第2話 聖女の皮を被った悪魔
その女は、右腕を天に伸ばしていた。法衣の袖から覗かせたその右腕は細く白かった。
俺は空いた口が塞がらず、ただ呆然と聖女。いや女。いや彼女。いやいやレファンヌを見ていた。
「何間抜けなツラしてんのよ。あんた、ちゃんと元の人間に戻ったの?」
そんな俺の姿を見て、さっき迄聖女だった筈のレファンヌが鬱陶しそうに俺を見る。
「······レファンヌ? 君はどうして? いやそんな事より、さっき迄の君と今の君は同一人物なのか?えっと」
俺は舌が上手く回らず、しどろもどろになる。レファンヌは両目を細めて冷たく言い放つ。
「無い知恵絞っても分かんないなら、考えない方がいいわよ。時間と思考力の無駄よ」
な、何だよその言い方! 全部お前が原因だろ!俺がこんな混乱している元凶に言われなくないぞ!
俺は長い間忘れていた怒りの感情に驚いていた。そうだ。これが感情だ。その時、レファンヌから遠ざかっていた死霊の群れが再び近付いて来た。
そうだ。俺は死霊の群れにいたんだ。レファンヌが派手になぎ倒して行ったが、まだ二百体は残っている。
俺は腰の剣を抜き、レファンヌの前に立った。
「何よ? あんたまさか、この私を守る気?」
レファンヌは俺を小馬鹿にする様に短く笑った。
「うるさい! お前の性悪はどうあれ、俺はお前に借りがある! それを返すだけだ」
俺は死霊達に斬り込んだ。先程まで同じ死霊だった俺には、奴らの弱点を嫌と言うほど知っている。
俺は剣を突き出し、一撃で死霊の頭を貫いた。死霊は脳を損傷し崩れ落ちる。三体迄は上手く倒したが、四体目を仕損じた時、俺は死霊達に半包囲された。
くそ! やっぱり数が多すぎる! その時、俺は背中に鋭い熱を感じた。俺の背後に回った死霊の槍が俺の背中に突き刺さった。
背中から全身に痛覚が広がる······そうだ。これが痛みだ。長い間感じた事が無かった。って! 致命傷の痛みに感動してどうする!?
俺は膝が折れ、その場に座り込んでしまった。なんてこった。死霊から人間に戻れたと思ったら、その死霊にすぐ殺されるなんて。
俺は世界一間抜けな人間だ。俺はそうして倒れる筈だった。が、俺は死ななかった。あれ? 何で?背中の槍傷、どう見たって致命傷だぞ?
痛みはある。血も流れている。けど、意識は鮮明と保っていて身体も動く。何でだ? 何故?
「あんた。欠陥品の死霊だったのに、人間に戻っても欠陥品らしいわね」
思いやりの欠片も無い笑い声が後ろから聞こえた。レファンヌは俺を冷笑しながらこちらに歩いて来る。
「糞ジジィ共のせいで使えなかった力。鬱憤晴らしのついでに死霊共に使ってあげるわ」
レファンヌは銀製の杖を振りかざした。すると、杖の先から炎が出現した。その炎は巨大な竜巻に変化し、二百体の死霊達を巻き込んでいく。
地鳴りのような音が俺の耳に響いた。炎の竜巻は死霊達を蒸発させて行く。俺は背中の痛みも忘れ、その光景を呆然と眺めていた。
死霊達は全滅した。あの数を一瞬で。な、何者だ? 何なんだこの金髪女は!?
「くそっ! 何よこれ! 半分の威力しか無いじゃない! どう言う事よ!?」
死霊達を全滅させた女は、何故か怒っていた。レファンヌは自分の左手に巻かれていた鎖に気づき、その美しい顔を怒りの表情に変える。
「何で片方しか砕けて無いのよ! 糞ジジィ共私を騙したの!? それとも······」
レファンヌは何かに気付いた様に俺を見た。そして俺に向かって大股で歩き、俺の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっと欠陥品! あんたもう一度泣きなさいよ。その涙をこの鎖に落としなさい!」
······な、何を訳が分からない事をいっているんだこの女? 俺はさっきから空いた口が一向に塞がらない。
いや、と言うか誰かこの口。閉じてくれ。本当に。その時、俺の目に一体の死霊が映った。
その死霊は身体を半分失い、弱々しく痙攣している。どうやら炎の竜巻から奇跡的に生き残ったらしい。
だが、その死霊の顔を見た途端、俺は叫んだ。あれは。あの死霊は! 俺と同じ村に住んでいたリコットだ!!
俺と同じ様に死霊に殺され、偶然同じ群れに居たんだ!! 俺はリコットに駆け寄った。
リコットは頭も半分燃えて無くなり虫の息だった。そんな! せっかく同郷の者に会えたのに!
「リコット俺だ! キントだ! 分かるか?」
俺は必死にリコットに呼びかけた。せめて
、せめてもの最期の一瞬だけでも俺を思い出して欲しかった。
グシャッ。
俺の目の前で、何か鈍い音がした。何かがリコットの頭を潰した。
グシャッ。
二度目の鈍い音がした。先程リコットの頭を潰した同じ箇所を、何かがまた踏みつけた。
それは脚だった。法衣の裾がめくれ、白い脚が見えた。
グシャッ。
三度目の音が響いた。それはレファンヌの脚だった。この女は、おれの同郷の友達を三度踏みつけた。
リコットの頭は完全に潰れ、動きが停止した。俺の真っ白になった頭に込み上げて来たのは、長い間忘れていた怒りの感情だった。
「何て事をするんだよ! ここ迄する事無いだろう!?」
レファンヌは俺の怒鳴り声を、涼しい顔をして聞き流した。
「死霊は完全に頭を潰さないと油断出来ないわ。アンタ、元死霊だったのに知らないの?」
レファンヌは俺を軽蔑する様に短く笑った。
「だからって酷すぎるだろう! リコットは、この死霊は俺の友達だったんだぞ!」
「アンタの友達だろうが恋人だろうが、知ったこっちゃ無いわね。死霊を生かしておく選択肢なんて無いのよ」
レファンヌは腰に両手を当て、冷然と言い放った。
······悪魔だ。この女は、聖女の皮を被った悪魔だ。長い間忘れていた憤怒の感情を、俺は全身に感じていた。
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