厳寒

 中学の校門を、ロボットのように出て。

 詩音は、歯を食いしばり歩いた。


 すっかり冷え込んだ冬の闇が、早足に歩くその頬や指先を鋭く切りつける。



 ただひたすら混乱していた心の奥に——少しずつ、強い感情が湧き上がる。



「…………酷いよ、美那」


 大好きな親友に、突然乱暴にドアの外へ突き飛ばされたような——そんな憤りが、気づけば抑えようもなく胸の奥からこみ上げていた。




 家にたどり着き、変な勢いで玄関を開けた。

 少し驚いたような母が、キッチンから声をかけてくる。


「詩音? どうしたの、ただいまも言わず入ってきて。

 夕ご飯もうできてるわよ」


「ん、ご飯いい。さっき友達とパンケーキ食べちゃって。ごめん」


 まともに母の顔も見ずに階段を駆け上り、自室に飛び込むとバタンとドアを閉めた。


 その途端、訳のわからない涙がぶわっと込み上げる。




 ついさっき。

 一緒にパンケーキを食べて、冗談を言い合って、ただ笑って。



 ついさっきの、はずなのに。


 当たり前みたいに過ごしていた、あの屈託のない自分たちには——もう、決して戻れない。



 こんなことを——

 こんなにも大切なことを。


 一人きりで考えろと言うの?

 手探りすらままならない、こんな闇の中で。

 たった3ヶ月の、制限時間内に?



 ……これって、そんなにも単純なこと?



 数学みたいに、1+1=2って答えるわけにはいかないことくらい——

 頭のいいあなたなら、すぐに気づくでしょう?



「自分勝手でごめん」なんて、わかったようなこと言って。

 ——全然わかってないよ、美那。


 どれだけ重たいものを、私に放り投げたのか……あなたは少しも。




 溢れてくる涙を、手の甲でぐっと拭う。




「——……」



 濡れていた詩音の瞳の奥に、微かに別の光が生まれ——

 その瞼が、やがてゆっくりと閉じた。









 その冬が過ぎた。

 翌春、3月20日。



 美那は、今、空の上だ。

 留学先の大学のあるボストンへ向かっている。



 冬の初めに会った時、詩音がどこの大学を目指しているかなど、詳しい話は特に聞かなかった。

 受験勉強がきつい、とあの日彼女は笑いながら話していたけれど。


 詩音は、第一志望校に合格したのか。

 それすらも、美那は知らない。

 詩音の高校も卒業式は数日前に終わったはずだ——そういう、誰でも手に入る情報を得ているだけだ。



 そう。

 あの日から、美那に詩音からの連絡は一切届いていない。




 3月20日の午後3時30分に搭乗し、現地までの飛行時間は約12時間ほど。

 電子機器の利用を制限される機内での時間が、狂いそうなほどにもどかしい。





 現地の空港に降り立つと、美那はこれ以上待ちきれないようにスマホの機内モードを切り替えた。



 メッセージも、メールも、伝言も。

 それを知らせる通知は、何一つ届いていない。


 ——今頃日本は、もう21日の早朝だ。




「——……」





 ————詩音。




 いつの笑顔かなど、一つ一つ思い出すこともできないまま——あの明るい微笑みが、瞼にいくつも蘇る。

 いくつもの彼女の声が、言葉が——脳の奥に遠く満ちる。




 


 そのまま暗くなる画面をしばらく見つめてから——美那はスマホを荷物の中へ静かに手放した。



 この土地の春は、思ったよりもずっと寒かった。







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