第632話「愛してるゲームをやめさせたい」
「兄さん兄さんっ。『愛してるゲーム』しませんか?」
「あなた達にとって世界一不毛なゲーム来たわね」
風呂にも入り、晩飯も食い終わり。
あとは寝るだけといったこの時刻、ブルームフィールド邸に住まう面々は談話室へと集まり、のんべんだらりと過ごしていることが多い。
寝間着姿のまま柔らかなソファに沈み、食後のお茶を楽しんだり、テレビを見たり……こうして取り留めもない話をしたり。
その日によって過ごし方は異なるが、今夜はどうやら刀花に希望があるらしい。
「寡聞にしてこの兄は、その『愛してるげぇむ』とやらを知らぬ。どういったものなのだ?」
片仮名のコの字型のソファ、俺の対面に座る刀花に聞けば、我が妹はキラキラとした笑顔で「はいっ」と元気いっぱいに答えてくれる。黄色い猫ちゃん柄パジャマも可愛らしい。
「これはですねぇ、相手を見ながら『愛してる』って伝えて、それで照れちゃった方が負けなんです!」
「ほうほう。ちなみに、勝つとどうなる?」
「お相手と結婚できます」
「負けるとどうなる?」
「お相手と結婚しちゃいます」
「勝負の舞台に上がった時点で負けなクソゲーやめなさい」
刀花の左隣に座ってお茶を飲んでいたリゼットがチクリと言う。こちらは黒い生地が滑らかなドレス風の寝間着である。お人形さんのように愛らしい。
やはり俺のご主人様は絵になる……と見惚れていれば、妹は口許に手を当てヒソヒソと深刻そうに言う。
「実際、お相手に一方的に宣戦布告し、そのままなし崩し的に結婚しようとする"辻愛してるゲーム"が一時期社会問題に──」
「なんともはや」
「平気で嘘教えないの。あなたも信じない」
「また叩いてあげましょうか、愚弟?」
こちらの左隣に座る、黒い浴衣姿の姉上が冗談交じりに手を掲げた。『また』というのは、俺が夕刻に魔術を使いあっぱらぱーとなっていた折、帰宅した姉上に「えいっ」と斜め四十五度の角度から頭に手刀を受け、事なきを得たことに由来する。
からかうような速度で迫る姉上の手刀を軽くいなしながら、俺は妹に向け「うむ」と頷いた。
「あいわかった。刀花がそれをしたいと言うのならば異議はない。そしてこの無双の戦鬼は、挑まれた勝負からは決して逃げぬのだ」
「むふー、素敵です。では、どうぞ!」
ビシッと手を差し向けられた。俺が先手らしい。
では僭越ながら……キラキラと期待に輝く琥珀色の瞳、犬の尻尾のように楽しげに揺れるポニーテール。
そんな可愛げ溢れる妹を正面に捉え、俺は臆さず言葉を告げた。
「刀花……『子どもは三人くらい欲しい』」
「早速なんか違うのよね」
「リゼットさん……お相手の言葉にムラっときちゃうと、レギュレーション的にはどうなっちゃうんでしたっけ」
「初手から盤面ごと吹っ飛んでいったゲームのレギュレーションなんて知らないのよ私は」
「姉さん?」
「お姉ちゃんにも分からないことはありますので……」
なかなかに"てくにかる"ということなのだな、この『愛してるげぇむ』とやらは!
「では妹からも……ふっ──!」
「なんで一瞬でジンの背後とったの」
首に妹の腕が絡み、かすかな音色がこそばゆい振動でもって我が鼓膜を揺らす──!
「兄さん……『今夜も兄さんの硬い○○○○○で妹のとろとろ○○○○をぐちゅぐちゅ○○○して○○○○されちゃいたいです……♡』」
「これ『どっちがより過激なこと言って私の逆鱗に触れるかゲーム』?」
「どうですか!?」
「なにが? 恥じらいの観点で言ったら、そこで真っ赤になって縮こまってるサヤカが一番負けてるけれど」
「うぅむ……とても……とても興奮した……」
「私も血圧上がってきたかも。あなた達とは別の理由でね」
「「では……判定は!?」」
「だから知らないって言ってるでしょこんなクソゲーのレギュレーションなんて!!」
今回は引き分けといったところか……なかなかに奥の深いげぇむだ。背後から妹に抱きつかれながら、俺は悟った。
「うむ……言葉の改良のみでなく声量、発する角度、距離もまた技の妙になるというわけか。今後の参考になるな……」
「二度とやらせないから今後もなにもないわよ」
「ナイスファイトでした兄さん♪ では、次はリゼットさんですね!」
「は? やらないけど」
「はいリゼットさんの負け~♪ 私と兄さんは一着でゴールインです♡」
「は? やるけど」
「ふむふむ……? 刀花ちゃんはこれに加え、更にレースゲームの側面も含めたゲームに最終的にはしたいと……」
「こんなののルール構築なんて真剣に考えなくていいからサヤカ……こほん」
刀花の口車に乗せられ、リゼットは咳払いしつつ座り直す。どうやら我が敬愛するご主人様から、愛の言葉を賜れるらしい。
「……う」
俺もまた彼女の深紅の瞳を、期待と共に見つめる。
すると、ご主人様の頬はますます赤くなっていく。瞳も潤む。たとえ言葉に出さずとも、その乙女な態度こそが如実にこちらへの恋情を伝えていた。
「んもう。言葉にする前から恥ずかしがってどうするんですかリゼットさん?」
「う……そ、そもそもっ、そういう言葉は表に出すのではなく、秘めてこそ美しいっていうか?」
「リゼットさんって負けそうになる時にちゃぶ台返しするの本当に好きですよね」
「初手からちゃぶ台を宇宙の彼方に吹き飛ばした人に言われたくはないのよ」
好機──!!
「マスター。『愛してるぞ』」
「あ、わっ、えっ……ふにゃ……!?」
テンションの乱高下により、マスターは混乱している……!
「攻めても負け、攻められても負け……リゼットさんはなんだったら勝てるのでしょうか……?」
「はっ!? う、うるさいっ。普通のゲームだったら勝てるわよ! なんなら今からする!? 私のザ○ギエフでボコボコにしてあげますけど!?」
「ふわ……すみませんリゼットさん。眠くなってきちゃったんで、私もう寝ますね……明日なら遊んであげますから……」
「私がワガママ言ってるみたいにするのやめてくれない!? ちょっ、こらーーー!?」
よたよたと空ろな歩みで退室していく刀花に、どうしても文句を言いたいのか目を三角にして後へと続くリゼット。少し離れても、その喧騒が廊下から届いてくる。やはり同級生同士は仲が良いな。あの二人で『愛してるげぇむ』をしてくれないものか……。
「さて……」
そんな素敵な光景を思い浮かべつつ、俺も席を立つ。使い終わったカップを洗って、今日の業務は終了……いや、この後に恐らく不貞腐れているであろう可愛いご主人様を慰める重大な仕事も残っているか。無双の戦鬼の夜は遅い……。
「じ~……」
「む?」
……しかし。
こちらを見つめ続ける瞳が、片付けの手を止めさせた。姉上がソファに腰を下ろしたまま、なぜかこちらを湿っぽい瞳で見つめ続けているのだ。
てっきりこのまま流れで片付けの手伝いをしてくれるものと思っていたのだが……はて、なにかこの弟が、姉上のご機嫌を損ねるようなことをしただろうか? いやいつもしてはいるのだが。
「なにか? 姉上」
「……ふ~む」
こういった時は素直に聞くに限る。酒上家家訓『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』である。
机の脇で聞けば、姉上は湿っぽい視線のまま、ちょっぴり唇を尖らせて……。
「……お姉ちゃんには、言ってくださらないのですか?」
「はっ──」
そこからは早かった。
いじらしくも愛の言葉を待つ我が美しき姉上の前に跪き、その白魚が如き手を取る。
小さく滑らかな彼女の手を両手で包み込み。俺は努めて史上最高に愛情を喉に込め、こちらを見下ろす深淵なる瞳へ言葉を紡いだ。
「姉上……『愛している』」
「……ふむ」
……どうだ。
発した俺でさえ百年に一度とすら思えるこの会心の低音を聞いた姉上は……?
「ふむ」
いたって平静な顔をしながら、姉上は視線を左上に。
「ふむふむ」
今度は右上に。
「ふむふむふむ」
次に左下……。
「ふむふむふむふむ」
最後に右下へ……わ、分からない。それは彼女にとってどういった感情が芽生えた際の仕草なのか……。
軽く混乱していれば、そんな弟の狼狽が伝わったのか、姉上は口許に指を添えてそっと笑う。
「……クス♪ さて、お片付けしてしまいましょうか」
「む? いや……」
次は姉上が『愛している』と言ってくれる番ではないか?
しかし姉上は雅な仕草で浴衣の裾を整えつつ、悠然と立ち上がって弟の横を通り過ぎていった。
「クス、私の負けでいいですよ。今回は、お前の勝ちということで」
「む、いや、しかし。それより俺は、姉上からの愛の言葉が──」
「勝敗は決したのですから、続ける意味などありますまい? さて、お片付けお片付け♪」
「あ、姉上……? 姉上……!?」
全員分の食器を乗せたカートを、姉上はコロコロと楽しそうに運んでいく。愛を待つ弟を置き去りにして。そ、そのように無体なことを!?
「あ、姉上! どうか! どうか俺に愛の言葉を……!」
「クスクス♪ 知りませ~んよ♡」
勝ち逃げとはまた異なる戦法で、姉上はそのまま美味しいところだけを掠め取っていく。なんだこれは……!?
「あ、姉上ぇ~~~!!」
「はいはい、お前の愛するお姉ちゃんはこっちですよ~♡」
そんな戦巧者でイタズラっぽい姉上を、今夜の俺は情けなくも追いかけることしかできぬのであった……。
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