第3話 結界石の修復

 あれから更に数年の時が立った。

 エリオットは無事にジュリアの近衛となり18歳になっていた。近衛に与えられた部屋で目を覚ましたエリオットは辺りがまだ暗いことに気が付く。

 夜になるとエリオットはよく目を覚ます。眠る時間であるはずなのに妙に目が冴えるのだ。眠れる気がしないエリオットは部屋から出て夜の街へと繰り出した。


「いたぞ!追え。」


 街の路地で一人の男が騎士に追われている。追い詰められた男はこれ以上逃げられないと気が付くと先ほどまでとは打って変わって攻勢に出るつもりのようだ。


「追い詰めたぞ吸血鬼め!」


 一人の騎士が前に出た。そんな騎士を笑うように男は駆ける。その動きは素早く先ほどまでの走りが嘘のようだ。


「なっ!」


 一瞬騎士の動きが驚きで止まる。それを見逃す相手ではない。一気に詰めてその喉笛を噛み切ろうと牙をむいた。


「危ない!」


 銀の刃が騎士と吸血鬼の間に差し込まれる。吸血鬼はその刃をがっちりと歯で噛んで音を鳴らした。


「ちっ、折角のチャンスを…。」


 後ろに飛んで引き下がった吸血鬼は間に割って入った人物に目を向ける。その姿を見て驚きの声を上げた。


「な、なぜ!…なんで…おぅ…。」


 しかし、男がその先を口にすることはなかった。銀色の線が男の首と胴体を切り離したのだ。


「ふぅ、危なかったですね。」


 乱入したエリオットは剣についた血を振って飛ばすと鞘に納める。


「助かったぜエリオット。でもなんでお前がここにいるんだ?」


「いえ、眠れなくてちょっと散歩していただけですよ。」


 困ったように笑うエリオットに騎士の男はゆっくりと頭を振って大きくため息をついた。


「あんた、そんなんだから朝が弱いんだろ。まったく。」


「言い訳のしようもない。しかし、最近増えていますね。」


「あぁ、今月に入ってすでに5件目だ。吸血鬼が入り込むほど結界石の力が衰えているんだろうぜ。」


 結界石とはヴァレント王国の各地に置かれている守り石だ。魔物からその町や村を守るための石なのだが、こうして弱まってくる時期がある。

 それは石に込められた魔力が弱まった証。石には守りの結界を張るための魔力を一定周期ごとに注がなければならないのだがどうやらそろそろ時期が来たらしい。


「そういえば、結界の修復にお姫さんが志願したんだって?」


「えぇ、ジュリア様が自ら望まれて今、その準備を行っているところです。」


「しかし、お姫さんが何でまた。」


「国を守る力になりたいと仰せでした。」


 城の方を見つめてエリオットは答えた。その言葉は事実ではあるが少し異なる。

 ジュリアは王家に連なるものとしてよくお茶会に誘われる。そろそろ結界石に魔力を注がなければならない時期とあってお茶会でその話が出たのだろう。

 そして守りの魔力は女性が注ぐものと決まっている。これはかつて聖女として崇められた初代の王妃が守りの結界石を町や村に配置して回って国を魔物の脅威から守ったことから始まる伝統だ。

 おそらく男性が魔力を注ぐことも可能ではあるのだろうが、女性が注ぐのが通例となっているのだ。


「女性には重い任務です。」


 エリオットの言葉がその理由を示唆している。多くの貴族女性はか弱い。魔物に怯えながら回らなければならない巡礼の旅などに耐えられるわけがない。

 それぞれの領地にいる女性が魔力を注いで回れば済むような気がしないでもないのだが、伝統を変えるのは難しい。

 嫌がる女性たちを見てジュリアは決断したのだ。王女としてその任を果たすと。


「そりゃそうだな。箱入りのお嬢さん方には無理難題だろう。」


 やれやれと肩をすくめる男にエリオットは苦笑する。旅の準備が終わればすぐにでも出発することになるだろう。

 ジュリアがその旅に耐えられるのかと言えば、おそらく大丈夫だとエリオットは考える。

 レオン王子やエリオットと共に育ったジュリアは女性にしては肝が据わっていることを知っているからだ。


「それよりも、エリオットは早く帰って寝ないと明日起きられなくなるぞ?」


「子供じゃないんだから平気ですよ。」


 呆れたようにエリオットは答えるが男はいつの間にか野次馬となっている女性陣の視線からなんだか言い辛そうに、しかし意を決して言葉を告げる。


「いや、ほらあれだ。最近女の間で流行っているものがあってだな。」


「えっと…何のことでしょう。」


「ほら、エリオットは昔から体が弱くって吸血鬼みたいな弱みがあっただろう?」


「それが、どうしたのですか?」


「その、流行っているんだ。エリオットが実は吸血鬼でお姫様とって感じの話が。」


 男の言葉にエリオットは唖然と固まった。


「お姫様とって…。」


 聞いてはいけないような気がしたがエリオットは男に尋ねる。


「その、色々だ。女の妄想はとんでもないぞ。王子との過激な話もある位だ。」


 男の言いよどんだ理由を何となく内容を察してエリオットは頭に手を当てて項垂れた。


「私は、男なのですが…。」


「ま、まぁ物語ってやつだから気にするな。いや、無理か。」


 顔を上げたエリオットに女性陣から黄色い悲鳴が上がる。エリオットの顔はなまじ整っている分話にするにはもってこいの材料なのだろう。

 おまけに近衛で王子や王女とは生まれた時から傍にいたのだ。話題にならないはずがない。げんなりとしたままエリオットは自分の部屋へと帰って行った。


 出発の準備が整いジュリアの希望で荷物や護衛は最小のもので旅に出ることになった。荷物が少なければ旅が少しでも早く終わるだろうという考えでジュリアが考案したのだ。

 持っていくものリストをことごとく黒く塗りつぶしてジュリアとエリオットたちは出かけて行った。

 必要なら現地で揃えればいいと最小の荷物で移動した分かなり旅はスムーズに進んだ。ジュリアは野営などものともしない。

 普通の貴族女性であればきっと泣き喚いていただろう。ある意味男らしい彼女はそれでも女性だ。傍に仕えるエリオットは細心の注意をして旅を進めていった。


「あれが最後の目的地ね。」


 ジュリアの言葉にエリオットは頷いた。順調に旅は進んでもはや残すのは国の境であるラーファルの町を残すのみとなった。

 この地から先は魔物が跋扈する魔境。その先には吸血鬼たちが住む土地があるらしいと言われているが真実を知る者はいない。

 ひとつひとつ結界石にジュリアが魔力を注いでいく。結界石はそれぞれの教会の中に安置されている。教会の奥深くにあるそれは半透明の丸い石だ。魔力を込めれば虹色に輝く石。

 王族であるジュリアの魔力は大きい。それでも一つに込める魔力は十数年も持つほどの量を必要とする。


 最後の結界石に魔力を注ごうとしたその時、それは起こった。


「吸血鬼が攻めてきたぞ!襲撃だ。」


 護衛の騎士の言葉にエリオットはすぐに剣を抜いてジュリアを後ろに庇う。上では金属の打ち合う音が聞こえてくる。

 しかし、その音も次第に消えてしまった。状況が分からずに司祭が扉から出て様子を見に行こうとしたが、その前に部屋の扉が破られる。

 音を立てて崩れる扉に司祭は下敷きになり、慌てて逃れようとしたものの扉の残骸の上からぐさりと刃が突き刺さった。


「ひっ……。」


 ジュリアが顔色を無くて震えている。目の前で人が死ぬところなど見たことがなかったジュリアはエリオットの袖をぎゅっと握って、それでも気丈に立っていた。


 ずらりと赤い瞳が二人を見つめる。だらりと垂れた手、歪んだ体のまま動くそれは吸血鬼の成り損ないのようだった。

 じわじわと追い詰められる二人。エリオットは奥の隠し扉に気が付いてジュリアを逃がそうと動いた。

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