第8話 日没の誓い

 レファンヌが投じた液体を身体に受けた死霊は、その部分から蒸気が吹き出し身体が溶けて行く。


 通常は切られても焼かれても、動きを止めない死霊達が逃げ惑っている。レファンヌはゆっくりと前進し、容赦なく液体を周囲に振り撒く。


「お、女ぁっ!!何だその液体は!?し、死霊達が蒸発していく!?」


 住民達に騒音権があったら、間違いなく全員から訴えられる迷惑な大声を張り上げながらシャウトは驚愕していた。


「あんた馬鹿?見れば分かるでしょう。聖水よ。ただの聖水じゃないわよ。この私が作った特別製よ。死霊がその身に受ければ、漏れなく昇天できる一品よ」


 レファンヌは不敵に笑った。死霊達は金髪の悪魔から逃走を始めた。俺はシャウトの背後に回り込み、奴の手首のブレスレットを奪おうと試みる。


「甘いわ少年!!」


 突然シャウトが後ろを振り返り、裏拳を俺に繰り出した。大声男の拳は俺の頬をえぐり、俺は背中から倒れた。


「私の後ろを取って過信したか!?歴戦の戦士を舐めるなよ少年!」


 くそっ。コイツ意外と感が良い奴だな。あと見た目通り力がある。俺は一撃で足に力が入らなくなった。


「あらあら。お使いも満足に務まらないの?中途半端な不死は仕事も中途半端って訳?」


 レファンヌのわざとらしいため息が聞こえる。くそっ。どんな状況でも口が悪いなこの女!


 ん?待てよ。中途半端な不死の身体。そうだ。俺は半分不死なんだ。なら、それを生かした戦い方をすればいい。


 俺は剣を握り再びシャウトに突進する。シャウトも死霊が落とした剣を拾い、俺を迎え討つ。


 勝負は一撃で着いた。シャウトの鋭い一撃が俺の左腕を切り落とした。俺は苦痛を我慢し、そのまま構わずシャウトの右腕を斬りつける。


「何を!?腕を切られて尚来るか!?」 


 シャウトが一瞬怯んだ。大声男の手首からブレスレットが切り落とされた。俺は剣を離し、右手でブレスレットを掴んだ。


「ぐわっ!!」


 おれは苦痛の声を漏らした。シャウトが巨漢らしからぬ軽快さで第二撃を俺の背中に振り下ろす。


 俺は背中を斬られながらも、奴から駆け出し距離を取る。だが身体の均衡を崩し、倒れてしまった。


「ふーん。ま、お使いぐらいは出来るのね」


 倒れた俺の目の前に、茶色のブーツが見えた。それは、レファンヌの足だった。


「ぬうぅっ!ハーガット様から下賜されたブレスレットを奪うとは不届き千万!!もう許さんぞ貴様らぁっ!!」


 怒り狂ったシャウトが猛然とこちらに駆けて来る。俺は顔を上げレファンヌを見上げた。金髪の悪魔は、冷たく笑っていた。


 グシャ。


 何かが潰れる音がした。俺は身体を起こしてその光景を見上げる。シャウトの鼻に、レファンヌのブーツの底がめり込んでいた。


 グシャ。


 二度目の鈍い音がした。両膝を地面に着けたシャウトの鼻に、再びレファンヌの足が突き刺さる。


 グシャ。


 三度目の音が聞こえた。


 仰向けに倒れたシャウトの胸に乗り、シャウトの鼻にブーツの底を三度叩きつけた。


 大声男は沈黙した。完全に潰れ陥没した鼻からは、大量の血が流れている。こ、この女は本当に徹底的に最後までやるな。


「ふん。やっと静かになったわね」


 レファンヌはブーツの底についた血を気にする素振りを見せた。その時、俺はこの女のブーツの底を見た。


 ブーツのかかとの部分が尖っている。それも金属製だ。こんなので踏みつけられたら、ひとたまりもない筈だ。


「キント。あんた不死と言っても半分なんだから。早く腕を繋げないとつかなくなるわよ」


 レファンヌが俺からブレスレットを取り上げ、素っ気なく声をかけた。


 そ、そうだった。死霊は首を切られても繋げれば治るが、俺はその能力が半分しかない。俺は急いで自分の切り落とされた左腕を拾い繋げた。


 背中の傷も出血は止まっている。時間が経てば治るだろう。


「キント。死に損ないの処理。あんたがやっておいて」


 レファンヌが何気ない用事を言いつける様に俺に言った。俺は周囲を見回す。レファンヌの聖水で虫の息の死霊達がまだ四十体程いた。


 ······この死霊達の止めを俺が?


「私はもうくたびれたわ。元死霊のあんたにピッタリの仕事でしょ」


 ······俺は深く考えずに、無言でその仕事を始めた。一体。また一体と止めを差して行く。血の油で剣が使えなくなると、また別の剣を使う。


 死霊達の残した武器で、替えには困らなかった。痙攣する満身創痍の死霊の眉間に槍を突き刺す。


 レファンヌの聖水は恐ろしい程の効用を見せた。百体近い死霊達を呪文無しで無力化させた。


 それにしても、死霊達と言っても元は普通の人々だ。ただ平和に街で暮らしていただけ。


 それが突然死霊達に攻め込まれ、自分達も死霊にさせられたんだ。俺は黙々と死霊達に止めを差して行く。


 さっき殺した死霊は四十代位の男だ。奥さんや子供、家族は居たのだろうか。今しがた殺した死霊はまだ十歳くらいの女の子。


 次に槍を向けたのは老婆だった。この街の住民達は避難したのだろうか。周囲はとても静かだ。


 俺の血生臭い仕事の音だけがこの街に響いていた。


 ······この人達は死霊に一度殺された。死霊になった後は、俺に再び殺されている。


 そうだ。この人達は二度殺されるんだ。一度ならず二度迄も。何故だろう。この人達は、それ程罪深い事をしたのだろうか?


 ······俺の村もそうだ。両親も。友達も。皆殺された。


 気付いた時、俺は両目から涙を流していた。誰のせいだ?この人達を二度もこんな目に合わせたのは一体誰だ?


 ······狂気王ハーガット。


 俺の頭の中に、一人の固有名詞が浮かんだ。コイツが。コイツがこの人達を二度も殺させた。


 俺の中に、どうしようも無い位に怒りが込み上げて来た。それは俺の身体の中をせり上がり、俺の喉から口に移って行った。


「······ハーガットォッ!!」


 俺は声の限り夜の空に向かって叫んだ。奴だけは。奴だけは生かして置いては駄目だ。ハーガットを殺す。


 必ず。俺は無意識の内に、心にそう誓っていた。

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