第6話「完全無欠な異世界 2」
「……まったく。ミッチーがふざけるからシリアスでミステリアスでファンタジーな雰囲気が台無しだよ」
「ごめん。いきなりのことで動転して?」
「なぜ疑問系。そして確信犯だったよね!」
「それはそうと、俺たちぶった斬られたはずだよな。五体満足で、ピンピンしてるぞ」
「……それもそうだね。私たち、一回死んだのかな? これってひょっとしたら、『異世界転生』ってやつじゃないの!?」
「マリーちょろい」
「? 今何か言っ」
「言ってない。異世界転生びっくりダー」
道周は適当にお茶を濁した。
道周に続き、遅れながらも状況を把握したマリーは、どこか浮き足立っている。
「ねぇねぇ! 夢じゃないよね? 私たち、異世界に来たんだよね!」
「あー、多分そうだろう。案内人がいないから、ここがどこなのかは分からないけど、少なくとも俺の知識ではこんな土地はなかったはずだ」
「じゃあ私、チートな特殊能力とか持ってるのかな!? さっき落ちてるときに吹いた風とか!」
「さぁなー」
道周は心ここにあらずな様子で相槌を返す。1人だけテンションの上がったマリーはあしらわれていることに気が付かず舞い上がっていた。
ただ道周は冷静に周囲を見渡す。
湖畔には建物どころか人工物は見当たらず、鬱蒼と生い茂る深緑の森。疎らな高さで生える草木には、所々に獣道が見受けられた。
(今のところ獣の気配もなし。着水の音に反応して、住人の1人や2人くらい寄ってきてもいいものだが、近くに人里はないのか?)
道周は自分の考察と、空中で視認した辺り一帯の地図を擦り合わせる。
熟考に浸りながら周囲を警戒していると、道周の注意が茂みの一点で止まった。道周が察知した小さな違和は、ついつい見逃してしまいさあなほどに微々たるものだ。
その違和が示すこととは、人為的に気配を隠そうとしているということ。気配を"消す"のではなく、周囲と"同化させる"という高等技術から鑑みて、道周たちの異世界召喚を知っていた者である。
(何者かは分からないが、見過ごすかよ)
道周は潜伏している者に勘付かれまいと、慎重に腰を落とす。足下の石視線もやらずに静かに手を伸ばしていると、茂みの中の相手が明確な揺らぎを見せた。
(さすがに気付かれたか!?)
道周は焦りを感じ、なりふり構わず石を拾い上げた。潜伏している相手が森の中に駆け出せば、土地勘のない道周が追い付くことは不可能である。
どうせ逃げられるなら、出血をさせて痕跡を残さなければいけない。もし手掛かりの一つもなければ、異世界転生のスタートダッシュに失敗することを道周はよく知っていた。
道周は拾い上げた石を大きく振りかぶり、投擲の構えを取る。
「……って、マジかよ!?」
道周は思わず声を荒らげた。
何に?
それは潜伏していた相手が尻尾を巻くことなく、逆に攻勢に転じたからだ。
潜伏者から一転、襲撃者へと変貌した相手は草木を掻き分けて飛び出す。
襲撃者はねずみ色のローブでシルエットを隠し、深く被ったフードで素顔も隠す。ただその手に持った短剣はキラリと輝き、その鋭さを主張している。
迷うことなく最短距離で一直線に剣が迫る。襲撃者は道周の腹部を目掛けて短剣を突きだ出した。
「ふぇっ!?」
「くっ!」
マリーと道周の呼吸が交差する。
マリーは突然の襲撃に硬直し、道周は身体を仰け反らせて攻撃を避ける。
襲撃者は大きく体勢の崩れた道周に的を絞り、順手に持った30センチほどの短剣を連続で突き出す。無駄のなく、躊躇いもない切っ先は的確に道周の腹部を狙う。
道周も必死に回避に徹し、3歩後退する内に5つの掠り傷を付けられた。
だが道周とてただ回避していたわけではなく、後退する3歩で体勢を立て直す。さらには襲撃者を自分へ引き付けることにより、マリーとの距離を取らせることに成功した。
「と、今度はこっちの番だ」
体勢を整えた道周は反撃に出る。湖畔の土にどっしりと着けた両足で踏み込み、右手に持った石を襲撃者の頭へ振り下ろす。
襲撃者は深くかぶったフードで視覚が真上まで届かないにも関わらず、死角から振り下ろされた反撃を身を翻して避けた。
舞うようにヒラリとステップを踏んだ襲撃者は、ねずみ色のローブをはためかせて転身する。軽い足取りで地面を蹴ると、驚くべき速さで道周に肉薄した。
「速いっ」
道周の言葉に嘘はない。その小柄な体躯からは想像できないほどの健脚は目を見張るものがある。
襲撃者はすさかず短剣を突き出し刃を立てる。
道周は苦し紛れに石を祝部刀身に命中させる。これが功を奏し、短剣は僅かに速度を落とした。
「くっ!?」
予想外の抵抗に、沈黙を貫いた襲撃者も思わず声を漏らした。
好機を見出だした道周は、すかさず短剣を握る右手首を取る。
しかし道周が腕を内側へ捻ろうとする前に、襲撃者は後方へ跳躍して道周の手を振りほどいた。
今の攻防で冷や汗を流す道周は、呼吸を整え汗を拭う。
一方、傍観者となったマリーは手出しをすることなどできるはずもない。ただ目の前の攻防に息を飲み、道周の手慣れた動きを驚嘆の思いで見守っていた。
道周の思わぬ反撃と粘りに見舞われた襲撃者は、再度攻撃を仕掛けるために姿勢を低くした。まるで獣のように地に伏せ、短剣を逆手に持ち変える。
襲撃者は相変わらず深くフードをかぶり、ローブは襟元までしっかりと閉じられているため、尊顔どころか表情すら見えはしない。
しかし僅かに垣間見える口元は真一文字に結ばれており、露になっているしなやかな肢体には無駄のない柔軟な筋肉が窺える。
そして短剣を順手から逆手に持ち変えたことの意味を、道周は知っていた。
(低い姿勢に逆手持ち……。
「突き」と「斬る」の動きから、「斬る」ことに特化した構え。こいつ、慣れてやがるな)
道周は襲撃者に対して構えを取った。正面からの特攻に対して、腰を落として両手を上げる。
襲撃者は短く息を切ると、地面を強く蹴りつける。小さな砂埃を巻き上げ、襲撃者は放たれた矢のように一直線に道周へ迫る。
「ふっ!」
低い位置から道周の喉元へ向けられる短剣は怪しく光る。
躊躇のない特攻を向けられた道周は、襲いかかる動きに逆らうことはしなかった。
道周は短剣の切っ先をギリギリまで引き付けると身体を背面に反らせた。掬うように短剣とそれを持つ腕を絡めとり背中から倒れ込む。このとき道周はただ倒れ込むのではなく、同時に片足で襲撃者を蹴り上げていた。
襲撃者の前進する勢いと道周が背面へ倒れ込む勢いは足し合わされ、蹴りつける足がそれを加速させる。
端から傍観していたマリーは、目の前で道周がとった技を知っていた。
「と、巴投げ!」
正確に言えば巴投げを模した背面への投げ技だが、柔術の応用には変わりない。
異世界の地において、「Japanese JUJTSU」が火を吹いた。
「っ!? あ、ぁぁぁ……!?」
襲撃者は流れるように投げ飛ばされ天高く舞い上がった後、背中から湖に落ちた。
水飛沫が眩しく、湖面には激しく波が起こる。
湖に投げ飛ばされた襲撃者はブクブクと泡を吹き出して、しばらくして浮上した。
着水の勢いでローブの留め具が外れフードは脱げてしまっている。ねずみ色のローブは湖面を漂い、襲撃者の正体が露になる。
「あたたた……。お見逸れいたしました。まさか宙を投げられるとは」
水面から姿を現した襲撃者は屈託のない笑顔で道周たちに微笑んだ。
全身を隈無く水浸しにし、シルバーの髪から止めどなく滴が落ちる。
ショートパンツにノースリーブという身軽な格好で、身軽に湖畔へ上陸する。肩までの銀髪を耳にかけると、その特徴的な尖った耳が目に入る。
その姿を見て、マリーは思わず感想を漏らす。
「お、女の子?」
「はい。私の名はソフィ。ソフィ・ハンナと申します。
訳あってお手合わせをさせていただきました。そのご無礼をお許ししていただきたい」
ソフィと名乗った少女は、ずぶ濡れであるにも関わらず丁寧な所作で振る舞う。
襲撃時の気迫と打って変わった身の振り方に、道周もマリーも面喰らってしまう。
しかし誰かが返答をしなければ話は進まない。
身の硬直を振り切って道周がソフィに答える。
「もう攻撃の意思はないと?」
「はい。私はあなた方の実力を知りたく、試させていただきました」
「それで、お眼鏡にはかなったかな?」
「それはもう十分に。異世界から召喚されるだけの実力者であると」
そこでソフィの言葉は途切れた。ソフィという少女の視線は道周からマリーへ移る。
ソフィは道周とは一戦交えたが、マリーはそれをただ傍観していただけだ。手も足も出せずに見ていただけのマリーを疑うのも無理はない。
そしてソフィと同じことを道周も考えていた。マリーは道周の道連れで召喚されただけの少女だ。
ここでソフィがマリーの実力を試す、なんて言い出す前に話題を変えなければならない。
道周は抱いていた疑問を手早くソフィにぶつける。
「ここは俺たちにとっては異世界、そういうことで間違いないか?」
「その答えは『Yes』です。ここは『フロンティア大陸』。あなた方の世界には存在しない場所です」
ソフィの金眼に迷いはなく、歯切れよく大陸の名を告げる。
「フロンティア」
「大陸……っ!」
これから巡り巡る新世界の名を、道周とマリーはそれぞれの思いとともに噛み締める。
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