第4話「異世界転生する男 2」

 牛角の大男ミノタウロスは歪んだ笑みを浮かべた。

 頭部の角で天井を穿ち、有り余る暴力と巨体で店内の棚を薙ぎ払う。


「っ! 危ない!」


 道周は機敏な動きでマリーを庇う。一っ飛びでマリーの元へ向かい、勢いそのまま体当たりで2人は転がる。

 マリーが立ち尽くしていた場所にはドミノ倒しで棚が倒れ、酒瓶が無惨に割れている。


「あ、ありがとうミッチー」

「礼はいい。逃げるぞ……」

「……うん!」


 体勢を立て直した2人は店内唯一の出入口を目指す。

 しかし自動ドアまでの軌跡の上には猛り狂うミノタウロスがいる。

 どうしたものか、と二の足を踏んでいる間にも、ミノタウロスは怒号とともに豪腕を奮う。


「Fuuruuaaa!!」

「きゃぁっ!」


 電柱ほどの太さを誇る巨腕の下を潜り、マリーと道周は攻撃を避ける。同時に道周はマリーの手を強く引いて駆け出した。


「ミッチー、そっちは」

「分かってる! 俺が合図をしたら、ドアまで走るぞ。準備しろよ」


 ミノタウロスの攻撃を命からがら抜け出した2人は、レジカウンターの下へ逃げ込んだ。

 ミノタウロスの視界からは一時的に隠れることができたが、逃げる瞬間を目で追われていれば袋の鼠だ。そうでなくとも、ミノタウロスの破壊が進めばレジカウンターの下ですら安全圏ではなくなる。

 マリーは肩で呼吸をしながらも懸命に息を殺し、逸る鼓動を抑えながら道周の思惑を探る。だがいくら考えても、道周の狙いは分からない。


(いっそドアまで走った方がよかったんじゃ……)


 マリーの中に選択をミスったか、という疑念が生まれる。が背後に依然として存在するミノタウロスの重圧を感じると、馬鹿な賭けだと一蹴した。

 マリーはこの絶対絶命な状況に絶望し、後悔のあまり大粒の涙が頬を流れる。


もし時間通りに帰っていれば。


そもそも、こんな暴風雨の日にバイトなんて来なければよかった。


 そんな思いが込み上げると、涙が止まらなくなる。溢れそうになる嗚咽を必死に抑えるも、背中は大きく上下に揺れた。


「……っ!?」


 突然マリーの不安は消える。

 マリーは左手に感じた温もりに目をやった。そこでは道周が言葉もなく、マリーの手を握っていた。

 何よりもマリーを安心させたのは、道周の瞳に宿る光だった。

 道周は、ミノタウロスという規格外で常識外れの怪物を目の当たりにしても諦めていない。

 何か突破口があるような、道周なら打開できるのではないかと、不思議とそんな気持ちにさせられる。


(そうだ。

 私がいなくても、ミッチーはこの怪物に襲われていたかもしれないんだ。自分だけが助かったかもしれない後悔なんて、ダサい)


 マリーの目に涙はなく、決意の思いが表情として表れる。

 マリーの覚悟を待っていたかのように、道周が合図を出した。


「……行くぞマリー。外まで走れ!」

「うんっ!」


 道周の合図でマリーは飛び出した。

 狭いレジカウンターの中で精一杯の助走を着け、カウンターを一息で飛び越える。ミノタウロスがカウンター上の機材の一切を薙ぎ払ったお陰で障害はない。運動神経が特別いいわけではないマリーだが、難なくドアから暴風雨吹き荒ぶ外まで走り抜けた。


「ミッチー!」


 マリーが振り返ると、道周は未だレジカウンターの中でミノタウロスと睨み遇っていた。


「何してるのミッチー! 早く逃げないと!

 おい怪物! こっちだ!」


 マリーが健気にミノタウロスの気を引こうと叫ぶが、ミノタウロスは振り向くどころか耳すら貸しはしない。

 ミノタウロスの瞳には道周しか写っていない。まるでかのように。


「GugyaaAAA!」


 ミノタウロスが叫ぶ。人の頭を包み込む掌を固く握り締め、怪力にものを言わせて出鱈目に殴り付ける。

 道周は素早く器用にカウンターの中を動き回り、ミノタウロスの一撃を避ける。しかしそれも時間の問題だ。カウンターは粘土の如く曲がりひしゃげひび割れ砕かれる。

 その光景はもぐら叩きのようで、マリーは思わず目を反らす。


「……俺だって、こんなところで死ぬつもりはねぇっ!!」


 すると道周が吠えた。

 ハッとしたマリーは、道周の生き様を目に焼き付ける。

 道周はレジ裏にあるフライヤーをミノタウロスに向かって投げ付けていた。

 拳擊を連打したミノタウロスは近距離まで近付いており、予想外の反撃を避けきれない。


「Guaaarrr……!」


 熱々の油は約200℃。それを顔面にもろに受けたミノタウロスは、両手で顔を覆いながら後ろへよろめいた。


「ざまぁみろ」


 ミノタウロスが怯んだ隙に道周は店内から脱出する。

 マリーは胸を撫で下ろすが、道周の捨て身の作戦に怒りを露にしていた。


「1人で立ち向かうとかミッチーカッコつけすぎじゃない? ほんと心配したんだからね!」

「ごめん。マリーのダッシュに気を取られたところに、油をかけるつもりだったんだけど、見向きもしなかったから」

「私囮だったの!? それはそれでひどくない!?」

「怒るなって。泣いてたこと秘密にしてやるから」

「……っっ! んんっー!」


 道周が何を言ってもマリーは憤慨する。最後の一言は道周が圧倒的にデリカシーに欠けているのだが。


「とりあえず、早くここから離れよう」

「そ、それもそうだね。こう言うときって警察に通報すればいいのかな?」

「うーん、分からん!」


 2人は明かりの灯るコンビニに背を向け、暴風と豪雨が降り頻る夜道へ駆け出した。手に握ったスマホで110番をコールしたとき、行く手を阻む壁が


「GUuuu……」


 腹の底に響くような呻き声と、隠すことのない殺意の波動。暗闇に浮かぶ充血した眼は燦然と紅く煌めく。


「う、そ……」


 嘘ではない。

 確かにこの怪物は怯んだ。眼球に熱せられた油を受け、左目の視力は奪われている。ひいては様々な臭いと熱の入り交じった油が鼻腔に詰まり、鼻が効かない。

 ミノタウロスは使命のために奮い立ち、獣の本能をもってして2人に牙を剥く。

 眼前に立ち塞がるミノタウロスを相手に、道周に躊躇いはなかった。己の命を切り捨てても、マリーだけは逃がす。道周にはそれができる。


(こうなりゃ隠してられない! 今、やらねぇと!)


 道周が左手首のブレスレットに右手を掲げる。群青色のブレスレットは青白く大きな光を蓄え、放つ、その瞬間、

 ミノタウロスは巨躯に背負う得物に手をかけた。


「しまった……!」


 思わず道周が叫ぶ。

 それもそのはず。ミノタウロスが手にしたのは、人間1人ほどの大きさの牛刀だった。

 最初から使われていれば、抵抗の暇もなく断割できていた。しかし、ミノタウロスはそれをしなかった。

 その理由は今となっては分からない。

 空想上の怪物としての矜持なのか、人の子に対する高慢なのか、奥の手としてとっておいたのか。

 一つだけ分かるとするなら、ミノタウロスは道周たちにとって最悪のタイミングで牛刀を持ち出した。

 道周も、ミノタウロスの規格外の体格に見落としてしまっていたことに歯痒さを噛み締める。有り得ない事態ではない。道周が警戒を怠ったことによる窮地であり、実戦から離れていた廃れである。


(今から魔剣を呼び出して抜刀し……、防げるか?)


 道周はミノタウロスが牛刀を振りかぶる間に、脳内でシミュレーションを重ねる。

 数多ものシミュレーションの結果、勝算はない。

 ミノタウロスの力に任せた一振りを防ぐには後出しがすぎた。全盛期の"魔剣使い"であっても不可能であろう芸当だ。

 マリーもミノタウロスの大振りに諦めを感じ、静かに道周の手を取る。


「ミッチー……」

「ごめんマリー。次があるなら、絶対守るから……」


「FuuGAaaa----!!」




 これが彼らの2度目の異世界転生。

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