剣と龍と神

赤っ鼻

第1話 プロローグ


運命?

その一言で全てが決まるのか?

個人の生き様、死の間際すらもその一言で?



・・・冗談じゃない。ふざけるな!

そんな言葉だけで大人しく納得できるほど、物分りはよくない。

諦めるつもりもない。

抗い続けてみせる。

それがどんなに困難で絶望的な状況であろうとも・・・必ず!



◇◆◇◆



「くそ!くそ!!くそ!!!」



昼間でも暗い樹海の中を、男は走り続ける。口から吐き出すかのように出てくる言葉は、単調な罵倒だけ。

男の全身は汗に塗れていた。その額からは滝のように汗が流れ落ちているが、拭う手間すら惜しいのか、両手は木々を掻き分け、歩みを一瞬たりとも止めない。

その様子は必死にナニカから逃げ延びようとしている逃亡者そのものだった。



「な、なんでこうなった?俺は選ばれたんじゃないのか!?」



息を切らしながらも、男の愚痴は止まらない。

自身に降りかかる理不尽さに、様々な感情が入り混じる。

だがその中でも一際大きいのが恐怖だ。

男は常に勝者だった。奪われる側ではなく、常に他者から奪う側。

敵対してきた相手は男だろうが女だろうが、構わず殺した。

殺すことは目的ではなく、手段に過ぎない。だが、他者の命を奪うことに快感を覚えたことを、男は否定しない。

奪われる側の心情など、知らなかったのだから。



「・・・嫌だ、嫌だ、嫌だ!」



だが、ここにきて男は初めて恐怖を知った。

自分よりも遥かに強い存在を目の当たりにして。

アレは駄目だ。アレは人の手に負えるものじゃない。

男は剣使だ。それも上級の。今まで数々の剣使と戦い、勝利を重ねてきた。

幾つもの苦戦、死戦を乗り越えてきた。

この世界に、自分より強いものなどいない。つい先刻まで、男は本気でそう思っていた。

そんな自信は今や欠片も残っていない。

今まで幾多もの敵を殺した自慢の剣技は、アレに傷一つ負わせることも出来なかった。

アレを殺すために引き連れていった剣使だけで構成された傭兵団も、あっけなく一蹴された。

恐らく・・・この樹海で生きている人間は男だけだ。



(・・・・・・・・・これはきっと悪い夢だ。そうだ。酒を飲みすぎて悪酔いしてるんだ。起きたらきっと二日酔いで、頭痛に苦しんで、吐いて、もう酒なんて二度と飲まねえなんて思いつつ、また懲りずに酒を飲むんだ。ははっ、俺も学習しねえ馬鹿だな、おい)



あまりの絶望的状況に、男は半ば現実逃避していた。

あれほど気のいい、頼もしい傭兵たちが無残に殺される光景を目にした時、男は迷わず逃げ出した。

だから、今なお生きている。



「ま、まだこの樹海を抜けられないのか・・・ごほっがはっ!?」



続く言葉は咳で途切れた。



(な、何で・・・・・・ああ、そうか。俺は今、喉が渇いているんだ)



逃げ続けていた為、時間の感覚が曖昧だが、体感的に数時間は水を飲んでいないことに、男は今更ながらに気付く。逃げることに必死だったせいで、全てを後回しにしていた。この時、男はようやく少しばかりの冷静さを取り戻した。その直後に、疲労も自覚した。



(・・・正直、こんな所で一秒たりとも立ち止まりたくはないんだが・・・・・・少しは休まないと体がもたんか)



ふらつく足取りで、男は背中を大木に預け、腰紐にぶら下げた水筒の水を飲む。

一気に飲まず、少しずつ・・・少しずつ・・・。

そうは思っていても、水はすぐになくなり、水筒の中身は空になってしまった。

まだまだ飲み足りないが水場を探すなんて悠長な事は出来ないし、したくない。

仕方なく、男は喉の渇きを我慢する。



(ここから生き延びたら、思い切り水を飲むぞ)



極限とも言える疲労を感じつつ、男は再び歩き出す。

死地を抜けるその時まで。



◆◇◆◇



(あれからどれ位の時間が経った?)



昼とも夜とも区別できないほどに暗い樹海にて、幾度かの休憩をはさみつつ歩き続けていた男の時間感覚は狂わされていた。



(体感的には二時間?いやその倍か?それとも・・・既に日をまたいだか?)



男は改めて、今いる樹海を見回す。



(・・・・・・しかし不気味な森だ。動物の姿が見当たらねえ。その形跡もない。獣道もなければ、糞や死骸の類もなし。木の枝に小鳥の一匹すらいない。この森には植物と虫しかいねえのか?)



あまりにも男の知る通常の森とは異なる樹海に、嫌な汗が止まらない。

入ったときは特に何も感じなかった。強いて言えば薄暗い森程度。だというのに、出るとなったら薄気味悪い所だけが際立つ。ここはまるで異界だ。外側と隔絶した、一つの別世界。人が安易に踏み入ってはいけない聖域。



(さすがは国が管理することを諦めた禁域ってか。・・・しかし、ヤツは何でアレがここにいることを知っていたんだ?俺でさえ、場所を告げられるまでアレがここに居るなんて知らなかったのに。)



男にアレの討伐を持ちかけて来た、見るからに胡散臭い風貌の老人。

確かに老人の情報どおり、アレは居た。だが、何故それを知っていたのだろうか?

そもそも、何故あんなにも怪しいと思っていたのに、自分はアレの討伐を引き受けた?



(・・・・・・俺は、選ばれた。・・・誰に?あのジジイに?・・・・・・・・・あれ?そもそもあれはジジイだったか?)



疲労のせいか、男の記憶が徐々に曖昧になっていく。

やがて思い出せないことに苛立ち、考えることをやめた。



(今はそんなこと、どうでもいい。とりあえずこんな気味悪い森からオサラバしねえと。アレと出くわさない間に早くここから脱出するんだ)



それから更に歩くこと数十分。もしくは数時間か。

男の視界に、待望の光が見えた。それは間違いなく樹海の外側の光。久しく目にしていなかった日の光だった。



(やった!遂にこの気味の悪い森から出られる!!)



男は歓喜し、思わず笑みを浮かべた。

逸る心は抑えられず、一時的に疲労すら忘れて走り出した。

そのせいか少しばかり視野が狭くなっていたのだろう、木の根っこに足を引っ掛けて盛大に転んだ。



「いつっ・・・てえ・・・」



すりむいたのか、男の膝や脛から少しばかり出血している。



「くそダセエな、おい」



自分自身に文句を言いつつ、立ち上がって・・・全身が固まった。

比喩ではなく、物理的に。

男の両足が、いつの間にか地面ごと凍りつき、その場に縫いとめられていた。



(はあ!??な、なんで・・・)



唐突な事態に思考が追いつかず、言葉にもならないまま驚愕する男をそのままに、ソレは背後から声を掛けた。



「逃がさんよ、ニンゲン。貴様が奴に派遣されたのはお見通しだ。ワタシを殺しに来たのだろう?」



アレが後ろに居る。男が傭兵たちを見殺しにしてでも逃げた原因にして根源。

それを理解した瞬間、男の全身は恐怖で震え、失禁した。

恥ずかしいという感覚など皆無。ただ、死にたくないという言葉だけが脳内を埋め尽くす。それはやがて溢れ出し、うわ言のように男の口から零れ出る。

ブツブツと呟く男に構うことなく、ソレは語りかける。それが義務だと言わんばかりに。



「安心しろ。死は一瞬。痛みすら感じずにいける」



その言葉通り、男の足元から頭部まで数秒で全身は凍りついた。

そして最後の仕上げとばかりに、ソレは無造作に氷像と化した男をなぎ払った。

バラバラに砕け散る、上級剣使だった男の肉片。血液すら凍りつかせたので血が飛び散ることもない。

人間一人が死んだにしては、あまりにもあっけない結末。



「・・・飽きもせず、次から次へと。■■■、早く我々に相応しい主を見つけてきてくれ」



樹海の外を見つめるソレは、誰に聞かせるわけでもなく呟いた。




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