第89話

 突然のカミングアウトに言葉を失った。


「ごめんね、落ち着いたら言おうと思っていたんだけど、なかなか言い出せなくて……」


 別居と同時にカミングアウトは、私を思って避けてくれたんだろう。


「いつから? いつからなの?」


「え? 癌が?」


「違う、いつからゲイなの?」


「ああ、僕は彼に出逢ってからだ。別居する半年くらい前かな。もちろん、キミと住んでいる時はそういう関係ではなかったよ」


「そうなんだ……」


「ゲイではなくて、バイだよね、きっと。キミと結婚して子供が三人もいるんだし」


 この際どっちでもいい。


「それで、これからどうするの?」


「主治医には、入院を続けるか、家に戻ってゆっくり過ごすか考えて欲しいと言われた」


「そうなんだ……」


「まだ、本人から聞いていないしどうにもできないんだけど、時間だけが過ぎて行くのがもどかしくて」


「そうね、それも正直に伝えてみたら?あなたはもう知っているんだし、時間をムダにはできないわ」


「やっぱりそうだね、そうしてみる」


 全部話し終えて、夫は少し気が楽になったようだった。


「こんなこと、キミにしか話せなくてここへ来てしまった。いつも甘えてばかりでごめん」


「大丈夫よ。家族でしょ」


 やっぱり家は必要だな。私達が集まる場所。家族として落ち着ける場所。


「泊まってもいいかな? 一人のマンションに帰るのは嫌なんだ」


「もちろんよ。あなたの家だもの」


「ありがとう」


「久しぶりに二人の夕飯ね」


「ほんとだね。何か作ってくれる?」


「ええ、何食べたい?」


「そうだな、一緒に買い物に行って決めよう」



 私達は久しぶりに、一緒に近所のスーパーへ出掛けた。

 そんな姿は、きっと端から見れば仲の良い夫婦に映るだろう。確かに私達は仲の良い夫婦だ。別居して、お互いに違うパートナーがいることを除けば。





「うーん、やっぱりカレーかな?キミのカレーは本当に美味しいからなぁ」


「あら、そんなこと言ってくれるなんて嬉しい」


私達は別居するまでも仲が悪かった訳ではない。むしろ良かったと思う。三男が家を出てからの2年ほどが、初めての二人きりの生活だった。私達は結婚してすぐに子供を授かったので、二人だけの新婚生活というのがほとんど無かった。だから、その生活は新鮮で、二人で出掛けることもよくあった。



「ねぇ、向こうでは食事はどうしてるの?」


「自炊だよ」


「えー! 信じられない! お米も炊けなかったのに!」


「だから苦労したよ。それに反省した。キミに感謝はしていたけど、家に帰れば美味しいご飯が食べられることが、どれだけ有難いことか全然認識が甘かったと思う」


「美味しいって言わなかったよね」


「うん、ごめんね。でもいつも美味しいと思っていたよ」


夫は仕事人間だ。家事は一切しないし、食事の時も仕事のことで上の空なんてしょっちゅうだった。その代わり文句も言わない。全部キレイに食べるのが夫の『美味しかった』なのだ。


「うん、知ってる」






私達はカートにジャガイモやニンジンを積み込んで、カレーの材料を揃えていった。


「今日はキミに美味しいカレーの作り方を教えてもらわなくちゃ」


「彼はカレーが好きなの?」


「うん、大好物なんだ」


そう言って、夫は恥ずかしそうに笑った。

もう、そんな可愛い顔しないでよ。



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