなければという気持ちが沸いてきたもののどうすれば良いのか分からずに立ち尽くしてしまった。


「リル?」


 はじめて見た時は平凡なそこらにいる娘と変わらない存在だった。

 だが、彼女は自らの命とも言える魔力を差し出しアレクシードの心を掴んだ相手だ。

 その彼女が死にかけている。


 アレクシードの心にはじめて恐れが生まれた。

 失うことが怖いと感じたのはこれが始めてだっただろう。


「……リル?」


 力なく呟き、揺れる彼の瞳を見れば誰もが驚いただろう。

 悪魔と呼ばれた彼がこんなにも感情を露にしているなど今までにないことだ。


「ぁ、り……る……?」


 おそるおそるリルに近づいたアレクシードは微かに上下する体を見て生きている事に安堵した。

 そしてその体を抱き上げようとした時、肩に置かれた手に気付いてその相手を見上げる。


「セイルズ伯爵……。」


「この娘の事はおまかせください。」


「だが……。」


「大丈夫です。まだ生きております。すぐに手当てをしなければ。」


「分かった。」


 アレクシードの揺れる瞳を見てライオスは僅かに驚いたがその変化を好ましく思った。

 アレクシードの傍にいて今まで彼が人を気にかけるところなど見た事がない。

 ましてや彼にあのような目をさせる者など。


 ライオスはその変化をもたらした少女を見て決断する。

 元はといえば始末する予定だった少女だ。

 この状況で生き残りが居ればなぜ村の者が誰一人として魔物の氾濫を知らなかったのかと気づかれる。


 それは確認を怠ったものにも責任が及ぶ。

 もみ消すこともできるが、完全に消すことなどできはしない。

 いっそ少女一人を消してしまった方が楽だ。


 だが、少女はその価値をライオスに示した。

 今回の一件はアレクシードとその弟ライディンに同時期に起こった魔物の氾濫をどう収めるのかを試した。

 通常なら魔物の氾濫の情報を各所に通達して避難を呼びかけることもできた。


 そういった事の指示をきちんと出せるのかという所も見るため二人に任せた結果がこれだ。

 アレクシードは元々他を気にかけるような人物ではない。

 それ故、平民がいくら死のうが特に気にかけないだろう。

 彼は魔物の氾濫を聞いた時点で騎士を招集し魔物の氾濫が起こることも伝達したが、その後の避難状況を確認することを怠った。


 それによって村や町が魔物に襲われることなど気にも止めない。

 通達したのだから後はそれぞれの責任者に任せる。

 後はただ魔物を殲滅してしまえばそれでいいと考えたのだ。


 まさか責任者が逃げ出すなど考えてもいなかったのだ。

 この村に着いたときライオスは呆気にとられた。

 村長一家が逃げ何も知らない村人たちはそのまま魔物たちに襲われてまさか全滅するなど。


 ここまでの状況になったならどうしようもない。


 もはや生き残りは誰一人も居なかった。

 そう処理することにしたのだ。

 そしてライディンはというと、すべてを部下に任せて自分は今も公爵家の屋敷にいるだけ。


 ある意味で貴族らしいと言えばそうなのだが、それではライディンの戦果にはならない。

 アレクシードは前線に出ただけでも十分にその役目を果たしたと言える。

 どちらも方法は間違ってはいない。


 だがとライオスは思う。


 もっと早くこの娘とアレクシードが出会っていれば、村も全滅するなんて状況にならなかったかもしれない。

 それ程の変化を少女はもたらした。

 しかし、それは言っても現実は変わらない。


 アレクシードがこのまま変わって行けば問題となっていた部分は解消される。

 後は公爵が決める事であってライオスの関わるところではない。

 少女を救うべく指示を出したライオスは運び出されていくリルを呆然と見送るアレクシードの姿を見てその成長を今はただ喜んだ。


――――…


 やわらかな感触が体を包んで優しくリルを癒していく。

 リルはあれから何日も眠り続けていた。

 無理に動かした体を強制的に休ませるためだったのだろう。


 体の治療が終わってもその目が開くことはなく、懇々と眠り続けていた。

 その眠りがゆっくりと解かれて行く。

 リルが目を覚ました場所は今まで見た事がないくらいきれいな所だった。


 ふかふかのベッドに横たわったリルの目に白い天井が映った。


「ここ…。」


 呆然とリルは呟いた。

 その声を聞いた部屋の人物は慌てて外に飛び出す。


「お嬢様が目を覚まされました!」


 一体何を言っているのか。

 リルは状況を呑み込めずに目を瞬く。

 体を起こそうとしたのだが、思うように動かせなかった。


 まるで何日も寝ていたようなと考えたところで気を失う前の事を思い出す。


「……あっ、わたしは…。」


 なぜ生きているのだろう。

 あの状況で自分が生き残った理由が分からない。

 リルはその先の言葉を呑み込むと沸きあがってきた気持ちを制御できずにただ涙を流した。


「かぁさん…とうさん…。」


 ぽろぽろと止め処なく涙が流れていく。


「ぅあぁあああああ。」


 悲しみは声に伝わり、部屋の中に広がった。

 それは暫く止むことなく疲れ果てて眠るまで続いた。


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