第5話 教育熱心な母
拾われてから8年の歳月が経った。
リュシュランは8歳になっていた。
手入れの行き届いた長い黒い髪に珍しい金の瞳、そして顔立ちも整っているため男なのに女と間違われて街では何度か襲われかけたことがある。
リュシュランを拾ってくれた女性は名をミュリエルといった。
ミュリエルはリュシュランに名を付けた。
シュラと言う名だ。
どうやら黒い髪を持っていることからある地方に昔居たと言われている黒き狼を表すシュランガルムから取った名らしい。
かなり強力な魔獣で騎士団さえも追い負かしたという伝説の魔獣。
呪いで暴れたウルフの亜種という事になっているが真相は明らかになっていない。
魔獣が闇落ちと呼ばれる現象を受けると体表や毛色が黒く変貌する。
呪を受けたと考えられているのだ。
そんな大層な名前を付けられたのだが、元の名前から取ったような名なので違和感はない。
――――…
母はこれまで色んな事を教えてくれた。
幼い頃から言葉や文字、計算や芸、笛や琴など様々なことを叩き込まれた。
どうやら母はかなり多彩なようだった。
なぜ一介の娼婦がそれだけの知識を持っているのかと思ったこともあるのだが、仕事をしていれば必要だったのであろう事も理解できる為、そういった事を母に聞いたこともない。
そして母は薬草についても詳しく教えてくれていた。
薬草は薬になる。
病気は薬でしか治せないのだからしっかりと覚えなさいと言いつけられている。
まるで僕を誰かと重ねているようだった。
シュラの毎日はかなりハードだ。
早朝は水汲みから始まり、体力づくりにと朝から街の外の森へと走り込み。
そしてそこで薬草の採取を行う。
それが終わったら前日に仕掛けた罠を確認しに行く。
川に魚が掛かっていないか、動物が掛かっていないかを見に行くのだ。
そして獲物があれば持って帰り朝食の支度に取り掛かる。
森で卵を見つければその日はご馳走だ。
木の実や食べられるものを探して拾って家に戻る。
当然母のチェックが入るわけで問題があれば何が違うのかみっちりと教え込まれる。
これは命に関わることだから大切だ。
朝ごはんが終わると勉強の時間になる。
文字や計算は当然のことだが行儀作法も仕込まれる。時にはダンスさえ指導してくれる。
母は本当に何でもできる。
母が仕事をするときは外で体作りや薬草を見つけては採取する。
そしてそれを冒険者ギルドに売りにいくこともある。
ギルド員でなくても買い取りはしてくれる。
この国では12歳からしか登録ができない。
だからシュラは登録ができないのだ。
薬屋に直接売りに行くこともできるがシュラの髪色では恐らく買い叩かれるだけだろう。
ギルド員でさえ髪の色を見ると顔を顰めていると言うのに他ではもっと酷いに決まっている。もしかすると店に入ることさえ出来ないかもしれない。
――――…
家に帰ると母が迎えてくれる。
温かい笑顔に迎えられると黒い髪のせいで蔑みの視線を受けていたことも一気に吹き飛んでしまう。
青い瞳は温かく僕を見つめて抱きしめてくれた。
「シュラおかえりなさい。」
「ただいま帰りました。ミュリエル母様。」
外で汚れた体をお湯で拭いて清めていく。
一人でできると言うのに母様は背中を拭くのだけはさせてくれない。
優しく丁寧に拭いてくれる母様の手はいつも同じところで止まる。
首の付け根から少し離れた場所を念入りに拭くといつも決まって僕を抱きしめる。
だけどいつもと違ってなかなか離れようとしない母様に不安な思いが浮き上がる。
「シュラ、後で大事な話があります。服を着替えたらすぐに来るのですよ。」
「はい。母様。」
シュラは不安な思いを抱えたまま服をいそいそと着替え始める。
母様はすでにテーブルに座って待っていた。
しばらく二人で座ったまま沈黙が降りた。
だが意を決したようにミュリエルが言葉を紡ぐ。
「シュラ…貴方は私の本当の子供ではありません。」
「はい。存じております母様。」
あっさりと受け入れたシュラにミュリエルは驚いた。
しかも知っていると言うシュラの言葉が妙に気になった。
「いつから、知っていたの?」
「母様が僕を拾った時からです。あの日は雨が降っていました。」
「…赤ん坊だったわ。」
「僕は、生まれたときから記憶があります。ただ、目が見えるようになったのは母様に拾われた時なのでそれまでは声しか分かりませんが。」
突然の告白にミュリエルは戸惑ったようなしかし納得したような表情だ。
「随分と賢い子だと思っていたけど、そう…知っていたのね。」
「はい。母様が僕を誰かと重ねているだろう事も存じております。でも、僕を拾ってくれたのは母様で、ここまで育ててくださったのも母様です。……でも僕は母様の子で居ても良いのでしょうか。だって、黒髪で生まれたときから記憶があるなんて気持ち悪いですよね。」
少し間をおいてシュラは尋ねる。
聞きたいような聞きたくないような不安な気持ちのまま疑問を口にする。
だって僕が居ない方が母様はもっと贅沢に暮らせたはずだから。
そんな思いが沸き上がって涙が目に溜まる。
その言葉を聞いたミュリエルはそっと椅子を離れてシュラを抱きしめる。
「良いに決まっているじゃない。血の繋がりがなくても貴方は私の子です。それに記憶があろうと無かろうと私が貴方を嫌いになるわけがないわ。」
「…母様。」
俯いたシュラは暫くミュリエルに抱きしめられたままだった。
そして、顔を上げてミュリエルを見上げる。
「母様、僕を誰と重ねていたのか聞いても良いですか?」
「いいわ。私には一人子供が居たの。貴方と同じ瞳を持った子供よ。」
ぽつりぽつりと話しはじめた母様。
生まれて少しして亡くなった子供の話だった。
高熱が出て薬も効かないまま亡くなってしまった子。
金の瞳と白銀の髪を持った男の子の話。
「なら、僕は弟になるんですね。」
ふいに思った言葉を口にしたシュラにミュリエルは微笑む。
「そうね、貴方が弟になるわ。お兄さんの名前はユーリスと言うの。」
「ユーリス兄様。僕のお兄様…。」
何度も繰り返して口にするシュラが微笑ましくてミュリエルはほっと息をついた。
息子と重ねて見ていたのでシュラには引け目を感じていたのだ。
だが、今のシュラを見るとちゃんと分けて見ることができていた事に気付いた。
息子の弟としてだけでなく、自分の息子としてきちんとシュラと向き合ったのは恐らくこの日が初めてだっただろう。
ふとシュラが自分を見上げていることに気付く。
「どうしたの?」
「あの、お父様はどんな方だったのですか?」
「ユーリスに似て美しい方だったわ。私は選ばれなかったけど愛していたの。」
「選ばれなかったって…お父様は生きていらっしゃるのですか?」
「婚約していたのだけれど振られちゃったの。でも私は後悔していないわ。だって、貴方と会えたのもこうしているお陰でしょう。」
悪戯っぽく笑う母様は本当にもう何とも思っていないようで、その様子を見るとなんだかほっとする。
でもこんな素敵な母様を捨てるなんて!
なんて見る目のない男なんだ。
そう思うと何か言わずにはいられなかった。
「僕は母様が大好きですから…。」
「私もシュラが大好きよ。だから貴方は強く生きて。ユーリスの分まで。」
「はい、母様。僕がユーリス兄様の分まで精一杯生きます。」
抱きしめる腕が温かい。
シュラとミュリエルはこの日、本当の意味での家族になった。
その日から何だか今まで以上に距離が近くなったシュラとミュリエルは変わらない日々を過ごしていく。
だが幸せな日はそう長く続くことはなかった。
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