考える蟻

 昨日、俺の恋人が人間に踏まれた。


 彼女は、あまりにも呆気なく命を落とした。



 ふざけるな——!


 俺の憤りと悲しみなど、届くはずもなく——彼女の命を奪った人間は、瞬く間に遠ざかった。




 この世界を回しているものは、一体何だ?

 俺の大切な恋人を一瞬で奪い、しかもこんなに悲しいことが起こったのに気づきすらせず、人間達は我が物顔で道を行き来する。

 この世界は、あいつら人間のものなのか?




 いや——多分、それは違う。


 全身血まみれで道に倒れた人間を、俺は見たことがある。

 巨大な車が、いきなり道を逸れて突っ込んできたのだ。

 彼は、一瞬で動かなくなった。

 まるで、昨日の俺の恋人のように。



 人間は、この世界を回している存在じゃない。

 なら、世界を動かしているのは、あの巨大な車か?



 いや、それもきっと違う。

 あの車と同じ、真っ黒くて巨大な丸い足が、山のように積み重ねられている場所を、俺は知ってる。

 人間が、新たな足をいくつも運び入れている様子も。


 しかばねをあんな風に扱われる存在が、世界を動かしているはずがない。



 人間や、巨大な車。

 どこまでも残酷なあいつらですら、一瞬にして動かないものに変わっていく。

 それを司るものは——一体、何だ?





 何一つわからないまま、空を見上げる。



 小さなちぎれ雲のかけらが、ゆっくりと動きながら——やがて、青空の中へ溶けるように消えていった。





 こうして、静かに、何かが流れて……

 形のあったものが、消えていく。





 この世界を回しているのは——

 人間でも、あの巨大な車でもなく。

 こうして音もなく流れていく、目に見ることのできない何かなのかもしれない。




 そんなことを思いながら見つめる雲が、また新たな涙でじわじわと滲んだ。





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