第208話「これからはこうやってお仕置きしましょう」



「じゃあ今夜も、"誰が兄さんと添い寝するかジャンケン"して寝ましょっか」

「いや初耳だからそんなジャンケン。というかトーカはカナタと寝たんじゃなかったの?」

「ちょうど寝かしつけて、今降りてきたんですよ……はっ、なんだかこの会話、新婚さんっぽくありません!?」

「感受性が豊かすぎるわねこの妹……」

「ところで兄さん、どうして逆さ吊りになんてされてるんですか?」

「洗濯機を回そうとした、それだけだ」

「黙らっしゃい、このおバカ」

「揺らすな揺らすな」


 目を三角にしたご主人様にゲシゲシと頭を蹴られれば、両足首を縛られ、玄関ホールの天井から吊るされた我が身が振り子のように揺れる。リゼットお嬢様は大変にご立腹なのであった。


「この、変態っ」


 風呂場の一件で怒りと羞恥がない交ぜになった表情をするリゼットは、ひたすら俺をブラブラと揺らす。

 そんな俺達二人を、刀花は苦笑して見つめていた。


「兄さんが可哀想ですよう」

「可哀想なものですか。下着の洗濯はトーカに任せなさいっていつも言ってるでしょうが……!」

「でも兄さんって別に下着には興奮しませんよね?」

「ああ、布切れ一枚程度に興奮など覚えん。それを身に付けている少女に興奮するのであるがゆえに」

「ほらぁ」

「なにが『ほらぁ』なのよなんの言い訳にもなってないでしょ。普通は嫌がるのよ男性に下着だけでも見られたら! それだけじゃなく私の……は、ははは裸まで見て……!」

「そうだったんですか? もう、ダメじゃないですか兄さん」

「そうよ、もっと言ってやりなさいトーカ――」

「女の子の裸を見たら褒めないと」

「そういうこと言ってるんじゃないのよ」

「褒めたぞ」

「えー? じゃあ何が不満なんですかリゼットさん」

「なにもかもよ」

「桜色に上気した肌は極上の色気を醸し出し、しっとりと濡れた黄金の髪は艶かしく肌に張り付き、ちょうど掌に収まるほどの程よいサイズの乳房が揺れる様はまさに世の男の理想を具現化したのかと思うほどの美貌と完成度を――」

「きゃーきゃー!? な、なななないきなり何を口走ってるのバカぁーーー!!!」

「褒め言葉が足りなかったのかと……おぉ~~~」


 この屋敷の玄関ホールは広いが、もう少し揺らされれば壁に激突してしまいそうだ。


「ところで~……綾女は~……なぜ影に~……隠れている~……?」

「っ!」


 二階へと繋がる大階段の影にコソコソ隠れている小柄な少女へ疑問を投げかければ、息を呑むような音の後にポソポソとした囁きが返ってきた。


「だ、だって……恥ずかしいよ」

「綾女は~……タオルを~……巻いていただろう~……?」

「そ、それもあるけど……そうじゃなくってさ……」

「なに余裕そうに喋ってんのよお仕置きしてるのよ? ……まあ私もさっきから気にはなってたけど」


 綾女は先の一件についてはすぐに許してくれたのだが……いったい何を恥じらっているのか?


「だ、だって……私今、パジャマだよ?」

「うむ……?」


 風呂から上がったばかりなのだから当然だろう。

 首を捻っていると、影からひょっこりと顔だけ出す綾女の頬が赤く染まり、くりっとした瞳が恥じらいと共に逸らされた。


「……お、男の子にパジャマ姿見られるの、恥ずかしいよ……」

「――」


 天を仰いだ。

 俺の友人、可愛すぎないか?


「うーん、これが一般的な女の子の感性というものなんですね、リゼットさん……」

「慣れって怖いわ。いつの間にか汚れてたのね私達って」


 綾女のあまりに少女らしい姿を目の当たりにして、主と妹が暗く呟いている。

 リゼットは黒いドレス風の寝間着を。刀花は上下揃いのピンク色のパジャマを着用しているが、俺の前で恥じらいなど皆無だ。最初の頃はリゼットも恥じらってはいたのだが、まさに慣れたものだ。今では生足を振り上げ眷属をサンドバッグにしているのだからな。


「それにママ――お母さんのパジャマのチョイスが……」

「ほう?」


 素晴らしく気になる発言だ。

 今朝に綾女を拉致――いやさ招待する折に、彼女の荷物を用意したのは母君だ。何か仕込まれたのか?


「どれ……ふんっふんっ」

「ミノムシみたいに動くんじゃないの」


 綾女のパジャマを見たいがために身体を捩る。そんな俺を、リゼットは冷たい目で見下ろしていた。嫌いではない。

 そうして懸命に身体を動かし――、


「――見えたっ。ほう、これは……!」

「!?」


 その姿に驚嘆する。いや、これはなかなか……!

 目を見開いていれば、観念したのか躊躇いがちに綾女がその姿を晒す。


「うぅ~……」


 その身を包むは、灰色のモコモコとした厚手のパジャマだ。

 一目では一般的なパジャマにしか見えぬが……その魅力は背中側にあった。

 検分すべく回り込んだ刀花が、思わずといったように黄色い声を上げる。


「わ、猫さんパーカーに尻尾! 可愛いです~!」

「もぉ、お母さんどこでこんなの買ってきたんだろ……」

「いや絶対ジ○ラピケでしょこれ」


 そうなのだ。

 なんと背中側にそんな彩飾が成されているのだった。

 むむむ、このような芸術品を生み出すとは……天才というのはどの時代にもいるものなのだな。


「ふむ、“じぇ○ぴけ”というのか。覚えておこう」

「覚えてどうするのよ」

「無論、マスターと刀花にも贈るに決まっている」

「ふ、ふーん……そ?」


 瞬時に答えれば、リゼットはそっぽを向くも満更でもなさそうだ。

 だが、そんなリゼットに刀花が耳打ちする。


「ちなみに男性が女性にお洋服を贈る心理としましては、"その服を着せたい"というのはもちろん、"脱がせたい"という心理もあるそうですよ? いやん♪」

「死にたいらしいわね」

「お゛うっ」


 我が胸の内を見破られ、一際強く蹴られてしまった。

 が、その反動を利用して……!


「猫耳、装着!」

「ひゃあ!?」


 綾女の纏うパーカー部分に手をかけ、そのカフェオレ色の髪をすっぽりと覆ってみせる。


「おぉ……!」

「は、恥ずかしい……」


 大きめのパーカーに収まった小さな頭に、少しダボッとしたその様相。恥ずかしげに太股を擦り合わせ、パーカーの下から小動物を思わせる上目遣いが送られればこの戦鬼、トキメキを覚えずにはいられん。


「うぅむ、あやにゃん可愛いにゃん……」

「あ、あやにゃんって……も、もぉ……」

「あなたお仕置きされてる自覚ないでしょ」


 いや、この手に触れ得ぬとなればなかなかに辛い。いますぐに抱き締めて頬擦りしたいぞ。そしてドロドロになるまで甘やかしたい……。


「綾女、今夜は一緒に寝ないか?」

「ね、寝るわけないじゃん……えっち」


 えっちだと? だが待って欲しい。


「恋人同士であれば何か起こり得るのかもしれんが、俺達は友人同士だろう? ならば何も起こらないと考える方が妥当ではないか?」

「え、そうかな……そうかも……?」

「俺を信じろ、決して何もしないと誓う。それとも綾女は、友を信じてくれぬのか?」

「うっ……そう言われると。じゃ、じゃあ――」


 勝ったな。


「この詐欺師」

「兄さ~ん? 大学のコンパじゃないんですから」

「いはいいはい」


 だがあと一歩のところで、じっとりと目を細める主と妹に両頬をつねられてしまった。


「多分こうやってなんだかんだと言い含められて、アヤメは身体を許して妊娠したんでしょうね」

「目に浮かぶようです……」


 呆れたような声に両手を挙げる。ここまでか。

 正気に戻った綾女もプクっと頬を膨らませている。


「刃君はもっと反省すべきです」

「この戦鬼に恥など無い」

「偉そうに言うことじゃないでしょ……」

「兄さんはそうそう反省しませんからねぇ、まあそこがチャーミングなんですけどっ!」

「どこがよ」


 冷たく言うリゼットは、俺にどう反省を促すか思案を巡らせているようだ。眷属の教育もまたご主人様の務めらしい。


「お仕置きしても効果がないどころか喜んじゃうの無敵過ぎるでしょ」

「こうして揺れて風を起こすとな、マスターの髪からシャンプーの芳しい香りが仄かに香るのだ」

「隙あらばセクハラしようとするのやめなさ――こら、避けないの!」

「この体勢にも慣れてきたぞ」


 ご主人様が放つ鋭い蹴りを躱す。造作もないことよ。

 憤慨するリゼットに向けてくつくつと笑っていれば、綾女が冷や汗を流して頬をかいた。


「なんか好きな子に意地悪する小学生みたい……」

「可愛いですよね!」

「刀花ちゃんはちょっと全肯定し過ぎかなー……」


 鬼はイタズラ好きなのだ。性癖と言っても過言ではないため今更矯正はできんぞ。


「痛めつけても効果無いでしょうしね……」


 悩むリゼットに、刀花が「はいっ」と手を挙げた。


「ハムラビ法典は言いました。『目には目を、歯には歯を。そして裸には裸を』と」

「刀花ちゃん、言ってない言ってない」


 綾女の突っ込みも聞かず、刀花はその琥珀色の瞳をギラリと輝かせる。


「ということで、裸を見られて怒るのなら兄さんも裸に剥いちゃうというのはどうでしょうか! むふー……!」

「トーカが見たいだけじゃないのそれ?」


 なるほど、一理ある。


「くっ、脱がせ……!」

「少しは嫌がんなさいよ――ちょっ、自分から脱ごうとしないでよバカー!?」


 着物の上をはだけようとすれば、ご主人様の悲鳴が飛ぶ。

 そしてその拍子で、ただでさえ逆さ吊りだったため微妙なバランスで保っていた着物の裾が捲れてしまい――、


「いかん、俺の下腹部が」

「「きゃあぁぁああぁーーー!!??」」

「きゃあーん♪」


 少女達の様々な感情の交じった悲鳴が上がる。

 いかんな、少女のスカートが捲れるが如く露出してしまった。少女であれば下着が見えるだけだろうが、俺は着物時には下着を履かんからな。


「なっ、なに見せてんのよバカー! ひっ、なんか動い――!? 変態変態変態ーーー!」

「指の間から見ながら言っても説得力が無いな、マスター」

「お、おっき……ぷしゅぅ~……」

「綾女は熱暴走を起こしたか」


 初心な乙女には刺激が強すぎたようだ。刀花など荒い息遣いで食い入るように見つめているというのに。


「さて――」


 このあたりが頃合いか。裾を直し、ご主人様に許可を求める。


「これで謝意は示しただろう。そろそろ下りてもいいか?」

「謝ってる人の態度じゃないのよ全然反省できてないじゃない。くぅ、ダメ……まともに相手してたらこっちの身が保たな――うん?」


 む?

 頭を抱えるリゼットだったが、何かに気付いたような声を上げる。この戦鬼を反省させる事柄でも思いついたのか?


「……」


 そうして彼女の視線は無言で壁時計へ。その針は0時を指そうしていた。


 ――ゴーン、ゴーン。


 鐘が鳴る。

 シンデレラの魔法が解けるように、リゼットの顔が絶望から勝利へと変わった。


「ジン、オーダーよ。『朝までそうやってじっとしていなさい』」

「ほう……?」


 我が右目に紋章が浮き上がり、命令が肉体を縛る。だが別段、驚くことでもない。むしろそのつもりだった。

 俺はその願いを訝しむも、リゼットの表情は勝ち誇ったままだ。

 そんなご主人様は、「ふふん」と横目でこちらを見ながら――


「それじゃトーカ、アヤメ……今夜は一緒に寝ましょうか。ジン抜きで、ね」

「なにっ!?」


 そんなことを宣うのだった。

 青ざめる俺に、刀花がなるほどと頷く。


「あー、兄さんって放っておかれるのが一番堪えるんですよねぇ……」


 そうなのである。

 この戦鬼、持ち主に放置されるのが何よりの苦痛なのだ。蔵に押し込められていた時代を思い出してしまうがゆえに。


「ほら、アヤメしっかりして。トーカも行くわよ。これから女子会するんだからね」


 ぽやぽやとする綾女と苦笑する刀花を連れていこうとするマスターに、俺は慌てて声を掛けた。冗談ではない!


「待つがいいマスター! 悪かった。この通り反省しているから、俺もその輪に混ぜてくれ!」

「ふふ……」


 しかし、そんな下僕の嘆願を聞いた我が主は、とてもおかしそうに笑って――、


「だ・め♡」

「――」

「これに懲りたら、ご主人様へのこれからの接し方を朝までよくよく考えておくことね。くすくす、お休みなさいジン……ちゅっ♪」

「んな――」


 見事こちらの泣き所を見極めたご主人様は、ウインクと投げキッスをこちらに飛ばし、すげなく言って二人を連れ去る。

 これまで見たことがないほど楽しそうに。


「お――お゛ぉ゛お゛ぉ゛ぉ゛お゛ぉ゛ぉ゛……!」


 パタン、と。

 私室のドアが閉まる音を聞きながら俺は慟哭する。


 時折漏れ聞こえる楽しそうな女子会の声を聞きながら、俺は悲しみに身を捩ってこれまでの行いを猛省するのだった。


 ――セクハラは、ほどほどにすべし。

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