第57話「散華 1」

「さらばです……、我らの白夜王……」


 ケイオスが零した大粒の涙が地面で跳ねた。突き立てられた怪腕は指の先まで槍のように尖り、セーネの命を絶つ一撃を構える。

 セーネは穴が空いた腹部の流血を純白の翼で包み込み止血を試みる。自慢の白翼には鮮やかな血がで染み渡り、徐々に赤の面積を広くしている。

 数秒の間、肺一杯に澄んだ空気を吸い込んだケイオスが腹を括った。

 ギラリと見開いた瞳で、手刀をセーネに放ったとき、頭上の遠い夜空から声が鳴り響いた。


「セーーーネからーーー、はーなーれーろー、こらぁ!」


 天から降ってきたのは道周だった。怒号を伴い落下する道周は魔剣を番え、ケイオスの目の前で着地した。


 ズゥゥゥン――――。


 レンガを踏み砕き、手を着いて着地した道周は立ち上がりざまに剣を振るう。


「ぐっ!」


 道周の予想以上の頑丈さと速さを前に、ケイオスの退避は僅かに遅れる。魔剣はケイオスの黒い鎧を切り裂き肉を絶った。華美な装飾を地に撒き散らしたケイオスは胸に深手を負った。

 傷付いたケイオスは膝を着き、目の前の道周を双眸で睨む。

 対する道周は倒れ込むセーネに駆け寄り、無理に抱き上げることはせずに傷痕の具合を確認する。


「大丈夫かセーネ、意識はあるか?」

「ミチチカか……。僕は大丈夫だ。吸血鬼は頑丈なんだ、ぞ……グファッ!」


 強がるセーネであったが、激痛と同時に目一杯の吐血をした。拳ほどの血塊を地に叩き付けながらも、セーネは気丈に身体を起こそうと奮い立つ。


「無理に動くな、傷が広がるぞ」

「傷は止まってはいるんだ。ちょっと内蔵が破裂しているだけだとも」

「それを「大丈夫」とは言わないって! あの吸血鬼は俺が倒してやるから寝てろ!」


 道周が胸を叩いてセーネを励ます。「夜王はどうした?」とセーネが問い掛けようと口を開いたとき、不夜城の影から怜悧な声が響き渡る。


「情に流され大局を見落とすとは、やはり愚妹は愚妹であったな。オレの思惑通りよな」


 嘲笑う夜王は愉快に瞳を歪ませる。

 背後から現れた夜王にケイオスは項垂れ、頭を垂れて姿勢を正した。


「夜王よ、白夜王はすでに瀕死でございます。これ以上の戦闘は不可能かと」

「馬鹿か貴様は。「瀕死」ではなく「絶命」だ。確実な死をもって愚妹とその有象無象の希望を潰す」

「御意……」


 俯いたケイオスの肯定はどこか沈んだものがあった。しかし夜王が部下の機微を気に留めるはずもなく、無情な命令を淡々と下す。


「やれ。それで赦しを与えてやろう」


 夜王の言葉を受け、ケイオスは傷を負った身体に鞭を打つ。身を動かす度に胸から溢れる血を垂れ流しにして、粉骨砕身剣を取る。

 セーネとの打ち合いで刃が欠けた西洋剣を目にした道周は、鼻を鳴らして魔剣を正面に構える。


「何だ、夜王は高見の見物か? まとめてかかってきても俺は構わないぞ」

「そう急くな人間ヒューマン。オレは「あらゆる手段で」と言ったぞ」

「なに……?」


 含蓄のある夜王の物言いに、道周は顔を歪ませた。まだ何か打つ手があるのかと緊迫に身を引き締め、人一倍に警戒をする。

 夜王は悠然とした立ち姿のまま、黒い外套から覗かせた細腕で柏手を打つ。パンパンと二度打たれた音に誘われるように、周囲の雰囲気が厳かに凍り付く。



「――――uuurrr……」


 道周の危機感は見事に的中した。

 道周とセーネを囲むように不夜城の影から現れた伏兵の数は100を超えている。野獣のような唸り声を喉の奥から漏らす兵士は夜王が誇る狂戦士の「百鬼夜行」だ。

 一騎当千とも言える強敵の波は徐々に詰め寄り、突撃の号令をまだかまだかと待ち侘びていた。

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