第56話「狂い咲き」

 肌を突き刺すような空気の震えが伝播する。震える空気の振動は都市中に広がり、戦闘中の兵士たちの心を砕いていた。


「BrooOOO!」

「WuuUOAA!」

「GYAriyyy!」


 エルドレイクのあちらこちらで「百鬼夜行」の怒号が上がる中、一際猛烈な振動を放つのは不夜城の城内から吼え上がっていた。


「ケ……、ケイオス!?」

「AAAaaa!!」


 セーネの呼びかけに応えることなく、ケイオス・ヴォイドは天へ咆哮を轟かせた。

 肺の中の全ての空気を吐き出したケイオスは、血走った眼を直上のセーネへ向ける。セーネを敵と認識したケイオスには、その状況のみで事足りる。他の感情などすでに排他され、雑念のない殺意がセーネに突き刺さる。


「グラaaa!」


 ケイオスは雄叫びを上げて足場を踏み抜いた。風穴の空いた翼も何のその、揚力を上乗せしロケットのように飛び上がった。


「ぐっ……! 止めるんだケイオス。攻撃を止めろ!」

「AGyィイ!」


 しかしケイオス本人にセーネの言葉は届かない。理性のない瞳孔は終始開きっぱなしだ。鋭利な牙を剥き出しにして、野獣の如き猛攻を仕掛ける。

 腕っぷしに任せた暴力的な剣がセーネに向かって放たれる。セーネのスピアと火花を散らす度に剣は火花を散らし刃を零すが、ケイオスは意に介さずに攻撃を続ける。ケイオスが攻め続ける一方的な展開に、セーネは徐々に押され始めていた。


(くそ……! 一度距離を取って立て直す……!)


 セーネはケイオスの嵐のような猛攻の最中、スピアを押し出してケイオスを突き放した。しかしケイオスは突き放された距離を瞬間的に詰めると、正拳を突き出した。

 セーネはケイオスの正拳を避けるでも受け止めるでもなく、力強く翼を広げて権能を発動させた。

 「空間転移テレポート」でケイオスの背後へ回り込んだセーネはスピアを引き絞って構える。狙うは、風穴が空いていないもう片方の翼だ。

 弩の如き強打は速く、確実にケイオスの翼を穿った! はずだが、ケイオスがその予想を超えた。

 大穴が空いた比翼を駆使し回転すると、穿たれたスピアの打突を剣で弾く。


「なっ……!?」


 セーネの驚嘆も束の間、ケイオスの第二打目の正拳はセーネの身体を打ち抜いた。

 彗星のように落下するセーネは鋭角の城に激突した。セーネは城の屋根を打ち砕いて、城壁まで真っ直ぐに貫通した。


「ぐはぁっ……!」


 レンガ造りの地面を砕いてバウンドしたセーネは翼を広げて体勢を立て直す。ケイオスの追撃を警戒してスピアを正面に構え、視線を夜空の一点から離さない。

 だが絶好の好機だというのに、ケイオスは追撃を仕掛けてこなかった。

 ケイオスは乱れた紋章をそのままに、優美とは程遠い翼のはためきでセーネの目の前に舞い降りる。

 戦意が失せたかと言えば否、しかし破損した剣は鞘に納められている。なんともちぐはぐとした体のまま、セーネの前へ歩を進めた。


「Sehh……neェェェ……」

「ケイオス意識をしっかり保って!」

「ぅぅ! くぅぅぅ……ぁぁaぁぁaaあああAあAあAあAあああ!!」


 優勢に立っていたはずのケイオスが頭を抱えて悲鳴を上げた。地に膝を突き立て苦悶に耐えながら、狂ったように頭を振った。

 ケイオスの暴走を見たセーネは、ケイオスの身に降りかかった出来事の全てを察した。抱いていた違和の正体に身を震わせながら、スピアを投げ捨て危険を顧みずにケイオスに駆け寄って身体を抱き上げた。

 セーネは両腕で呻くケイオスを抱き留め、胸を貸して苦悶の声を受け止めた。

 しかし英雄の絶叫が止むことはない。絶えず叫ばれる痛みにケイオスは頭を抱え、セーネに身を委ねて痛みに苦しむ。

 セーネは腕の中で身をうねるケイオスの顔を覗き込む。その額を走る血管は異様に浮き上がり、不規則なリズムで脈打っていた。

 セーネは目視したケイオスの症状に見覚えがあった。それはセーネが忌み嫌った、吸血鬼の持つ異能である。


(間違いない……。これは純潔の吸血鬼が行う吸血による「鬼化」の症状だ。それもわざと半端なところで止めて、理性と狂気を半々で残すなど……。

 義兄め、ただでさえ数が少ない吸血鬼の同胞にこの仕打ちとは、気が狂ったのか!?)


 セーネは内心で盛大な舌打ちをする。今まで打倒の対象であった夜王に、初めて生の殺意が沸き上がった。

 しかし今は夜王に気を揉んでいる場合ではない。目の前のケイオスは狂気と正気の間で戦って苦しんでいる。

 鬼化に苦しむケイオスを救えるのはセーネしかいない。

 純潔の吸血鬼が行う吸血が「汚し与えるもの」だとするのであれば、戦乙女ヴァルキュリアの血を併せ持つセーネが行う吸血は「清め正すもの」である。

 セーネは苦しむケイオスの腕を力ずくで外すと、普段の清廉さとは程遠い牙を剥き出しにして首筋へ噛み付いた。

 セーネの牙に淀みはなく、噛み付いた頸動脈からケイオスの濁った血を吸い上げる。ケイオスの血を口にするセーネは、混ざり切っていない狂気の味を噛み締めた。

 ケイオスの血はセーネの予想通り、「ケイオス本人の血」と「鬼化の血」が同居していた。これは致死性の猛毒を致死量の手前まで注入されることと等しく、個人の尊厳が徐々に奪われる苦しみと痛みを伴う外道の策である。

 一度ケイオスに噛み付いたセーネは必要量まで吸血し、浄化の血を与えるまでは一度も口を離さなかった。怒りに打ち震える身に鞭を意志という鎖で縛り付け吸血を終える。

 苦しんでいたはずのケイオスは、いつの間にか眠りに落ちて寝息を立てている。

 安静を取り戻した様を確認すると、セーネは力一杯に同胞を抱き締めた。


「よかった……」


 セーネはケイオスの傷付いた身体に頬を擦り当て胸を撫で下ろした。腕の中で眠るケイオスの熱を感じると、不意に瞳から涙が溢れ


「……グフッ――――っ!?」


 セーネが滝のように血を吐いた。

 ケイオスは腹に突き刺した腕を引き抜き、凍り付いたセーネをゴミのように突き放した。


「さらばです……、我らの白夜王……」


 赤眼に悲しみの色を浮かべたケイオスは、大粒の涙を零しながらにセーネに鋭爪を突き立てる。

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