第237話「橘愛、やはり面白い女だ」



「さて、どのカードを買えと言われていたのだったか……」


 綾女をからかい、母君に助言をもらった帰り道にて。

 そういえばリゼットから『外に出るなら〇〇カード買ってきて、一万円分ね。福袋ガチャ引かなきゃ』と言われていたのを思い出した俺は、近場のデパートに入店し……唸っていた。

 目の前には様々な模様の印刷されたカードが所狭しと並び、こちらに無言の圧力をかけている。多勢に無勢とはこのことか。


「そもそも福袋を買うためになぜカードを買うのだ……?」


 分からぬ……福袋であればこのデパートでも売っていよう。それを現金で買うのはダメなのか? いや分からぬ……。


「う~~~む……」


 そうして俺がうんうん唸り声を上げていれば──、


 つんつん。


 背中に柔らかい指先の感触を覚え、それと同時に柑橘系の香りがふわりと鼻をくすぐった。

 嗅ぎ覚えのある、さりげなくも存在感のある香りに確信を持って振り返ると、そこには……、


「ああ、やはり橘か」

「……」


 我がクラスメイトにしてもう一人の我が友……橘愛が不思議そうな顔をしてこちらを眺めていた。

 年が明けても幸の薄そうな顔が傾けば、光の加減によって青みがかっても見えるセミロングの黒髪がサラサラと流れる。物静かを通り越し、いっそ触れれば手折れてしまいそうな雰囲気を醸し出す少女であり、その唇からはもちろん言葉は出てこない。

 見れば彼女は両手にスーパーの袋を持っており、肩に掛けたスケッチブックを使用できない様子。言葉を失った少女には致命的なハンデだが、言いたいことは目を見れば分かる。光の届かない水底を思わせるその瞳は、『こんなところで何をしているのですか?』と明確に問うていた。よほど傍目から奇妙に映っていたらしい。


「いやな……」

「?」


 言いながら振り向き、俺はそんな少女に対し特段変わった対応を取ることもなく腕を組む。

 久しぶりに顔を合わせたとはいえ、こういった手合いの人間は“いつも通り”を大事にするがゆえの判断だ。


「リゼットからカードを買ってこいと言われたのだが、どれなのか分からなくてな」

「……?」

「なんでも、福袋を引くとかなんとか」

「!」


 そしてそんな対応は正解だったようで、彼女も気に留めることなくこちらの言葉に聞き入る。

 そうしてピンポーンと電球の灯ったような顔をした橘は、ブーツがタイルを鳴らす音も高らかに陳列棚へと歩みを寄せ、一枚のカードを指差した。得意気なその顔からして『これを買え』と言いたいらしい。


「……まぁよいか。助力感謝する、橘」

「♪」


 リゼットに確認の電話をしてもよかったが、ここは友の顔を立てるとしよう。間違っていても、また買いに来ればいいだけの話だ。


「少し待て」

「……?」


 一言そう言い残し、さっさと会計を済ませる。

 カードの入った小さな袋を持った俺は、出口付近で待つ橘の元へと戻り、


「待たせたな。そして明けましておめでとう我が友よ。それを寄越せ」

「っ」


 遅れていた新年の挨拶と共に、彼女の手荷物を奪って外へと歩き出す。方角は橘の住むマンション方面だ。ちなみに住所は既に把握している。年賀状を送る際に聞き出したからな。


「~~~」


 置いて行かれた橘は目をパチクリとさせ、なかなかに年相応な表情を見せる。そして我に返ったかと思うとパタパタと慌ててこちらの横に並び、ようやくといった様子でスケッチブックを手に取った。


『明けましておめでとうございます。強引でイケメンな酒上さん』

「フハハハ、そう褒めるな。悲劇のヒロインよ」


 この程度、当然のことをしたまでだ。

 酒上家家訓『女の子の荷物は極力持ってあげること!』であるがゆえ、それに従ったまでのことよ。そもそも手が塞がっていては、橘の場合は著しく会話に支障を来す。それはつまらんからな。


「して、橘はどういった買い物だ?」

「……」


 橘の両手が空いたのを良いことに話を振れば、彼女は周囲に目を配りながらもスケッチブックに文字を記す。失声症の彼女は、歩きながら会話をすることもままならんのだ。


「ゆっくりでいいぞ。所詮は暇つぶしだ」

「……♪」


 こちらの言葉に、橘はしっとりと笑みを浮かべる。ゆっくりと花開くかのようなその控え目な笑みは、その身に纏う白いコートとよく合い清楚な出で立ちを印象づける。まるで湖の畔に咲く白百合のようだ。これで神速のハリセンで突っ込みを入れるというのだから、人間は面白い。


『今日の料理当番は私ですから。ご飯の買い出しです』

「ほほう。睦まじい様子からして、年上の恋人とは仲直りしたのか?」

「??」

「ああいや、風の噂でな」


 『なぜそれを?』と怪訝そうな橘の顔に、己の失策を悟ったがごり押す。

 あれは教会のボランティアに参加した時のことだ。橘が恋人の煮え切らない態度に我慢の限界に達し、寝込みを襲ったことで逆に罪悪感に苛まれたとかなんとか。あの時は互いに素性を隠していたため、俺がこの話を知っているのはおかしいのだが……まぁ気にするな。


「どうだ。この年末年始、何か進展でもあったのか?」

「……///」


 聞けば、道ならぬ恋をする乙女は頬を染めてテレテレとする。なんとも初々しい。

 そうして薄らと積もった雪を踏みしめながら、橘は慎重にペンを動かしていく。脳裏によぎる思い出に浸るようにして。


『特別なことをしたとかではないのですが、改めてお互い腰を据えて話し合ったことで、より距離が近付いたように思えます』

「なるほど、本音で語り合ったというわけだ」

「っ」


 纏めれば、恥じらいによって俯いた顔をコクリと頷かせる。そんな少女のいじらしい態度に、俺は満足げに鼻を鳴らした。彼方のアドバイスが功を奏したようで俺も嬉しい。


「いや、なかなかできることではないぞ」


 本音で語り合う……それは文字に起こせばそれだけであるが、実際にやるとなると人間同士では難しかろう。

 片や情緒の安定しない年頃の少女。片や本音と建て前を使い分けて社会に揉まれる大人だ。その共同作業は困難を極めただろう。本音とは即ち、抜き身の刃に等しいのだからな。

 人間は生来からして『自分は傷付きたくない』と常に思っている臆病な生き物だ。そんな生物が正面から刃を交えることの、どれだけ勇気の要ることか。『やれ』と言われてできる人間がどれだけいることか。

 浅い絆程度であれば、その言葉の刃であえなく真っ二つに切り裂かれよう。深い絆であっても、傷付くことは避けられまい。だが……、


「危難無き道に得るものも無し。人間とは痛みを教訓にできる生き物だ。カサブタの数だけその人間には厚みができ、そしてこれを“成長”と呼ぶ。ククク……こればかりは、人間にしか見出せぬ宝よなぁ」

「?」


 独り勝手に悦に浸る鬼に、隣の少女はコテンと首を傾げる。

 いやはや、久しぶりに会ったかと思えば一際美しくなっている。これだから人間の成長は侮れん。さすがは俺の友になった少女だ。俺も鼻が高く……、


 ──そして“欲しい”。


「ああ、いかんなぁ。他人の宝ほど輝いて見える時がある。いかん、いかんなぁ……」

「???」


 隣で悪鬼が舌舐めずりをしているとも知らず、沈黙の少女は呑気にその瞳をパチクリとさせる。その瞳には、目の前で猛獣が涎を垂らし大口を開けている姿は映っていない。

 あと一歩でも前に出れば、たちどころにその矮躯は丸呑みとなり、どこまでも奈落に落ちていくことだろう。


「橘、どうだ? 心機一転、今年は俺ともその“声”を取り戻す手段を探してみないか? 助力は惜しまんぞ」

「っ」


 誘う言葉に、ピクリと肩を跳ね上げる橘。

 ああ、惜しまんとも。どのようなことが原因でその声を失ったかは知らぬが、この妖刀に切り裂けぬものは無いのだ。

 貴様が穢れた力を欲するならば、ああ助力は惜しまんとも。必ず成し遂げてみせると誓おうではないか。


「ク、ハハハ……」


 その結果、我が刃が誇り高く輝くその身を黒に穢すことになろうともな……。


「……」


 だがそんな闇に誘われていることにも気付かず、橘は『うーん』と考えるように顎に人差し指を当て、


 スラスラ……。


『遠慮しておきます。私、これでも身持ちが固いのですよ?』

「──」

「 b 」


 そんなことをすげなくスケッチブックに記し、少女はドヤ顔で親指を立ててみせる。


 ──まだまだ、諦めるには早いと。


 小さなその手に武器は無く、しかし寄りかかる背中の存在を頼りにして。

 かつての誘いに橘は言った。『“どうやって”治すかはまだ決めていないが、“誰と”治すかはもう決めている』と。

 刃を手に取り障害を取り除くのではなく、この少女は背中合わせに立つその者の手をしっかりと握り、一歩一歩踏みしめて、この道を歩いていくのだと鬼に示したのだ。


「ク、ククク……」


 愚かなり人間。

 まさに愚直。まさに愚昧。そのちっぽけなプライドを守るために、大いなる力から目を背けようというのだ。まったくもって愚かなことこの上ない。惰弱な人間風情が、力を欲さず生きるとは。

 ああ、だが……、


「やれやれ、またフラれてしまったか」

『こればっかりは、譲れませんね!』


 ──だがその愚かしさは、とても好ましい。思わず負け惜しみが出るほどにな。


「ふん、せいぜい励めよ。その力ある声をいつか、この俺にも聞かせるがいい」

『はい。三番目でいいのでしたら、もちろん♪』

「ふっ、ク、ハハハハハハ──!!」


 その答えを聞き、今度こそ大きく笑う。

 この俺を……“無双の戦鬼”を三番目にするだと! 一番目は言わずもがな、二番目は綾女か? まったく度し難いことこの上ないな! ハ、ハハハハハハハ……!!


「ククク……お前は面白い女だな、橘」

「~♪」


 口笛を吹く橘は余裕の表情だ。手を伸ばせばすり抜けていくこの感覚、その在り方はまるで自由な風のようで嫌いではない。

 手が届かぬからこそ、眩い宝というのもこの世にはあろう。


「と、着いたか。ではな橘」

「! っ!」


 む?

 橘の住むマンションに着き、手荷物を渡して去ろうとしたのだが……なにやら橘は焦ったように地面を指差し、足早に階段を上っていった。


「この俺に『待て』とは……」


 まるで犬だな。まったくあの控え目でいるようで、我はしっかり通す態度。普段男を尻に敷いているいい証拠だ。あれは将来、いい女になる。口惜しいなぁ。

 うむうむとそう独りで唸っていれば、階段を慌ただしく下りてくる音が響く。そうして再び現れた橘の手にはスーパーの袋とは別に、長方形の紙箱があった。


「♪」

「なんだ、くれるのか?」


 ニッコリとした笑顔で、橘はそれをこちらに突き出す。受け取れと言っているようだ。

 ズイッと目前に差し出される紙袋を受け取る。その表紙には……、


「温泉まんじゅう……?」

「……」


 読み上げれば、コクコクと橘は頷く。

 ちなみにここ近辺に温泉街などという小洒落たものは無い。ということは、これは土産というわけだ。


「ほほう、逃げ場の無い旅行先で話し合っていたというわけか。さすが社会人のやることは豪胆だな」

『思い出の場所なんです』


 そうスケッチブックに綴る橘は幸せそうに唇を綻ばせる。

 なんでも話を聞けば、昨年のその場で恋人関係に至ったのだという。それはそれは。


「ふむ……」


 だがなるほど、旅行か。

 綾女の母君は言っていた。『特別なことをしなくても、一緒にいる時間が後々大切な思い出になる』と。

 だが一緒にいろとは言ったが、“どこで”とは言っていなかったな?


「?」


 考え込む俺の様子に、橘は首を傾げた後また文字を綴る。


『気になるのでしたら、近くの電気屋さんにどうぞ。福引きをやっていますよ』

「……それはいいことを聞いた」

『実を言うと、一回目の旅行はそこで当てたんです。運命でしたね、あれは』


 非日常は少女を大胆にする。その後押しがあったからこそ、この少女は幸せを掴み取ったのだろう。天に愛されているな。


「──」

「む?」


 そんな幸運の少女は、こちらに茶目っ気たっぷりな笑みを向け、一枚の紙をピッと取り出してみせる。

 赤と白の縁起の良いカラーリングの小さなその紙片には“福引き”の文字が大きく印刷されていた。


『幸運を祈ります。酒上さんも、たまには運を天に任せてみてはどうでしょう。必要とする人の元に、神様は微笑むものですよ?』

「ふ、抜かしおる。だが、ありがたく頂戴しよう」

「♪」


 コロコロと笑う少女から、幸せへのチケットを受け取った。これは御利益がありそうだ。


「では、俺からも一つ返礼を。少しの無礼は許せ」

「?」


 施されてばかりでは、この無双の戦鬼の名が泣く。

 くてんと小首を傾げる少女。その小さな頭に手を伸ばし、


「わしゃわしゃ」

「!?」


 妹にするようにして、その髪を撫でた。毎日何者かに見せるために丁寧に手入れをされている、恋する少女の髪であった。


「……このくらいでいいか」

「!? !?」


 しばらくかき回し、手を離す。目を白黒とさせる橘だったが、俺はその耳に唇を寄せ呟いた。もちろん、俺が撫でたかったから撫でたのではない。


「……こちらを覗く過保護な者が上階にいてな」

「っ!」


 心当たりがあるのか、橘はドキリとする。ああ、やはりこの気配は“そう”だったようだ。


「今頃、その者は上で卒倒しておる。嫉妬をするのは如何ともしがたいが、嫉妬をされるのは心地よいものだぞ?」

「!」

「駆け引きをするかどうかは任せる。その反応を楽しむがいい」

「///」


 少し悪趣味な返礼だが、まぁ互いを信じ合う恋人同士だ。多少は刺激があってもよかろう? 決して意趣返しではないぞ?


「ではな、三学期に会おう」

「っ!」


 こちらの意図を理解した橘がジト目でこちらを見るが、最後には『仕方ない』といった笑顔でこちらに手を振る。せいぜい恋人同士の休日を楽しむがいいさ。


「さて……」


 後ろ手に手を振り、俺は件の電気屋へ赴く。店内を検めてみれば、店内の一角に大きく景品の書かれたボードと、ハンドルの付いた福引き器が鎮座していた。

 ボードを確かめたところ、ところどころ当選し既に無くなっている景品もあるが……一等の温泉旅行は、まだある。


「あん? あんさん福引きやるんか?」

「ああ」


 そのコーナーに近付けば、随分コテコテな関西弁を操る若者が声を掛けてきた。おめでたい法被を着ていることからして、ここの担当者だろう。

 その者に、俺は一枚の福引き券を差し出した。


「これで頼む」

「ええけど……これやと一回しか引けへんで?」

「はっ、充分だ」


 ハンドルを掴み、不敵に笑う。この俺を誰と心得る?

 橘は、運はそれを必要とする者の元に訪れるなどと嘯いたが……俺は違う。幸運を座して待つほど、鬼とは甘い存在ではないのだ。

 我こそは無双の戦鬼。もし運を司る女神がこの世に存在するのならば……その首を刎ね飛ばし、吹き出すその血を余さず啜ってくれるわ。

 この鬼にとって運命とは、受け入れるものではなく……切り開くものなのだからな。


「は、はははははは」

「なんやこのあんさんこわ……」


 ──斬る。

 二等にも三等にも用など無い。ゴミを引き当てる“可能性”をこの俺から切り離していく。疾く、失せるがいい。

 刀花から『あまりにもズルくて情緒が無いので、これは禁術ですねぇ』と言われていた術技で、俺は望む未来を掴み取る。


 我流・酒上流禁術──一刀簒奪刃いっとうさんだつじん


 そうして俺は、確信と共にゆっくりとそのハンドルを回し──

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