校庭
ほぼ3年ぶりに会う詩音は、一層女性らしく、美しくなっていた。
白いハイネックの柔らかなセーターの上に羽織った、淡いグレーのダッフルコート。ベージュと黒のチェック柄の、少しタイトな膝上丈のスカート。
すらりと綺麗な脚を包む黒いタイツに、ふかふかした質感の黒のショートブーツ。
まだどこかに幼さのあった体つきに瑞々しいめりはりがつき、街の照明に照らされる彼女の姿は、視界に入った瞬間に私の鼓動をぐいと跳ね上げた。
「——久しぶり」
どこか戸惑うような、彼女の声。
艶やかなブラウンの髪が、さらさらとその肩にかかる。
逃げ出しそうになる気持ちを叱りつけ、その顔をまっすぐに見つめた。
くっきりと二重の、茶色の瞳。艶やかな桜色の唇。
白く滑らかな頬を、ほのかに染めて。
想像していたよりもはるかに美しい詩音が、目の前にいた。
——どうしよう。
涙が出そうだ。
「——急に連絡して、驚いたでしょ?
ああ、でも、今日何するか特に決めてない……自分から呼び出しといて、なんかごめん……」
こみ上げそうになるものを必死に押し隠して呟く私のしどろもどろな言葉に、詩音はむしろ緊張が解けたようにクスクスッと微笑んだ。
「ううん、全然いいよ。
そういう適当な方が私も好き。——じゃあ、とりあえずその辺でお茶、とかにする?ほら、近くに美味しいパンケーキの店あるじゃない?ちょっと混んでるけど」
「うん。……実は私、行ったことないんだよね。混んでるっていうだけでなんか面倒で」
「あはは、そういうとこクールな美那っぽいよねー」
そんな風に、私たちの空気はあっという間に懐かしい中学時代に戻っていった。
パンケーキの美味しいカフェで他愛のないおしゃべりをしながら、私はじっと詩音を見つめる。
楽しげに声を上げて笑う顔。
一瞬どこか躊躇うように伏せられる、長く美しい睫毛。
と思えば、からかい半分の私の冗談に、子供のようにぶーっとふくれて。
次の瞬間、またクスッと微笑んで。
いつも変わらない、明るくて優しい声。
私を見つめる、真っ直ぐで濁りのない眼差し。
——詩音。
全部、全部、大好き。
「……詩音。
ここ出たら、中学校に行ってみない?」
私は、やっと彼女にそう切り出した。
*
久しぶりに来た中学校の校庭にはもう人影もなく、暗く静かだった。
ぽつぽつと灯るライトが、私たちを微かに照らす。
「——懐かしいね」
詩音が、冷えた空気を深呼吸をしながら、そう呟く。
「……テニスやってる詩音、すごくかっこよかった」
そんな私の言葉に、彼女は恥ずかしげに手を顔の前でブンブンと振って拒絶する。
「ちょっ、なんか急にそういうこと言わないでよ!
かっこよかったのは美那だし。陸上部でガンガントップ走ってて、後輩にキャーキャー言われてさ」
一緒に、くすくすと笑う。
部員たちが整備を済ませたテニスコートをのぞいたり、トラックをゆっくりと歩いたりして、ひたすらに楽しく明るかった中学時代の日々を思い出す。
「——楽しかったね」
詩音の何気ないそんな言葉に、思わず脳の抑制を乗り越えて涙が一気に外へ溢れ出そうとする。
そんなものを見られないよう、慌てて詩音の背にぐるっと回り込んだ。
そして、後ろから彼女の両肩に手を置くと、その身体をぐっと校門の方向へと向けた。
「……美那……?」
少し怪訝そうな詩音の声がする。
今日、こうして詩音に言おうと決めていたこと。
それを告げるために、私はすうっと息を吸い込んだ。
「——お願い、詩音。
このまま聞いて。
私の方を、絶対に見ないで。
————私、あなたが好き」
「————」
「友達として、じゃない。
これは——友達とは、全く違う気持ち。
——中学の頃から、私は自分の気持ちに気づいてた」
手を置いた美那の肩が、小さく揺れた。
「……私ね。
大学、留学することに決めたんだ。
向こうでどうしても勉強したいことがあって。
両親も、なんとか納得してくれた。
来年の3月20日に、アメリカに発つ予定。
だから——
こうして詩音の顔を見ることは、きっとしばらくできないと思う。
けど……自分の気持ちだけは、どうしてもあなたに伝えたかった。
あなたに会わず、何も伝えずに離れてしまったら——私はきっと、この先しっかりと前へ進むことができない。
——詩音の気持ちを、聞かせてほしい。
じゃないと、私の心はあなたを想ったきり、身動きが取れないの」
「——」
振り向きそうになる詩音の肩を、強く掴んだ。
「お願い。
今、私の顔を見ないで。
あなたが私を拒絶する顔、嫌悪する顔——
そんなあなたの顔を、私はどうしても見られない。
詩音。
今日は、どうかこのまま、まっすぐ歩いて、校門を出て。
そして——
私の想いを、もしもあなたが受け止めてくれるなら——
日本を発つ3月20日までに、返事を聞かせてほしい。
そんなことあり得ないと思うなら、返事は返さなくていいよ。
あなたから何も連絡がなければ、そういうことだと理解する。
——詩音。
勝手なこと言って、ごめん。
今日は、本当に楽しかった。
今日の詩音を、私は忘れない。
今まで、親友でいてくれて——ありがとう」
肩に置いた掌から、詩音の身体の微かな震えが痛いほど伝わる。
私は、そんな彼女から静かに手を離した。
「——……」
私の手が去ったことを合図に、彼女は一歩踏み出した。
何も言わず、振り返ることもせず。
私の願いを、必死に聞き入れてくれているのだろう。
彼女はそのまま、静かに校門へ向かって歩いていく。
——詩音。
詩音。
大好き。
闇に小さくなる背が、やがて涙で見えなくなった。
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