第231話「おっかない目標だなぁ」



「うーん……どうお母さん、変じゃない? ちゃんと着れてる?」

「──」

「お母さん?」


 落ち着きなく身を捩る私、薄野綾女が隣にいるお母さんに問い掛ける。もう何回同じことを聞いたか分からない台詞を。


「──」

「お、お母さん?」


 だけど、お店の玄関前にいるお母さんはこちらの質問に答えることなく、私の姿を目にしたまま口許を手で押さえてプルプルと震えていた。ど、どうしたのかな……。


「あやちゃん……」

「う、うん?」


 ちょっぴり不気味に思いつつ首を傾げていると、お母さんがワナワナとしながら口を動かす。感極まったように。


「──これが、娘を嫁に出す時の母の気持ちなのねっ」

「違うんじゃないかなぁ……」


 いきなり何を言い出すのかな……。

 私が少し引いていると、お母さんは「だってだって!」と興奮した様子でまくし立ててきた。


「すっっっごくその振袖が似合っているんだもの! すっっっごく綺麗なんだものぉ!」

「あ、じゃあちゃんと着れてるんだね。よかったぁ」


 お母さんのテンションがおかしなことになってるけど、その言葉に少しホッとする。お着物なんて普段は着ないからね。


「まぁちゃんと着れてたとしても、私だと服に負けてそうだけど……」

「なっ、そんなことないわよあやちゃん!!!」

「テンション高いなぁ~」


 私が正直な気持ちを吐露すると、お母さんは私と同じ色の髪を振り乱す勢いでキッパリと否定してくれる。うーん、でもなぁ……。


「……」


 私はもう一度、自分の姿をお店の窓ガラスに映してみる。そこには、セーラー服でもウェイトレス服でもない、きらびやかな振袖を纏った私が私を見つめていた。

 逢魔が時の光を思わせる夕日のような色合いの明るい生地に、長い袖には秋の風に吹かれる金色のススキが揺れている。帯は優しい萌葱色もえぎいろで、そこには白く抜かれた清純な……菖蒲あやめがいくつも咲いていた。

 まるで私と彼が初めて会った時の情景を思い起こす、見ていてキュッと胸が締め付けられるような、そんな彩りの振袖だった。これがうちに届いて開封した時には、お母さんに声をかけられるまで呆然として彼とのかつての時間に浸っちゃったくらい、素敵な振袖。

 だからこそ今、着てみて少し……怖くなる。


「うぅ~、絶対服に着られてるよこれぇ……私背も低いし、袖が地面に擦れないようにしないと……」


 書いて字の通り、振袖とは袖が特に長いお着物だ。背が一五〇もない私では、そのあたりに少し気を配らなくちゃいけない。

 うぅ、やっぱりこういう晴れ着は背の高い女の子に似合うんじゃないかな……。


「や、やっぱり普段着に着替えようかな……」

「んもう、いじらしいわねぇあやちゃん!」

「えぇ……?」


 コソコソと着替えに戻ろうとすれば、お母さんがニコニコとして「あらあらまあまあ」みたいな感じで頬に手を当てつつそんなことを言う。どゆこと?


「い、いじらしい? いじけてるとかじゃなくて?」

「え? だって似合ってるか分からない姿を酒上君に見られたくないから着替えようとしてるんでしょう?」

「う、うん。そう、だね……?」


 私が迷いながらもそう答えると、お母さんは目をクワッと見開いた!


「それってつまり『ちゃんと可愛い自分しか見て欲しくない』って言ってるのと同じじゃないの~! やだもうあやちゃんったら! 恋する乙女ぇ!」

「っ!?」


 えっ、いやっ!? そうはならな……え、なるのかな!?

 その言葉に私がボフッと音を立てそうなほど赤くなっていても、お母さんの言葉は止まらない。


「ああ、恋って素晴らしいわね! 女の子をこんなにも可愛くさせちゃうんだから! 私の娘にしてはちょっとお堅いかなーと思って心配してたけど……こーんなに頬っぺをリンゴみたいに染めちゃって! 可愛い! 私の嫁にしたい!!」

「お、お母さん、や、やめてよぉ……」

「赤くなって縮こまるあやちゃんも可愛いわよ! シャッターチャンス!」


 は、恥ずかしい……! いつの間にそんな大きいカメラ買ってたのさ!


「や、やっぱり私、着替えてくる!」

「あら、あれ酒上君じゃない?」

「えっ!?」


 もう待ち合わせの時間!?

 現在、お昼時を少し過ぎた時刻。「昼飯を食ったら迎えに行くから店先で待っていてくれ」って言われてたけど、もう!? あわわ、心の準備が……!

 時既に遅しと思いつつも、慌てて周囲を見渡す私。だけど……あれ?


「……刃君どこ?」

「ほら、あそこあそこ」

「うん?」


 商店街の通りをキョロキョロと見てたけど、お母さんはその少し上を指差す。え、上?


「ほら、電柱をぴょんぴょんって」

「いやどこから来てるのさ……」


 お母さんが指差す、少し遠い場所にある電柱を黒い影が伝ってくる。


「あら、酒上君の着物もいつもとは少し違うわね」

「え?」


 あ、ほんとだ。

 無地の黒い生地に濃紺の帯はいつもと変わらないけど、今日は長羽織をその上に羽織ってる。黒の生地に白いラインの入ったそれが、ジャンプする度に翼のようにはためいてなんだかカラスみたい。


「──」


 そんな彼が、お店の近くにある最後の電柱に足をかけようとする前に、地上に立つ私と目が合う。

 そうすると、彼は一瞬驚愕に目を見開いて──、


 ツルッ。


「「あ」」


 ビターン!


「じ、刃君!?」


 最後の電柱から足を滑らせ、そのまま背中からコンクリートにダイブしてしまった。ちょっとー!?


「だ、大丈夫、刃君!?」


 私が慌てて駆け寄るも、彼はなにやら呻きながらコンクリートの上をのたうち回っている。き、傷か痛むのかな!?

 私は傍らにしゃがみ込み、いまだ暴れる彼に声をかけた。


「け、怪我してるの刃君!? 痛むところは!?」

「くっ……激しく痛む……!」

「どこが!? 手当てしなきゃ!」

「胸が、痛む……!」

「分かった、胸だね! ……え、背中から落ちてたのに?」

「ああ……!」


 そんな彼は力強く頷き、倒れた姿勢のままビシッと私を指差した……!


「綾女の艶姿を見て……足を踏み外すほどに胸が苦しくなったぞ! なんと可憐な姿か!! 今すぐに抱き締めたい! しかしいまだ友である我が身ではそうすることも能わず……くっ、この胸の奥から溢れだす激情! 俺は……俺はどうすればいいのだ! 苦しい……!」

「あ、元気そうだね」


 彼は年を越してもいつも通りだったよ。まぁ、あの程度で怪我する君じゃないよね……うん。

 私が苦笑していると、彼は何でもないように起き上がって土埃を払う。その視線を、私の身体に固定したままで。


「うーむ……素晴らしい」

「あ、あぅ……」


 その熱い視線に、私は恥ずかしくなって思わず肩にかかったショールを引き上げて口許を隠した。

 一般人の私からすれば、こんなに綺麗なお着物を着るのは少し気後れしてしまう。

 でも……やっぱり、聞いてしまう。


「……ど、どう、かな? 服に着られてない?」

「服は着るものだろう」

「そ、そうじゃなくてさ……やっぱりリゼットちゃんとか刀花ちゃんみたいに着こなせてないんじゃないかなって……」

「???」


 いやすごい意味不明そうな顔してるよ。

 彼はそのまま不思議そうな顔をしてお母さんの方を見る。そんなお母さんは苦笑して肩を竦めていた。


「……なるほどな」


 そう呟いた彼は一瞬だけその瞳を鋭くして……、


「たわけが」

「あたっ」


 優しく、私の頭にチョップを下した。


「嘆かわしい。鏡を見て己を鑑みれんのか?」

「だ、だって初めて着るし……」

「そうだとしても、美醜程度ならば分かろうに」

「うぅ……だってぇ……」


 私、リゼットちゃんみたいに細くないし、刀花ちゃんみたいに足長くないし……。

 そんな私のウジウジする内心を見透かしたのか、彼は大きくため息をつく。呆れたように。


「よいか、綾女。確かに今の綾女では服に着られている。馬子にも衣装というやつだ」

「うっ……!」


 や、やっぱり……。


「だが」

「え?」


 私がガーンとショックを受けていると、彼は膝をついて私に目線を合わせた。


「それは綾女がその服を使いこなせていないからだ。気持ちが負けておる。いいか、服とてただの道具に過ぎん。服に人間が着られるのではなく、人間が服を着るのだということを忘れてはならん」

「え、っと……?」

「背筋を伸ばせ!」

「は、はいっ!」


 彼の号令のような言葉に、思わず姿勢がピンとなる。


「手はお腹の前に!」

「は、はい!」

「足を揃えろ!」

「はい!」

「ニッコリと笑え!」

「はい!」

「そして大きな声で『いらっしゃいませ!』」

「いらっしゃいませ! 何名様でしょうか!……うん?」


 あれ、なんか違うような……。


「く、ククク……なんだ、できるではないか」

「うんうん、いいわよあやちゃん。とっても綺麗だわ」

「あ……」


 そんないつも通りの接客態度をする私を、刃君とお母さんは微笑ましそうに見ている。

 目をパチクリしていると、刃君は「うむ」と頷いて、私の頭をくしゃりと撫でてから立ち上がった。


「背中を丸めていては、どのような装いでも萎れて見える。花というものはやはり、その茎を真っ直ぐ天へと伸ばさねば……その“帯に咲く花”のようにな」

「──っ」


 野に咲く菖蒲のように、真っ直ぐと。

 両親が願いを込めて贈ってくれた、その花の名前。


「……うん」


 だったら、その願いと想いに応えないとダメだよね?

 不敵にこちらを見下ろす彼に、私は一つ息をはいてから……笑った。


「……ふふ、君はいつだって真っ直ぐだね。切れ味の鋭い“刃物”みたい」

「ふ、当たり前だ。大事な妹がくれた名なのでな。それに恥じぬよう、俺はいつでも全霊なのだ」

「あはっ」


 腕を組んで不遜に笑う彼は芯鉄の入った刀のようで……うん。

 やっぱり君は、カッコいいや。


「羽織、似合ってるね刃君。ぐっと大人っぽい雰囲気だよ」

「ありがとう。綾女も似合っているぞ、誰にも負けないくらいにな」

「……うん、ありがとっ」


 ちょっぴりこの振袖の豪華さに気後れしてたけど……よぉし、負けないぞー!

 そうやって負けじと背筋を伸ばして笑顔を交換していると、隣から鼻水を啜る音が聞こえてきた。


「うっ、ぐすっ……あやちゃん……立派になって……尊い……!!」

「何言ってるのお母さん……」

「うっ、俺も貰い泣きしてしまう……あのチンチクリンの小童がこれほどまでに美しくなって……!」

「なにげに酷いこと言ってない?」


 十年前は小学生だったんだから仕方ないじゃん……。


「ぐじゅ……じゃあ二人ともここで一枚……」

「綾女」

「わわっ」


 お母さんがカメラを構えた瞬間、刃君が私の腰を抱き寄せて……!


 ──パシャリ。


「まるで結婚式ぃいぃぃぃい…………!!!」

「お母さん泣きすぎ……」

「どれ、見せてくれ義母上ははうえ

「息子ができたぁあぁぁぁあぁぁ……!!」

「じ、刃君! こらっ」


 勝手にお母さんをお義母かあさんにしちゃダメっ。

 そうしてお母さんが手に持つカメラを二人で覗き込む。

 そこには私を抱き寄せて不敵に笑う刃君と、恥じらいつつ上目遣いで彼を見上げる私の姿があった。


「まるで神前式ぃいぃぃぃぃぃ……!!」

「刃君まで……」


 お母さんに続いて、顔を手で覆って叫ぶ刃君。

 でも、確かにそう見えるかも……や、やだ、ドキドキしちゃう……あとで現像してもらっちゃおうかな……写真立ても買っておかなくちゃ。


「綾女ぇぇえぇぇ! 好きだぁあぁぁ!!」

「や、やめてねー……ご近所迷惑になっちゃうから……」

「なぜ俺と綾女は付き合っていないのだ!? 俺はもうよく分からなくなってきたぞ!」

「う、うーん……なんでだろうね……?」


 まぁ価値観の相違ですとか、私に意気地がないからなんですけども……。

 私が人差し指同士を突き合わせてモジモジしていると、彼はその鋭い瞳をゆらりと揺らして私を見る。まるで肉食獣が獲物を定めるように。


「決めたぞ。俺の今年の目標は、綾女を我が手に落とすことだ。今年こそなぁ……!」

「怖いって」

「こうしてはおれん。早速、初詣で祈願せねば!」

「あ、そろそろ行く? って、ひゃあ! な、なんでお姫様抱っこ!?」


 奮起した様子の彼は、私をヒョイッと持ち上げてお母さんに手を振る。私の慌てた声も聞かずに。


「それでは母君、綾女はもらっていくぞ!」

「はいはーい、車には気をつけてね~」

「さらばだ!」

「ちょっとー!?」


 唐突にもらわれてしまった私は、彼の腕に抱かれたまま空へと舞う。彼が来た時と同じように、勢いよく跳んだのだ。私も咄嗟に、振り落とされまいと彼の首へと抱きつく。


「ハーハハハ! 今年もいい年になりそうだな、我が友よ!」

「私は不安になってきたかな……!」


 そう、不安に。

 彼は有言実行の鬼さんだ。そんな彼が『今年こそ綾女を落とす』と言ったのだから。


(ああ、私……今年こそ彼にもらわれちゃうかも……)


 そう思っちゃうと不安で……そして同時にドキドキしちゃう。どうすればいいんだろう、私。


(とりあえず、今は……)


 ピトリ、と。不安を紛らわせるために。

 楽しそうに哄笑を上げる彼の身体に、いつもよりほんの少しだけ頬を寄せる。

 そうして誰にも聞かれないよう、私は心の中で小さくこっそりと呟くのでした。


 ──今年もよろしくね、私の…い…きな、鬼さん。

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