第73話「本気で漏らすかと思った……」



 そろそろ寝ようかしら。


 ゲーム画面から自室の時計へと視線を移せば、針は深夜を少し過ぎたところを示していた。

 最近、本国にいた頃より確実に眠るのが遅くなっている。実家にいた頃は生活リズムをしっかり定められた生活を送っていたが、今はその軛から解放され自由の身だ。

 それもこれも、このゲームというものが面白いのが悪い。

 ゲームっていいわよね、やればやるだけ結果がついてくるし。すぐに強くなれるし。現実もこうならいいのにね……。

 益体もないことを考えながらセーブをし、ホーム画面に戻る。あら、結構データが圧迫してきたわね。整理しないと。

 いらないデータを削除しながら鼻歌を口ずさんだ。

 ふう、今日もご主人様として研鑽に努めてしまったわね……。

 だが、ご主人様としての仕事はまだあと一つ残っている。最近はこれが楽しみでならない。

 その仕事とはベッドに入り、傍らに控える銀の鈴を鳴らすこと。

 そうすれば私だけの眷属が来てくれて……ちゅっと、してくれるのだ。一日を締めくくるに相応しい。


「ふふ……」


 思わず笑みが漏れる。

 遊園地の時に交わしたような情熱的なキスもよかったけれど、寝る前に交わす優しいキスも私は好きだった。

 そっと、触れるだけの口付け。だけどその分、愛しさを深く交わし合う。離れた後に彼が言ってくれる「いい夢を、俺の可愛いご主人様」というセリフもツボを押さえてる感じがしてグッドである。


「ふふ、ふふふふふふふ……」


 だらしない笑みが抑えきれない。

 ああもう。こんなにご主人様の心をかき乱すなんて、罪な眷属だわ。最近勉強に身を入れているからか、あまり私に構ってくれないけれど……これはちょっとお仕置きが必要なんじゃない?

 私が満足するまで抱き締めるとか、私の好きな部分を百個言うとか。あとは……そ、添い寝する、とかっ?

 いやそれってむしろ向こうにとってご褒美になるんじゃない……? うーん難しいわね……。

 そんな風に頭を悩ませながら、適当にデータを整理する。この本体、データ容量小さいのよね。

 普段見ない部分にも手を入れ、容量を空けていく。


「こんなものかしら……ん?」


 ――だから、それに気付いたのは全くの偶然だった。


「このデータ……なに?」


 身に覚えのないデータが、テレビ画面に表示されている。最近はいろいろなゲームに手を出し始めていた私だが、どんなゲームを買ったかはさすがに把握している。しかし、今表示されているものには覚えが無かった。


「ぴー……てぃー……? なんの略かしら」


 なにかの体験版っぽいが、アルファベットのみで書かれた題ではどんなゲームかは分からない。

 そのまま消してもよかったが……気になった私は少し遊んでみることにした。


「体験版みたいだし、すぐに終わるでしょう」


 そうタカをくくった私は、ヘッドホンをカポッと被りコントローラーを握る。

 ジンから「夜はイヤホンかなにかをしてくれ、眠れん」って苦情が来てからはこうしてるのよね。

 さて、どんなゲームかしら。私は笑みを浮かべながらスタートボタンを押し込んだ。

 新しいゲームというだけでワクワクする。気分はまるでクリスマスの朝にプレゼントを見つけた子どものようだった。


 ――しかし、私はすぐに後悔することになる。


「あばばばばばば」


 そんな胸の高揚感など一瞬で冷え、私は背筋に嫌な汗をかきながら画面に映る廊下を進んでいく。

 最初からおかしいと思ったのだ。

 画面に映し出される薄暗い廊下。ループする空間。這いずり回る無数の蟲。

 そして、直角な廊下を曲がった先に現れた……女性のような影を見た瞬間、私は悟った。


 あ、これダメなやつ。


 その影も一瞬の暗転の内に消え、再び廊下は静かな……しかし暗鬱たる雰囲気に包まれる。いっそ襲ってくれと思うのに、こちらにはなんの被害もない。ただただ、ねっとりと絡みつくような恐怖が私の身を包み込んでいった。

 多分、これ以上やったら後悔する。いやすでにしている。さっきトイレ行っといてよかった。明日行けるかしら……。


「セーブないのこれ……?」


 止め時が分からないじゃないの。セーブさえあればそれを理由にすぐさまバイバイして夢の中へ逃げ込めるのに。

 ……じゃあこの一回。この一回、廊下のループを終わらせたら終わりましょう。なにしたらクリアなのかも分からないし!

 そう思い、私はざわつく気持ちを抑えながら廊下を進んでいく。運命の曲がり角では……女性の幽霊の姿はない。ほっと一息吐き、そのまま進もうとする。

 だが、棚に設置されたラジオからノイズ混じりの声が聞こえてきて、つい歩みを止めてしまった。

 そのラジオは英語で何かを言っており、正直意味は判別できない。しかし、声が途切れる最後の辺りに、確かにこう言ったのだ。


Look behind you後ろを向きなさい


「勇気の切断――!!」


 私はコントローラーを放り投げ、ゲーム機に駆け寄って電源ボタンを親の仇が如く押した。


「はぁ……はぁ……」


 危なかった……あと数瞬でも遅れていたら、致命的な何かが起こったに違いない。それが起きればきっと、明日のトイレへの旅路は安泰とは言えないものとなってしまっていただろう。

 な、なんてゲームなの。これがジャパニーズホラーってやつだったのね……。

 思わず引き込まれてしまったが、なんとか断ち切ることができた。恐怖心も許容範囲内に収められた。

 そう、私は勝った。引き際を見定めるのも勝負事では肝要なのよ。これは撤退戦だったの。ギリギリ楽しめる範囲に留まった自分の手際を褒めてやりたいくらい。


「ふぅ」


 ボタンに指をかけたままそう自分に言い聞かせ、己の心を奮い立たせる。大丈夫、リゼット怖くない。恐怖心になんて負けてないもん。

 そうして息を吐き、顔を上げれば黒い画面に気丈に振る舞う自分の顔が映る。


 ――ついで、私の後ろに、笑みを浮かべながらこちらに手を伸ばす女性の姿も映った。


「――――――――――――――ひっ」


 あ、無理。

 私は声にならない声を上げ、そのまま意識を手放すのだった。





「うっ、ぐす……ふえぇ……バカ、バカぁ……」

「……タイミングが悪かったようだな、すまん」


 こちらの胸にしがみつき、ガチ泣きする吸血鬼を宥めながら冷や汗をかく。

 なにやらマスターと繋がったパスから恐怖心が流れ込んできたので様子を見に来たのだが、こちらの姿を認めるなり彼女は気絶してしまった。

 すぐに意識は戻ったが、戻った瞬間しがみつかれて泣かれてしまい今に至る。俺のせいなのか……。


「な、んでっ……ぐすっ、なんで……!」

「うん? ああ、なんで鞘花だったのか、か」


 今は男の姿に戻っているが、この部屋に来る際には鞘花の姿を取っていたのだ。


「いや、女性の姿で勉強したら吸収率も変わるかと思ってな」


 こちらもまだまだ模索中の身。

 だが結果は特に何も変わらず。さりとて姿をまた変えるのも面倒でそのまま勉強を続けていたのだ。

 しかしタイミング悪くそのままこちらに来れば、なにやら女性の姿に恐怖するご主人様が出来上がってしまったというわけだ。話を聞く限りゲームをしていたようだが……。


「ほら、チーンしろチーン」

「ズビビー」


 着物がご主人様の汁でグチャグチャだ。

 ……それにしてもホラーゲームか。なぜヒトというのは時に自ら恐怖を味わいに行くのか。俺にはその心理がよく分からん。闘争心に似たなにかなのだろうか。


「ぐすっ……屈辱だわ……」

「そのようだな」


 よっぽどプライドが傷付いたのだろう。

 泣き顔を滅多に晒さない彼女だが、今やその顔は情けなく歪んでいる。瞼は腫れ、鼻は赤い。眉は困ったように八の字になり、その紅の瞳は涙で潤んでいた。……可愛いと思うのは、さすがに意地が悪いだろうか。


「……クリア、する」


 ズズーっと鼻を勢いよく啜った彼女は、ボソッと呟く。その呟きは小さかったが、その声色は頑なな意思が感じ取れるほど強固だった。……簡単に言えば意地を張る子どもみたいだった。


「そうか、応援しているぞ。ではな」


 面倒そうな空気を感じ取り、俺はすぐさま来た時と同じように影にズブズブと溶けていく。

 おぉ我が愛する主の道行きに幸多からんことを。その克己心はまさに天晴れ。お前の眷属は隣の部屋で寝ながら、夢の中で応援してい――


 ガシッ


「……クリア、するのっ」

「……はい」


 髪をつかまれフィッシュされる俺は以前の時と同様、またもやお嬢様のゲームに付き合うこととなったのだった。

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