第130話「今日も一日、清く正しく!」



 あれから数日。

 そろそろ衣替えを気にするようになってきた気温の中、俺達三人は校門を抜ける。

 両隣にはもちろん、ふんわりと柔らかく温かい主と妹を連れながら。


「あら、じゃあもう喫茶店の手伝いはしないの?」

「ああ、以前のスタッフを呼び戻すらしい。戦鬼は最早、お役御免というわけだ」

「そうなんですか……残念に思ってます兄さん?」

「いいや、次は客として行こうと思う。綾女もそう望んでいるからな」


 一般生徒達の羨望の眼差しに睨みを返しながら、左手を控えめに握るリゼットと右腕に抱き付く刀花の問いにそう答える。


「俺の本業は、マスターの眷属だからな」

「ふ、ふぅん……ふふ、自覚があってよろしい」

「そうですね、喫茶店のお手伝いと違ってお給金が発生しているわけですし」

「ちょっと。その言い方だとお金だけの関係みたいじゃない」

「まあ福利厚生がしっかりしているのは確かだ」


 三食昼寝屋根付きの豪邸に高い給料。

 そしてそれらにもまったく引けをとらない業務内容。


「こんなに可愛いご主人様のお世話ができるのだからな。俺は幸せ者だ」

「ちょ、ちょっとやめてよ……人が見てる……」


 こちらに引き寄せ耳元で囁けば、リゼットは分かりやすく頬を染める。


「や、やめなさいよもう、盛りの付いたワンちゃんじゃないんだから……昨夜だって、あんなにいっぱい……ばか」

「これは失礼した、我が主」

「絶対思ってないでしょ……もう」

「むむむっ」


 コソコソ話す俺達に対し膨れる刀花を横目に見つつ、一旦昇降口で別れる。


「それじゃ、ジン。また昼休みね」


 上履きに履き替え廊下に出てみれば、リゼットがなんでもないようにこちらへ別れを告げる。

 しかし俺は、この瞬間がなによりも悲しいのだ。


「くっ、あと四時間も待たねばならんなど……!」

「毎朝思うんだけど泣かないでよ恥ずかしい……」


 ええい、泣かずにいられようか! 腰に差されぬ刀ほど悲しい物などない。

 確かに日本刀には鑑賞を楽しむ側面がある。俺も陰陽局預かりの時代に何度か美術館に貸し出されもしたが、しかしとてつもなく暇なのだあれは。

 ひっきりなしに人間が来るため落ち着く瞬間もなく、宗近の野郎は自分がどれだけ美しいかを延々と語ってきて鬱陶しく、村正はそもそも何を言っているか分からんしな。


「むふー、じゃあ兄さん。妹の私が寂しくなくなるおまじないをかけてあげますね」

「ほう、それは……?」


 口惜しさに唇を噛み締めていると、イタズラっぽく唇に指を当てた可愛い妹がステップを踏むように近付いてくる。


「むふー、ちゅ♪」

「あっ!?」


 ふわりと香るバニラのような甘い匂いと共に、頬に瑞々しい感触。それはまさしく、戦鬼を猛らせるおまじないであった。


「元気出ましたか、兄さん?」

「ああ、さすがは我が妹だ」


 周囲の視線をものともせず自分のやりたいことをする。彼女の我が道を行く速度は他の追随を許さない。さすがは戦鬼の妹と言える。


「マスターはしてくれないのか?」

「うえぇ!? し、しないわよバカ!」


 刀花の所業に目を剥いていたリゼットは、唐突に振られわたわたと焦る。


「そ、そういう顔を見られるのは嫌だって言ったわよ私はっ」

「ああ、確かにそう聞いていたな……」

「そ、そんなガックリ肩を落とさなくても……あーもう……!」


 気落ちしていれば、リゼットはキョロキョロと周囲を警戒した後、くいくいとこちらの袖を引っ張る。屈めと仰せだ。


「い、一回しか言わないからね……?」


 耳の先端まで真っ赤に染めて。

 彼女はこちらの耳に唇を寄せ、こしょこしょとギリギリ聞き取れるかと言うレベルで言葉を紡いだ。


「……大好きよ、ジン。お昼休みまでいい子で待っててね」

「っ!」


 あ゛……。

 あ゛あ゛……!

 あああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!


 ――ガラガラ!


「俺も大好きだーーーーーーーーーーーーーー!!」

「小声の意味ー!?」

「窓開けて言いましたねー」


 堪らなくなった俺は近場の窓を開けて絶叫した。内に溜まったリゼットニウムを発散せねば尊さで死んでしまうところだった。

 くっ、俺のマスターがこんなに可愛い!!


「よし、気力が湧いた」

「でしょうね……」

「ふふ、ではでは兄さん。またお昼~♪」


 げんなりした様子のリゼットの背を押し、刀花がにこやかに手を振って廊下を進んでいく。彼女達一年生の教室は一階にある。


「……俺も行くか」


 二人の背中が見えなくなるまで見送ったところで、俺も踵を返す。自分の教室のある二階へ行かねば。


「いつも通り昼休みまで寝るとするか――む」


 殺気!


「おっはよー! じーんく――わあ!?」

「おっと」


 後方から走ってくる音に振り向きもせず半身を傾ければ、カフェオレ色の弾丸が横を突っ切ろうとする。

 おそらく背中でも叩こうとしていた彼女がこけないよう、たたらを踏むその身体を襟を掴んで支えた。


「朝から元気だな、我が友綾女」

「後ろに目でも付いてるの刃君。避けられるとは……」

「この俺を討ち取ろうなど千年早い。たとえ――」


 ――二段構えの策を練ろうとな。


「甘いぞ、橘」

「――っ!?」

「あちゃー、バレちゃってる」


 振り下ろされた『おはようございます』のハリセンを二本の指で白刃取りしながら言えば、忍び寄っていた沈黙の少女……橘が目を見開いている。


『まさか私のハリセンを受け止められる日が来るとは思ってもみませんでした』

「よく分からんがすごい自信だ」


 それにこいつ今スケッチブックに新たに書き込まず、めくっただけでこの言葉を出したぞ。どういう準備をしているのだ……。


「ああ、さては彼氏のため――」

「!? っ!?」


 心当たりに思わず口に出せば、橘は真っ赤になってこちらの口を塞ごうとする。すまんすまん。


「ダメだよ、刃君。秘密なんだから」

「悪かった、橘」

「……っ」

「改めて弁護士の件はありがとね、橘さん。すっごく助かっちゃった!」


 階段を上がり、廊下を進みながら談笑する。

 そうなのだ。

 数日前、連帯保証人の件における債務者であるところの義兄とやらの息子が電話を掛けてきた後。

 親から子への借金の引き継ぎに関して、今まで世話になっていた弁護士に経験がなく四苦八苦していたところ……またも薄野家へと救いの手が差し伸べられた。

 それこそが目の前にいる、橘愛その人だったのだ。


「まあ正確には橘さんの、ねえ……?」

「――!」


 いや俺も驚いたものだ。


「そうだな」


 ――まさかこの少女に、今年三十歳になる恋人がいようとはな。俺が恋人の有無を聞いて焦ったわけだ。


 その者は社会人でかなりの人脈を誇るという。

 その者の伝手で、有能な弁護士を薄野家に紹介してもらったのだった。


「いやはや、分からぬものだな」

「――」

「ああ、不満そうな顔をするな。別に異があるわけでもない。恋愛など人それぞれの形というものがあるのだ、好きにすればいい」


 そう言うと橘は頬から空気を抜き、表情を柔らかくしてサラサラとスケッチブックに言葉を紡ぐ。


『酒上さんは話が分かりますね』

「ふ、当然だ」


 年の差がなんだという。

 それを言えば俺など鍛造された頃を出自とするならば千歳差だぞ千歳差。

 俺にはとやかく言う資格などハナからないのだ。ロリコン戦鬼の汚名を着せられたこともあるわ。


「――それぞれの恋愛の形、かあ」

「なんだ、綾女?」

「あ、ううん! なんでも!」


 なにやら呟く声に視線を向けたが、綾女はぶんぶんと頭を横に振るのみだった。


「お、おはよー、みんなー!」

『おはようございます』


 教室の扉を開け、綾女が元気に挨拶し橘は『おはようございます』と書かれたスケッチブックを高く掲げる。この前たまたまテレビで見たボクシングのらうんどがーる? のようで少しおかしい。


「……」


 無論俺は一言も発することもなく自分の机に着席し、マイ枕を机に放り出して頭を預ける。

 さて、昼休みまで寝るとするか。


「こーら、刃君」

「む」


 しかし、早速隣の席に座る善なる少女に枕を揺すられてしまった。


「やめんか」

「授業中に寝るのはダメなことでーす」

「……今はまだ授業中ではない」

「む、確かに……でも刃君いっつもそのまま起きないじゃん」

「さてな。今くらいいいだろう、お前も寝てみたらどうだ……そら、枕を貸そう」

「えっ、いや、その……じゃ、じゃあ失礼して……」


 なぜか赤い顔で俺の枕を受け取り、逡巡しながらも綾女は枕に沈む。


「……刃君の、匂い」

「ああ、臭かったか?」

「いえっあの……け、結構なお手前で」

「そ、そうか……?」


 刀花みたいなことを言うな……。

 俺も彼女に習い、自分の腕を枕にして顔を横に向ける。


「……」

「あ……」


 そうすれば、俺の枕に顔を埋める綾女とバッチリと目が合った。


「……」


 しばらくの間無言のまま、互いに視線を交わし続ける。

 健康的な肌を血が巡って赤く染め、大きめの瞳は熱に潤んでいた。


「……聞こえたよ? 刃君がさっき叫んでたの」

「そうか」

「……」


 もぞり、と。

 綾女は枕を抱き締めるようにして口許を隠す。


「……あのね」

「ああ」

「……突然なんだけど、さ」

「ああ」

「……今から、ダメなこと……言うね?」

「……ああ」


 まるでその枕から勇気を貰うように、綾女はよりその枕を抱き寄せた。


「――君のことが好き」

「……知っている」


 潤んだ目を切なそうに細める彼女にそう答えた。

 この俺を誰と心得る。我が友の考えなど、あの日からお見通しだ。


「だから……その、ね……? 友達じゃなくて」


 彼女はか細い声でそう言ってギュッと瞳を閉じたまま言った。


「し、親友……が、いいな」

「……ほう」


 少し意外な言葉に面食らう。てっきり……


「……ダメだよ、そんなの。二人にも迷惑がかかっちゃうからね。だから、さっきの言葉はすぐに忘れること。いい?」

「……なるほどな」


 どこまでも心優しく、正しく在ろうとする少女にこの俺も敬意を抱く。

 そんな清廉なる少女の姿に、


「――美しい。人間もそう悪くないものだ……そう俺も伝えておこう」

「っ!」


 清く、そして正しい少女の姿に賛辞を送れば、綾女は真っ赤になって顔を埋めた。足がバタバタしている。


「……そういう、ところ。いい加減にしないと、本当に迷惑を掛けることになっちゃうからね……?」

「ほう、たとえばこんな風にか」


 腕の間から、涙目でこちらを睨む綾女がどうにもイタズラ心をくすぐる。

 そんな俺は椅子から立ち上がり、ガラガラと窓を開けた。


「俺の親友が最高に可愛いぞーーーーーーーー!!」

「んなー!?」

「!?」


 唐突に叫び出した俺にクラスメイトがぎょっとする。前の席に座り授業の準備をしていた橘も何事かと目を丸くしていた。


「ななななな、何をするのかなっ!?」

「俺は悪だからな、清らかなものを見ると汚したくなるのだ。綾女ぇーーーーーー!!」

「わー!? やめてやめてー!?」


 わちゃわちゃと俺を窓から引き剥がそうとする綾女。そんな彼女に不敵な笑みを浮かべた。


「くく、気に入ったぞ綾女。忘れろとお前は言うが絶対に忘れんからな」

「うぅ、なんでぇ……!」


 なぜだと? 無論――


「我こそは無双の戦鬼、少女の願いを叶えるべく創造されし者。だからな綾女? 親友で物足りなくなればいつでも言うがいい。親友に迷惑を掛けるのはダメなことでは決してないのだからな」


 その時になれば、俺はあの二人に土下座でもなんでもしよう……なんとも情けない覚悟だが。

 呵々と笑う俺に、綾女は不満げに頬を膨らませている。


「もぉ~、ダメダメ! ぜーったい言いません! 私が君を更正させるのに、私が悪い子になっちゃもっとダメだよ!」

「では根比べといくか」

「……ま、負けないし。手始めにこの枕は没収します」

「なにっ!?」

「ふーんだ」


 プイッと、綾女は顔を背けて俺の枕に頭を預ける。


「……教室で寝るのはダメなことではなかったのか?」

「今は授業中じゃないもーん」

「む……」

「ふふっ」


 早速一本取られた俺は腕を組んで威圧するが、綾女は楽しげな雰囲気でどこ吹く風だ。


「よーし、悪い鬼さんに負けないように……」


 誘惑には負けないと。

 茨姫は悪い魔法使いの誘いを断ち切り、その足で自ら茨の森を今日も駆ける。


「――今日も一日、清く正しく!」


 おー! と、清廉に。

 腕を上げる我が“親友”が浮かべるのは満面の笑み。


 そしてその胸ポケットには、刀のロゴが描かれたボールペンがどこか誇らしげに輝いているのだった。










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第三章、友達できるかな?編終了。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

友達ではなく”親友”(?)ができちゃいました。戦鬼は悪い鬼さんです……。

一章&二章と少しテイストの違った三章いかがだったでしょう、よろしければ感想を聞かせてください。



――季節は移ろい、秋。

予想外に友人ができたものの、相も変わらず屋敷と学園の日常を少女達と共に賑やかに過ごす戦鬼。

そうして時は学園祭の時期へ入り、学園内もにわかに活気づき始める。

そんな中、出し物のスペース確保に頭を悩ませていれば、戦鬼は一つの噂話を耳にする。


――東棟の立ち入り禁止となっている屋上に、訪れない待ち人を想い夜な夜な涙を流す少女の幽霊が出るらしい。


それは、思い人をいつまでも待ち続ける陰日向の花。

約束に縛られ、待ちぼうけを食らってしまった一人の少女の物語。


次章「無双の戦鬼と、屋上に咲く徒花」


「ひいぃぃぃぃぃいいぃ! 除霊しないでくださーーーい!! まだ死にたくないですうぅぅぅうぅぅ!!??」

「死んでいるのだお前は。スペース確保のため消えてもらうぞ! おらっ除霊刃(直球)!!」

「あなたには人の心というものがないのですか安綱様」

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