第5話 善悪のプレリュード

「僕はねえ、これは、ただの殺人事件では、収まらないと思うんだよね」


「いや、しかしですね、やはり殺人は犯罪ですよ、どんな事情があっても許される事ではありません。個人の判断で人を裁く事は危険です、私はそう思いますけどね」


「それは、もちろん分かるよ。どんなに悪者でも、法律の元に公平に裁かれるべきだ。犯人も殺人の罪を刑務所で償うべきだった、死刑になったかもしれない。犯人は自殺しちゃったから、それは無理だけども」


(そうか、あの男は自殺したのか……)


 小さなテレビは、淡々と討論を続ける二人の男を流し続けている。胸がざわつくが、見なければいけない。


「犯人がネットに流した動画は、大きな社会問題となっています、いじめをした子供が悪いだの、学校の責任だの、つい最近、教師が教師をいじめる問題が起きたばかりなので、学校への不信感は高まっていますよね」


「僕にも小学生の娘がいるけどね。もし、いじめを受けて、自殺してしまったら、間違いなく、相手の子供と親、小学校や担任を恨むと思うな。奥さんも自殺しちゃったんだろ、殺人鬼に同情するのも間違いかもしれないけどさ」


「それについては否定出来ませんが、どれだけ悪いことをしても、まだ判断能力の無い小学生を死刑には出来ません、少年院で更生の機会を与えられるべきです」


「判断能力ねえ、今の小学生は携帯電話で、色々分かった上でやってるんだよね、先生は自分を殴れないとかね。もちろん、子供は子供だから、間違いは大人が正さないといけないよ、その大人の先生が、いじめをしている。親も子供を正せない家庭は少なくない」


「難しい問題ですね、またこの様な事件が起きないためには、どうしたら良いのでしょう?」


「うーん、分からないなあ。自分の子供を、理不尽ないじめから守るには……。学校を信用せずに、各個人で、対策するしかないのかな、ランドセルに盗聴器付けるとかね。ボイスレコーダーって言った方がいいか」


「確かに、子供は親にいじめられてるとは、まず言えませんからね。親に言うくらいなら、自殺する方が子供にはハードル低いのは、悲しいところですが。いじめの証拠は明確な方が良いですし、親も安心出来ますからね、いじめと体罰も犯罪、それも間違いないことですから」


「そうだねえ、未然に防ぐためには、そのくらいしないといけない時代なのかもね。でも、親にも虐待されている子は、一体誰が守ってくれるんだろうね」



「テレビ見てるの?」


 後ろから話しかけられて、俺はテレビを急いで消した。


「ごめん、起こしちゃった?体調はどう?」


「うん……」


 優美ゆみが節目がちにうなずいて、俺は胸が痛くなった。俺のせいだ。


 男が去った後、優美は気絶してしまって、家にいると思い出してしまうから、そのまま個室に入院させているが、すっかり元気が無くなってしまった。俺以外の人にビクビクしてしまうのも、仕方ないと思う。俺でさえ未だに思い出すと、震えが来るほど怖いのだ。


 あの男が、家に入ってから五日経つのか。俺も、やっとテレビを見れるようになったが、あの男のことが分からなくなる。なぜ、うちに来たのだろう。


「ごめんね、全部私のせいなのよ……」


「ちがうよ、もう謝らないで良いんだ、俺が鍵をかけなかったのが悪いんだ。君は悪くない。本当にすまなかった」


「ちがうわ!私が悪いのよ!なんで私を責めないのよ!もう出て行ってよ!」


「……すまない、飲み物を売店で買ってくるよ」


「……」


 俺と優美は、お互いに自分を責めるしかなかった。

 優美は情緒不安定になってしまって、俺といると、きっと自分を責めて苦しいのだろう、俺もそうだから分かる。入院してから、優美は、俺に何も言わなかった。

 何か言いたそうにしていたのだが、それは俺も同じで謝りたかった。やっと話しかけてくれたのに、怒らせてしまった……。全てはあの男が悪いのに。


(あのセミは、あの男が窓に投げつけたんじゃないのか、マンションの二階くらいなら、工夫すれば、出来そうじゃないか)


「袋は、お付けますか?」


「いえ、大丈夫です」


 病院内のコンビニで飲み物と新聞を買って、俺は少しベンチで休むことにした。

 大きな総合病院だ、色々な人が歩いている。コンビニを出たところに、飲食スペースがあり、ちょっとしたカフェのように、ベンチとテーブルが並んでいた。大きな木も生えていて、病院内とは思えない空間だった。

 点滴を付けて、パジャマ姿の人もいるのは、普通のカフェと違うだろうが。


(なになに、いじめっ子家族三人を殺人、流された動画に人々は困惑、自殺した男は本当に加害者なのか?か。全く、他人事な見出しで嫌になるね、担任は止められなかったのだろうか)


 責められる学校の対応と未だに謝罪のない校長と担任、いじめをした家族について、悪者を叩くためにお祭り騒ぎになるネット社会、殺人が一番の悪だと本人も言っているために、あまり本人が責められないのが不思議だと書いてあった。


 私も、あの人にいじめられた、あの人はヒーローだと、何人もの証言が寄せられているらしい、動画内の証言の人数以上の声が上がっていることから、いたずらによるものではないかと、調査しているらしい。


 俺はスマホで検索し、その動画を見てみた。確かに、あの男だった。


(男の言い分は確かに分かる。俺も、優美との子供が、いじめられて自殺してしまったら、そして、優美まで自殺してしまったら……)


 俺は急に不安になり、優美の元に戻ることにした。


「優美!」


 病室を開けて呼んでも返事がない。優美の姿が無かった、俺はもう、泣きそうだった。


「嘘だろ……」


 ベッドまで駆け寄って、俺は布団をめくった。

 優美が小さくなって泣いていた。丸まって、産まれる前の赤ちゃんのようだった。


「あなた、ごめんなさい……」


 俺は何も考えずに、優美を抱きしめた。


「俺も優美も悪くない、そうだろ。悪いのは、あの男だ。大丈夫、あの男は死んだんだ」


「……死んでしまった」


「ああ、本当さ」


 俺は優美に新聞を見せた、見せることで、優美はショックを受けてしまうかもしれない、けれど、この事件と向き合わなければ、前に進めない気がした。


「……」


 優美の顔は、どんどん曇っていった。狭いベッドで新聞を掴む優美の手が震えていた。


「何でうちに来たんだろう。自分の娘と妻が死んでしまった人の気持ちなんて、分からないけども。ましてや、人を殺すようなやつだ」


「私のせいで、あの人は、おかしくなってしまったのね……」


「優美には関係ないだろ」


「いえ、関係あるわ、他人事じゃないもの……」


 優美は、小学校の教師だった、正義感が強くて、どうしたら、いじめは無くせるのか、よく俺と話していたけど、答えは出なかった。まだ教師になって間もない優美を、俺はいつも心配してた。

 正義感が強すぎて、自分が殺されかけたことより、あの男をそうさせてしまったいじめを、憎んでいるのかもしれない。


 どうにかしてあげたかったけど、何も出来なかったと泣きながら落ち込んでた日もあった、詳しくは聞けなかったが、もしかしたら、あの男を救えてたのかもしれない。そう考えているのかもしれなかった、優美は、優しくて強い女性だから。

 でも、この事件とは無関係なはずだ。女の子がいじめられてる話は、優美から聞いたことがなかった。靴を踏まれた男の子の話も。


「あなた、本当にごめんなさい。私のせいよ……」


「違うだろ、もう自分を責めるのは止めろ!」


「私は、愛ちゃんの担任なのよ!」


「……そうなのか」


「この新聞には、担任としか書いてないけど、私なのよ!私は、愛ちゃんのお父さんとお母さんに、小さな手紙を見せられて……」


「優美……大丈夫だから、泣かないで、大丈夫だから……」


 俺は、何も知らなかった。あの時、悩んでたのは、そのことだったのか……


「……私と校長と教頭で対応したの。私は、手紙を見て、何も出来なかった自分が許せなくて、何度も謝った、とても許してもらえることでは無いけど、私には謝ることしか出来なかった」


「優美……」


「私は、そんなことで許されるとは思ってないけど、責任を持って退職して、償っていきたい。こんな事が起きないように、ちゃんと社会に伝えたいと言ったの」


「そんなのことがあったのか……」


「それでも、校長と教頭は、少し待ってほしいと。しっかり調査を行なってから対応させてほしいと、マニュアル通りのことしか言わなかった。愛ちゃんの両親も、私も納得出来なかった。私は泣いて両親に謝るしか出来なかった」


「それで、うちに来たのか。でも、鍵をかけ忘れたのは俺だろ、自分ばかり責めないでくれ」


 優美は、下を向いて声を出して泣いていた。俺があの時、話を聞いていれば……


「鍵をかけてたとしても、きっと窓を割って入ってきてるわ……」


「そんなの分からないじゃないか……」


「全部私のせいなの、あなたを危険な目に合わせたのも!愛ちゃんを殺したのも!愛ちゃんの両親を死に追いやったのも!」


「優美、もう良いんだ、ごめんな、俺は何も出来なくて、ごめん。辛かったよな」


「あなたに心配かけたくないから、愛ちゃんのお父さんが、学校に手紙を持って来た日は落ち込んで、心配かけちゃったから、あなたが心配そうにしてたから、私は、心配させちゃダメだって、家では元気に振る舞おうってカレーを作りながら思ったの……。本当にごめんなさい……。全部私のせいなのよ……」


「謝らないでいい。もう、謝らないでいいんだ」


「……ごめんなさい、本当にごめんなさい。私がしっかりしてれば、もっと、愛ちゃんの話を聞いてあげれたら、あの後、愛ちゃんの両親の元に謝りに行けば、愛ちゃんのお母さんは死なずに済んだかもしれない。ううん、そもそも愛ちゃんを私は救えなかった……」


「優美だけのせいじゃない。君はまだ教師になったばかりなのに、周りの先生も忙しくて、ろくに相談出来ないって言ってたじゃないか。君だけが責任を感じる問題じゃないだろ」


「とおる君の親は、教師の間では迷惑な親として有名だったの。他の教師に新任なのにかわいそうねとも言われたわ。気に入らないことがあると教育委員会に電話して、こちらが電話をしても、私じゃ話にならないからと、校長とよく電話していたわ。校長は、証拠も無いのに変なことを、あそこの親に言わないでくれと私に言ったわ」


「ひどいな……」


「私は、愛ちゃんがいじめられていたのを薄々気付いていたの、一番ひどいのは私よ……」


「優美、自分を責めないでくれ……」


「なんで、あの時、私を殺してくれなかったんだろう……。私は殺されても仕方ないと思う……」


「優美、頼む、もう自分を責めないでくれ……」


「私が悪いのよ……。ごめんなさい……」


「最初から優美を殺すつもりなら、俺らも携帯で録画してたはずだろ。愛ちゃんのお父さんは、泣いて謝った優美を、殺すつもりは無かったんだと思う。それに、うちに来た時に、愛ちゃんの話をしてないだろ。俺は知らないままだった訳だし。どっちから死にたいって話もおかしくなる。恨んで殺すつもりなら、優美を真っ先に殺してるはずだ。きっと、担任だけのせいじゃないって、愛ちゃんのお父さん自身も娘を救えなかった罪悪感があったんじゃないか、俺らを縛った後に、何か考え直したんじゃないのか。今となっては分からないけどさ」


「……私が、愛ちゃんを殺したのよ、救えなかったのは私……」


「優美、まだ出来ることがあるだろ」


 俺は、俺らを襲った愛ちゃんの父親より、優美をここまで追い詰めた学校に怒りを覚えた。優美だけに責任を押し付けて、校長は適当なコメントを発表してて良いものか。許せない。何も出来なかったとしても、優美なりに、何とかしようとしてた。愛ちゃんも、愛ちゃんの両親も、死なずに済んだかもしれない。何もさせなかったのは学校じゃないのか。


「ボイスレコーダーあげただろ、何かあったら使えって、教師が教師をいじめる時代だから。愛ちゃんのお父さんとお母さんが来た時も、いじめっ子の親を刺激するなと言われたことも、きっと録音したんだろ?」


「録音してるわ……家のかばんに入れてある」


「優美は教師を辞めていい、責任を取るためだけじゃない、学校と戦うためだ。その録音を発表して、一緒に世間に謝ろう。学校と親の教育は、どうしたら良かったのかを考えて、皆に訴えよう。俺は何があっても優美の味方だ、仕事は俺がする、優美は、そんな都合の良いように学校の言いなりになってたのは許せない。愛ちゃんと両親に申し訳ないと思うなら、いじめを無くしたいと思うなら、何も出来なくて悔しかったのなら、逃げちゃだめだ」


「……そうね、私は私なりに責任を取らなきゃいけない。あなたは優しいのね、なんでこんな私を責めないの?」


「俺はむしろ自分を責めているよ。何も出来なかったのは俺も同じなのだから、優美が愛ちゃんの両親と話した夜、泣いている君に、もっと聞くべきだった、何か変えれたかもしれない」


「そんなことない。ねえ、愛ちゃんのお父さんの動画も見せてよ」


「大丈夫なのか?」


「うん、私はもう大丈夫、私に出来ることをしないといけない」


 動画を見た優美は、いじめられてた子の声を聞いて驚いて泣いていた、ナイト君がいじめられていたのは知らなかったと泣いていた。

 俺は、もう誰が悪いのか分からなくなった。それでも、優美は悪くないと思いたかった。

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