第44話「夕暮れの密会」
リベリオンによる革命の決行まで、あと12時間――――。
東の地平線に太陽が沈もうとしているとき、セーネたちが潜むリベリオン本拠地の居館は静寂に包まれていた。
物静かな居館の廊下を歩むセーネは、切れ長の睫毛の下からルビーのような赤い瞳で目的地を見据える。窓から差し込む茜色の斜光に彩られ、1人でカツカツと踵を鳴らして凛と背筋を正す麗人はどこを切り取っても絵になる。
数ある部屋に住まう者はほんの数人、余り余った部屋からは物音の一つもしない。時折通り過ぎる部屋からは心地良さそうな寝息が耳を突く。
カツカツ――――。
テンポよく刻まれる足音は長い廊下を突き進むと、一つの扉の前で音が止んだ。
コンコン。
セーネは白長な指でノックをして返事を待つ。
数寸間を空けた後、部屋の主がのそのそち歩み寄って戸を開けた。
「はいはーい。セーネかどうした?」
ぱっちりと目を開けた道周が陽気に顔を覗かせた。セーネの姿を確認すると、躊躇うでもなく道周はセーネを部屋に通した。
華美な装飾のない殺風景な部屋の丸テーブルには、分厚い書籍が文字通り山のように積まれている。出鱈目に積まれた本の背表紙から、セーネはそれが子供向けの「児童本」であることが分かった。
「ミチチカ、深夜の出撃に備えて早く寝るように言ったはずだよ。まだ読書かい」
セーネはせっつくように道周に詰め寄る。
道周は気まずそうに視線を逸らし、苦笑いで誤魔化す。
「読書なんて俺にはまだ早いって。今はこの世界の文字の「解読」の段階だって」
「そのお勉強のために夜更かしが許されるとでも……」
セーネはまざまざと怒りを滲ませる。叱責の圧はさすが「白夜王」と言わざるを得ない。
いかに道周と言えど、セーネの放つ圧力には逆らえない。無駄な言い訳の文句を並べることなく、手に抱えた書籍を山に戻した。
道周の一挙手一投足を視線で追っていたセーネは、その動線にあった一枚の紙切れを見つけた。一冊の書籍ほどの大きさには規則正しく文字が羅列されている。
一見不思議な怪文書たる紙切れは、セーネの目には怪文書にしか映らない。
「ミチチカ、その紙はなんだい?」
「あぁ、これか。これは俺用の「五十音表」だ」
「五十音表……?」
話題が逸れる予感を察知した道周は嬉々としてセーネの質問に食い付いた。この機を逃せばセーネの追及が始まる。セーネの示した興味は逃げ道としては打って付けだ。
「俺たちのいた世界とこの世界の「言葉」は同じだった。けど「文字」は全く違う。「文字」が分からないと大問題だろう。だからこそ文字の習得のためのこの「五十音表」だ」
道周は鼻高々と紙切れを突き出した。セーネは差し出された紙を受け取り目を通した。
記された文字列は「あ い う ・・・」と見慣れない文字と、フロンティア大陸の文字が並列している。
セーネは唸り声を上げながら文字列をなぞり、遂には投げ出した。
「済まない、僕は学者じゃないんだ。”ジュウテイ”なら気に入っただろうに、もう少し詳しく頼む」
セーネは道周に紙を返し、追加の説明を求める。
「この五十音表は二つの文字を対比させて羅列した「互換五十音表」なんだ。文字が違っても音が同じなら、音を頼りに文字を追っていけばいい。俺の世界の「ミチチカ」って文字と、フロンティア大陸の「ミチチカ」って文字を横に並べて、どの音がどの文字なのかを簡単に纏めたものなんだよ」
道周は紙を手に取って懇切丁寧に解説する。セーネは寡黙に聞き入り、納得した声で返事を返す。一頻りの解説の後、セーネは手を打った。
「難しいことを考えて実行しているんだね。それも「2回目の異世界転生の経験」ってやつかい?」
「ま、そんなとこだな。前の異世界転生では「文字」にも「言葉」にも苦労させられたからね」
道周は遠い眼差しをした。その瞳には悲哀とも惨苦とも取れる影が見える。
ほんの一瞬、見逃しても仕方ないような刹那をセーネは目撃する。しかし踏み込んでいい境界であるのか迷った挙句、セーネは曖昧な切り出し方をする。
「ソフィやマリーは前の異世界の冒険譚を語ったらしいじゃないか。僕にも何か話しておくれよ」
最初セーネが見せていた怒気はどこへやら、無邪気なセーネの要望に道周は微笑ましくはにかんだ。
「いいよ。それじゃあセーネには、とっておきの話をしよう。襟を正してちゃんと聞いてくれよな」
テーブルの上の書籍の山をベッドへ移し、2人は椅子に腰かけた。埃のついていないグラスに冷水を注ぎ、丸テーブルを挟んで向かい会う。
冷水で唇を湿らせた道周は、深呼吸をして口火を切った。
「これは、イクシラの雪原のように冷たい風吹く夜のこと。俺が異世界転生をした直後の数日間の地獄の話だ――――」
四角い窓から見える雪原には満月が反射し、深い針葉樹林では怪しい烏合の鳴き声が木霊する。
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