第319話「え、だいたい嫌い」



 ──わ、私が先輩を守らないと!!


 今こそ、あの夜の恩を返す時! このいかにも不審者な和服男さんから、先輩を守りきってみせます! だから先輩、白目剥いてないで早く戻ってきてくださいやっぱり一人じゃ怖いんですぅー!


「だだだ、誰なんですかあなたっ!」

「……ほう。この俺が誰かと、そう聞いたか?」


 聞きましたけどなんでちょっと嬉しそうなんですかっ。さっきは「ルームサービス」って言ってましたけど騙されませんよ! 普通のルームサービスは虫さんみたいにいつの間にか部屋の中に侵入してきたりしませんもん!

 私は自分が黄色いパジャマ姿であることも忘れて、涙目で男の人を睨む。すると彼は面白そうにクツクツと肩を震わせて、バサリと黒い和服の裾を翻した。


「我こそは、無双の戦──」

「コンシェルジュゥア゛ァーッ!!!」

「せ、先輩ーーー!?」


 何か名乗ろうとした男の人を、先輩が奇声を上げてローリングソバット! 先輩すごいんですけど裸Yシャツでやる技じゃないと思います!……ってあぁ! 普通に受け止められてイタズラした猫ちゃんみたいにブラーンと首元掴まれちゃってますー!


「えー、カノンちゃん」

「は、はい。あの、大丈夫ですか先輩。あと裾が……」


 手で前裾を下げて隠しても、後ろの男の人からはお尻が丸見えなんじゃ……!


「この人は、コンシェルジュです。普通の、コンシェルジュなんです」

「えっ」


 普通のコンシェルジュさんはしれっと密室に入って来たりローリングソバットを受け止めたりしないと思うんですけど……ほら、その男の人も「???」って首を傾げちゃってるじゃないですかっ!


「なー? コンシェルジュだよなー? おいテメーはあたしの臣下だもんなー? あとあたしの尻ばっか見てんじゃねぇ!」


 ひぃっ、先輩が男の人の頬をペチペチしてる! あああ危ないですよ先輩! しかもそんな誰か殺してそうな目の人が、誰かに従うなんてあり得な──、


「ウズウズ……」


 いやすごい嬉しそうにして身体を揺らしてるんですけどこの人! 『あたしの臣下』って言われた瞬間、耳がピョコンと立って尻尾をブンブンしてる犬のイメージが! 友達の家の大型犬とか、家人が帰ってきた時にそういう反応する!

 そうして男の人は先輩をゆったりと下ろして、乱れた服装を直してあげた後、こちらに向き直ってまたバサリと和服の裾をはためかせた。それ好きなんですか?


「いかにも、我こそは吉良坂ガーネットの"こんしぇるじゅ"である」


 コンシェルジュさんでした!


「じゃあさっきの『無双の』ってなんだったんですか?」

「無双の──"こんしぇるじゅ"である」


 無双のコンシェルジュさんでした! つよそう。

 じゃあ本当にピザを届けに来ただけの人なんだ。それにしてはすごい格好だけど……普通は洋服を着るものじゃ……。


「このタワマンのコンシェルジュは各部屋に一人専用がついて、それをカスタマイズできるんだわ」


 カスタムコンシェルジュ!

 やっぱり一流になると色々できるんだなぁ……じゃあ先輩って和風が好みなのかも。私も今度、お着物買ってみようかなぁ?

 私がそんな風に悩ましげにお財布と相談していると、目の前の二人はなにやら軽い調子でやり取りしている。専用のコンシェルジュだから気安い関係なのかな。私は聞き耳を立ててみた。


「おい、乙女の部屋に勝手に入んなっていつも言ってんだろうが」

「異なことを。ならばなぜ、俺にわざわざ合鍵を作って渡しているというのだ」


 合鍵でドアチェーンは外せないと思うんですけど……。


「だってスマホのアラームで朝起きるのなんかしんどいしぃ~、いつもママ上に起こしてもらってたからよ。あとゴミ出しめんどい。だからせめて入る時はチャイム鳴らせや」

「我々の関係にそのようなもの、必要が?」

「いるだろバカタレ、あたしが女を連れ込んでるでしょうが!!」

「それとその寝間着についてだが」

「あっ──な、なんだヨ……」

「クク、とてもよく似合っているではないか」

「あ、当たり前じゃん? あたしに着こなせない服なんてありませんしおすし~。裸Yシャツもお手の物ってなもんで……あ、あんまジロジロ見んなよなー……もぉ、ばか……」


 本当にただのコンシェルジュと雇用主の関係なんですよね!?

 なんか! なんかすごいピンク色のシャボントーンが周囲に浮いて見えるんですけど! 先輩がシャツの裾を下に引っ張ってモジモジしてポワポワしてるんですけどー!?

 私が知らないだけ? 田舎から出てきた芋娘が知らないだけで都会の一流アイドルは専用の召し使いさんに朝起こしてもらってるんですかー!?


「あ、怪しい……」


 怪しい! でもプロ意識の高い先輩が簡単に男の人に靡くとは考えられない!

 つまり……この男の人、先輩を誑かそうとする悪い人なのでは? スキャンダルの火種になる危険性があるのでは!? 二人の関係性を解き明かさなくてはならないのでは!? というか潔白を証明しないと私、今夜不安で眠れません!

 先輩の『可愛い女の子を食べる』という悪い噂の真偽を確かめに来たはずだけど……守らなきゃ。先輩の芸能活動の安寧は、私が守らなきゃ……!


「ど、どこの所属なんですかあなたはっ、会社名はっ。名刺をください!」

「む」


 まずは名前と所属を知らないと! たとえ偽名や架空の会社でも、名刺が何かの手がかりになること多いし! ドラマで見たんですからね!


「それとも出せないんですか!? やっぱり不審者──」

「当方、ブルームフィールド邸従僕、酒上刃である」

「あ、ご丁寧にどうも……シャイニーズ事務所所属の河合カノンです……」

「いっつも思うけどあたしらの事務所の名前よく怒られないよね」


 頭をペコペコと下げつつ名刺交換……薔薇の模様とデフォルメされた刀が背景に刺繍されたチャーミングな名刺だ……なんで刀?

 あとやっぱり聞いたことない会社。個人運営? 電話して確かめようにも、ここは電波がないから確かめようが……!


「オメー名刺なんて持ってたんか……」

「食材はその辺のスーパーでも買えるが、我が主用の紅茶は信用が必要な店舗から卸さねばならん時もあるのでな」

「へー、つかあんたの下僕らしいところ初めて見たかも……じぃ~……」

「なんだ?」

「……あたし、貰ってないんだけど」

「必要ないだろう。俺の連絡先など全て知っているではないか」

「……」

「分かった、分かったから頬をプクらせるな。素直に欲しいと言えばいいだろう。俺は何も断らん」

「は? あたし欲しいなんて一言も言ってないんだが? だが貰えるもんは病気以外ならなんでも貰うぜヒャッハー!」


 ああ! 名刺を奪った先輩が嬉しそうに胸ポケットに仕舞ってる! 二人の繋がりを深めちゃいましたぁ!

 くっ、このままでは『先輩に男の影あり』なんて根も葉もない噂が広まってしまいます! それはいけません! というか早く私に、自分達はただの雇用関係であるという証拠なり雰囲気なり見せてくださいよう!


「あ、やべ。ピザ忘れてたわ。冷めない内に食べよ、カノンちゃん」

「あ、そ、そうですね」

「おう刃、オメーはもう帰れよ。今夜はカノンちゃんとお楽しみするって決めてんだからよ」

「そう言うな、ガーネット。茶の一杯くらいは淹れさせろ」


 名前呼び……。


「紅茶はラクシ○ミーでいいか?」

「ピザに蜂蜜入り紅茶ってどうよ」

「だが好きだろう。俺に起床を頼んだ時は大方これではないか。ああ、それとラピス嬢から土産を預かっている。スコーンを焼いたそうだ」

「わーい。ガーネット、ママの焼いてくれたスコーンだいすきー。でも人の母親を嬢付けで呼ぶヤローは嫌い」

「そう呼べと言われたぞ」

「なにやってんだいママん……!」


 好みを知り尽くして家族付き合いまで!?

 う、立ちくらみが……先輩? 信じていいんですよね先輩!?


「そら、そちらにも」

「ど、どうも……」


 あ、私にも紅茶……へ、変な薬とか入ってませんよね? 先輩はガブガブ飲んでますけどっ。

 私と先輩はリビングの中央に置かれたテーブル席に着き、コンシェルジュさんは脇に立ったまま。それを横目で注意深く見ながら、私は紅茶を一口……あ。


「おいし──はっ! コホン。け、結構なお点前で」

「それはよかった。見るにそちらはガーネットの大切な後輩。そんな者に下手な紅茶を出したとなれば、彼女に恥をかかせることになる。可憐な少女の顔を曇らせたとなれば、我が職務の沽券にもかかわるのでな。気に入ってくれてなによりだ。お代わりはいるか?」

「へっ、あ、は、はい……」

「オメー、そういうこと言うのやめろよなー……」


 な、なんなんですか。

 なんなんですかこの人ー! ドラマの台詞みたいにキザな言葉を恥ずかしげもなく! 背中が痒くなっちゃう台詞禁止ですー!


「これが大人の男の人の余裕ってやつですかっ……」

「こいつ高二やで。母校の後輩なんよ」


 私と同級……!? あと更に繋がりを見せてくるのやめてくださいー! わ、私は先輩の潔白を証明しないといけないのに!

 あ、そうだ!


「こ、恋人はいらっしゃるんですか?」

「え、おいやめとけカノンちゃん。こいつ普通に暴力とまでは言わないけど意地悪してくるタイプのヤローだぞ。だいぶMっ気がないと身がもたねーぜ?」

「そ、そういうことじゃありませんっ」


 言ってから「そういう風にも聞こえるかも」って後悔しましたけどっ。あと匂わせやめてくださいってば、なんで知ってるんですかぁ!


「ど、どうなんですかっ」

「いる」

「へっ?」


 思わず変な声でキョトンとしてしまったけれど……いるんですか?

 あ、なんだぁ! いるんですって先輩! もう、それを早く言ってくださいよぉ。私、妙に勘繰っちゃって恥ずかしい子みたいになっちゃったじゃないですかぁ~。


「そら、ガーネット? あーん」

「あーん♡ スコーンおいちい!」

「そうらこちらも、あーん」

「熱々のピッツァをあーんしてくるDVヤローに全ガーネットが泣いたアチチチチチチ!!」


 果たして恋人がいる男の人は、なんとも思っていない女の子に"あーん"をするものなのでしょうか。その謎を探るべく、私は思考の海へと潜り込みました……。


(あ~や~し~い~……!)


 そもそも!

 恋人がいるからって、他の女の子に手を出さない保証なんてないですよね! それも一般人なら絶対に届かないトップアイドル相手ですもんね! 男の人って! 男の人って!


「む? ……あーん?」


 いや私も欲しいと言ってるわけではありませんのでこちらにピザを差し出さないでくれませんか! そういうのは彼氏にしてもらいますので! 彼氏いたことないんですけど!


「先輩! この人とはどういうご関係なのか今一度ご説明を!」

「ペット」

「ペット!? なんば言いよっと!?」


 せ、先輩がアブノーマルな趣味を……! コンシェルジュはどこに行ったんですか!? 先輩もう面倒くさくなってテキトーになってませんか!?


「いやカノンちゃん。あたしも最近までは知らなかったけど、主従って関係の人達は日常的にこういうことやってんだわ。フツーなんだわ。フツーフツー」


 先輩は何でもないように手をヒラヒラと振ってそう言う。げに~?


「……先輩は、その人のことどう思ってるんですか。すっ、好きなんですか?」

「え、だいたい嫌い」


 えぇ……?


「俺はこんなにも愛しているというのに」


 えぇ……!?


「あ、頭が痛いです……ちょっと、ちょっと横になりますね……」

「あ、カノンちゃんそっちは──」


 もう何も分からない……本当に頭が痛くなってきた私は、ヨロヨロと立ち上がって隣室の扉を開ける。寝室はこっちかなぁ……?


「え?」


 しかし。

 しかし予想に反して、そこは寝室ではなかった。


 ……普通の部屋でも、なかった。


 ──グツグツグツグツ。


 そんな何かが煮える音を立てるのは、中央に設置された巨大な釜。釜の中では化学の授業でも見たことのない極彩色な液体がポコポコと泡を立て、そこから立ち昇る妖しげなピンクの臭気が部屋中に充満していた。

 まるで……。

 そう。まるで童話に出てくる悪い魔女が、子ども達を食べるべく掻き回しているお鍋のような……。


「──っ」


 そこで私の脳裏に、事務所の人達が言っていた言葉がリフレインされる。


『ガーネットは可愛い女の子を、食べる』


 ……食べる。たべる。タベル。


「……えっ」


 食べるって、


 ……そういうことなの……?


「……っ!?」


 その思考に至った瞬間、サッと血の気が引く。扉を開けた姿勢のまま、無様にも恐怖で足が動かせない。

 だから──、


「──ごめんねぇ、カノンちゃん」

「もごっ!?」


 後ろから迫る両腕に、対処できなかった。

 鼻と口を覆うように押し当てられる柔らかい何か。それに接したまま息をすれば、甘い香りと共に思考が鈍っていく。

 せ、先輩!? なにしてるんですかー!?


「お暴れにならないで! あたしもしたくはないんだけどさー、ほら、決まりだから。大丈夫大丈夫。今夜の記憶はスッポリと消えるけど、日常生活には支障のないお薬だからさ」


 ど、どういう……じゃあ本当に、目の前のこれは……!


「グッナイ、カノンちゃん。次こそは楽しいパジャマぱーちぃしようねぇ……」

「うっ、むぐ──」


 その言葉と、背中に当たる先輩のお胸の柔らかい感触を最後に。

 私は翌朝、綺麗さっぱり男の人のこともすっかり忘れて起きるまで、安らかな眠りへと落ちていくのだった。





 ったくよー。


「テメーのせいで、あたしの計画が……そもそも出前は女性のコンシェルジュさんが持ってくる手筈にしてただろっ」

「その女性に頼まれたのだ。ふらっと寄った俺に向かってな……『親が危篤なのだ』と」

「叱りにきぃ……!」


 カノンちゃんをベッドに運ばせた後、リビングのソファにもたれて刃に文句を言えば、そんな言葉が返ってきた。


「そもそもふらっと寄らねぇだろ……地元とどんだけ離れてると思ってんだよここ……」

「ああ、語弊があった。ガーネットにふと会いたくなって、だな」

「……そういうところが、嫌いだって言ってんの」


 傍らに立ったままの刃に、ボフッとクッションを投げつけた。顔面にクリティカルヒット。ったくよー……。

 そのままポテッと床にクッションが落ちれば、彼の不満げな顔が現れた。


「さっきも言っていたな、俺が嫌いだと。俺は深く傷付いたぞ」

「だからそういうとこだっつーの。思ってもねーくせによ……」

「心外な。俺は愛している」

「……言わせようとしても、無駄だぜ? トップアイドルの『好き』は軽くないんですぅ~」


 あたしがそう言うと、彼は顎に手を当てる。あたしがこうやって挑発すると、こいつは絶対に……、


「ふぅむ、では……どうしたものかな?」


 ほうら、“その気になって”あたしに身を寄せてくる。宝を目の前にした男って、ホント単純だわ。


「ククク、困った困った。王の寵愛を得るのは難しい」

「んっ……別に、全然困ってねぇくせに」


 困るというより、難題を前にしたら嬉しがる変態だからなこいつは。お見通しなんだよ。

 互いの鼻先をスリスリと擦り合わせ、吐息が混じり合うほどの距離で見つめ合う。


「ガーネット……」

「はい、ダメー。嫌いだって言ってんだろー?」


 しかしその近付いてくる唇を避ける。あたしは安い女じゃねぇからよ。そもそも今夜はあたしが邪魔された側なんだかんな。報酬をやる筋合いもないんだわ。

 だから今夜は……ま、カノンちゃんは寝ちゃったし、代わりにはならないけど、こいつで遊び倒すかー……。


「さてさて、どうしたものか」

「さぁ? いろいろ試して言わせてみればー? 言わせられるもんならな」

「ああ。では、今夜はたっぷりと奉仕することにしよう。ガーネットが『好きだ』と白状するまで。その唇を差し出すまで」

「す、好きにすればいいじゃん……?」


 そうしてあたし達は、数時間にもわたる“遊び”に、どっぷりとのめり込んでいく。


 ったく。


 そういうところが、嫌いだって言ってんの♡

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