第2話 泣き虫な少年

 城の片隅でぽろぽろと涙を零している少年がいた。

 金の髪は首の根元にかかる位で切り揃えられ一目で上質だと分かる紺色の上着は金の刺繍が施されている。

 そんな上着が濡れるのも構わずに一人建物の陰に隠れるようにして蹲っている少年は背後に気配を感じて振り返った。

 金の髪は長く艶やかで、愛らしいピンクのドレスを身に纏っている少女だ。緑の瞳はしっかりと少年を見据えて腰に手を当てて立っている。


「うぁ、じゅりあ…。」


 少年の目は見開かれて、なぜここにいるのかと驚いているようだった。


「エリオット、また泣いていたのね?」


「う、だって。」


 ごしごしと袖で目を拭って涙目のままエリオットはジュリアを見上げた。


「だって、みんなが僕のこと笑うんだもの。弱虫って。」


「弱虫でもいいじゃない。エリオットが弱いのは本当なんだから。」


「そんなの嫌だよ。僕だって頑張っているのに。」


 じんわりと涙が溜まってぽろりと涙が零れる。

 エリオットの涙にジュリアは大きくため息をつくとそっとハンカチを取り出してエリオットの涙を拭った。


「弱いのはエリオットのせいじゃないもの。体がもともと弱いんだから仕方ないじゃない。それに…。」


 ジュリアはそっと同じ目線になるように屈むとエリオットの頬を両手で包んだ。


「弱いってことは、人の悲しみを沢山知っているって事じゃない。それはとっても大切なことだわ。」


「でも…。」


「それが嫌ならもっともっと頑張ればいいじゃない。エリオットは努力ができる子でしょう?」


「う、うん。僕、頑張る。頑張ってみんなと同じように出来るようになるよ。」


 涙を溜めた目でしっかりとジュリアを見つめてエリオットはそう宣言した。

 その宣言通りその日からエリオットの努力が始まった。みんなと同じように出来るようになる。それは当たり前のようでいてとても難しいことだ。

 エリオットは幼いころからずっと体が弱かった。朝はなかなか起きることができないし、日の光が苦手。体力もない。銀食器アレルギーで触れるだけで赤くなる。にんにくも苦手で匂いだけで涙が溢れた。

 水も苦手で川遊びにレオン王子に連れられて行った日には川から動けなくなって助け出されるまで大泣きしながら立ち尽くした。


 まるで吸血鬼のようだと同い年の子供たちからよく揶揄われる。


 だからエリオットは人の3倍以上も努力した。体が弱く体力がないにも関わらずひたすら走り続けたり、父親に習っている剣の素振りを続けたり、にんにくにも慣れるように少しずつ食事に混ぜて慣らしていった。

 銀食器も赤くなるのを我慢して触れる練習を続け、川にも定期的に通ってちょくちょく救出されながらも慣らすために努力を重ねていく。

 いつしか体力も人並みになり、にんにくも苦手ではあるが我慢できるようになった。銀食器も相変わらず触れれば赤くなるものの痛みに耐えて使えるようにした。川もなんとか慣れて川の端から端まで渡れるようになったのだ。


 それは血を吐く努力の結晶と言えるべきものだった。


 朝が弱いのは変わらないが、きちんと起きて動けるようになったのもそういった努力の賜物。すべてはジュリアに誓ったあの日から続けた努力の成果だった。


「ねぇ、エリオット。私の近衛はどうしても嫌なのかい?」


 レオン王子がエリオットを近衛にと誘ってくれたのだが、エリオットは丁重にお断りをしていた。


「私はジュリア様の近衛になりたいです。レオン殿下。」


 いまだ幼さの残るエリオットが3歳年上のレオン王子に紫がかった青の瞳をまっすぐに向けて答える。それは決して譲ることのない意思のこもった瞳だ。


「エリオットの剣の腕は今や上位騎士と遜色ないくらいだ。でも、仕方ないか。ずっとお前はジュリアの傍で育ったものな。」


 残念そうな表情を浮かべつつもどこか分かっていた風のレオン王子にエリオットは申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「でも、必要な時は力を貸してくれるだろ?」


「もちろんジュリア様がお許しになれば。」


 いたずらっぽく言うレオンにエリオットは当たり前のように返す。そういったやり取りをしているとジュリアが音を立てて扉を開いて部屋に入ってきた。


「もう、こんな所にいたのねエリオット!お兄様もいい加減勧誘は諦めて頂戴ってお願いしたではありませんか。」


「ジュリア、音を立てて扉を開くのは良くない。きちんと侍女が扉を開けるのを待ちなさいといつも言っているだろう。」


 レオンが窘めるとジュリアがぷぅっと頬を膨らませる。


「だって、自分で開けたほうが早いじゃない。」


「ジュリア様、侍女の仕事を取ったら駄目ですよ。」


 エリオットの言葉にジュリアはうっと言葉を詰まらせた。ジュリアに駄目だとはっきり口にして咎めるのはエリオットとジュリアの教師くらいだ。

 兄であるレオンでさえも柔らかな言い回しで直接咎めるような言葉は使わない。それは国王夫妻でも変わらない。

 昔は泣き虫で弱かったエリオットだが、ここ数年の努力でそれを覆してきている。

 ジュリアのお転婆は以前と変わらないのに、エリオットはなんだか急に大人びたような印象をジュリアは受けていた。


「ずるい。エリオットばっかり。」


 小さくつぶやいた言葉はエリオットに届いたが意味が分からず首を傾げる。この話の流れでなぜずるいと言われたのか分からないのだ。

 ジュリアはエリオットが自分より大人になった気がしてそう呟いたなど分かるほうがおかしい。


「ジュリアももう少しお淑やかになれば素敵なんだけどね。そう思うだろエリオット。」


 レオン王子がそんな風にエリオットに話を振ったのでエリオットは言葉に詰まる。頷きたいのは山々だがそれを告げればお淑やかではないという事を認めることになるからだ。

 困ったように眉を寄せて曖昧な表情を浮かべたエリオットにジュリアは憤慨した。


「もう、エリオットの馬鹿!」


 声を張り上げて叫んだジュリアはそのまま部屋から怒って出て行った。


「やれやれ、困った妹だな。エリオット、引き留めて悪かったな。もう、行っていいよ?」


 追いかけたくてうずうずしているのがまる分かりのエリオットにレオンは苦笑してそう告げた。

 その言葉を聞くなりエリオットはしっかりと退出の礼をしてから慌ててジュリアを追いかけた。


「ジュリア様!」


 城の中を走り抜けるジュリアを追いかけたエリオットはあっという間に追いついた。

 近年増して驚異的な程の身体能力を身に着けたエリオットからジュリアが逃げ切れるわけがないのだ。

 その手をしっかりと掴まれて引き寄せられたジュリアはキッとエリオットを睨み付けた。


「…城の中を走ったら危ないですよ、ジュリア様。」


 落ち着き払った声でエリオットがそう告げる。それが余計にジュリアを苛立たせた。


「エリオット、手を放して。」


 ジュリアが見上げないといけないほどに背が高くなったエリオット。

 いつの間にか背も比べるまでもない程に追い抜かされていた。


「もう、走って逃げたりしないと約束してくださいますか?」


 ジュリアの手を優しく包んでエリオットは尋ねる。そんなエリオットの動きは洗練されておりそういった扱いにも慣れているはずのジュリアの心を掻き乱す。

 昔はジュリアの後ろを付いて回っていたか弱いエリオットだったが、いつの間にか随分と大人びて見えるようになっていた。


「…ずるい。」


 ジュリアの言葉にエリオットは戸惑う。その言葉の意味が分からなくてエリオットはただ困惑した瞳をジュリアに向けた。


「エリオットはいつもそう…。」


 手を乱暴に払われてエリオットはジュリアの明確な拒絶に驚いて固まる。ジュリアは掴まれていた方の手をそっともう片方の手で包むとその場を立ち去って行った。

 後には唖然としたままのエリオットが残された。

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