第40話「き、期待してもいいのかしら……!?」



「マスター。マスター、大丈夫か」


 彼女の自室の前に立ち声を掛けるが、反応は無い。お部屋でゲームしてくる発言は本当だったのか、部屋の中から剣戟音は聞こえてくるがそれまで。リゼット自身の返答は無い。


「ふむ……」


 少々迷いつつも、「入るぞ」と断ってからドアを開ける。恥辱のあまり逃げ出した彼女をこのまま放っておくのはさすがに気が引けた。刀花も「……お任せします」と空気を読んで自分の部屋に戻っていた、渋々とだが。

 そうして木製のドアをゆっくりと開けた先には、


「……」


 絨毯にうつ伏せで寝そべり、クッションに顔の下半分を埋めた我がご主人様が待っていた。こちらには一切見向きもせず、死んだ目で画面を睨み付けカチャカチャとコントローラーを操りゲームに没頭している。


「……クッキーはいるか?」


 彼女の隣に腰を下ろしながら問い掛ける。

 キッチンの棚を漁って持ってきた、少しお高そうなクッキーの缶を振ってガラガラ鳴らす。屋敷復元の際、こういったお菓子や小物も復元できたのは幸いだった。


「……」


 しかし、彼女は無反応。

 俺は構わずクッキーの缶を開け、一つ摘まむ。バターの味が濃厚で中々に美味だ。


「美味いな。そういえば出会った日にもマスターからクッキーを貰ったな、あれも美味かった」

「っ……」


 ピクリと、一瞬だけ肩を揺らす。そんな彼女を横目に見て、俺は無言でクッキーの缶を再び揺すった。そうすると、


「……あー」


 相変わらずこちらに視線は向かない。カチャカチャとコントローラーを弄ったままだが……小さく口を開けた。


「……」


 クッキーを差し出すとパクリと食べ、もそもそと咀嚼する。

 俺はしばらく無言で彼女の口元にクッキーを運び続けた。

 一つ食べ終わり、口を開けたらまた一つ。しばらくして口を開けたらまた一つ。会話は無いが、まぁこちらに少し反応するだけマシにはなったか。


「ラストだ」


 最後のクッキーを彼女の口の中に放り込んだ。

 モグモグと咀嚼する彼女は脱力しきったままゲームを続けている。先程の出来事で気力を使い切ったのだろう、いまだその活力は戻らない。さすがにクッキーだけでは力不足だったか。


「よっと」


 俺は彼女の両脇に手を差し込み、持ち上げる。まるで猫のようにだらーんと手足を伸ばしてされるがままの彼女は、普段よりも少し幼く見えた。

 そのまま彼女がモニターを見られる配置でベッドに腰掛け、ちょこんと膝の上に乗せた。

 今の彼女には慰めが必要と思い、とりあえずいつも刀花にやるような形を取った。俺はこれ以外のやり方を知らん。

 そうしてしばらくリゼットの金糸の髪を梳いたり、背中をさすったり、頭を撫でたりする。しかし彼女はいつものように照れることもなくやはり無反応。重傷だなこれは……。


「……よしよし」


 過剰かとは思いつつも声も掛け、彼女が落ち着くよう努める。羞恥からの現実逃避には、こういったように誰も気にしていないというポーズが効くと昔刀花が言っていたはずだ。


「……」

「……」


 しばらくまた無言でリゼットを撫で続け、時を過ごす。朝の日差しが窓辺から差し込み、爽やかな風が頬を撫で……クーラーの風かこれは。酒上家にはクーラーが無かったからな、新鮮な感覚だ。


「……刀花のこともそうやって慰めるの?」

「む?」


 初めて感じるクーラーの風に興味を惹かれていると、胸元のリゼットがようやく口を開いた。相変わらずこちらは見ないが、その口元は不満げに尖っている。


「まぁそうだな」

「む~……」


 正直に答えると、さらにその口元はへの字に曲がる。談話室での会話から、この可愛いご主人様が何を求めているのかは分かっている。彼女は我が妹と張り合っているのだ。

 まったく、キッチンで刀花にリゼットの真似や似合わないことなどしなくていいと伝えたばかりだというのに。

 ヒトというのは自分ではない何かになりたがる。それは相手が自分にはないものを持っているからだ。俺は自分の性能に満足しているためその気持ちは分からないが……おそらく、今彼女が抱いている気持ちはいじらしい部類の感情なのだろうということは分かる。

 そんな唇を尖らせるご主人様を少し強く抱き竦めた。ちょっぴりその耳は赤くなったが、ツンケンとした雰囲気が和らぐことはない。


「……ふん、浮気を誤魔化す男みたいな動きね」

「クク、そうかもな」

「なんで楽しそうなのよ」


 コントローラーを操る手を止め、ようやくジロリとこちらに視線を向けるリゼット。俺はくつくつと笑いながらその手は離さずに語りかける。


「いやなに、尽くし甲斐があると思ってな。刀花だとこうはいかん。俺は今、頭の中でどうすればお前が元気になるかを考えているが、いい案が浮かばずにいるままだ」

「……それが楽しいの?」

「もちろんだ。俺をこんなに困らせることが出来る者などそうはいない。刀花はなんだかんだすぐ許すからな」


 再び彼女の頭を撫でながら言う。


「お前だけだリゼット、俺を今こんなに困らせてくれるのは。……いいことを教えてやろう。従者や道具というのはな、難しいご主人様であればあるほど喜ぶものなのだ」

「ふ、ふぅん……」


 その言葉が満更でもなかったのか、少しだけ雰囲気が和らぐ。今ならもう少し踏み込んだ話も出来るだろう。


「それにしても『初めて』ときたか……」

「うぐっ」


 談話室のことが鮮明に思い返されるのか、彼女は耳をさらに赤くした……が、逃げることはない。


「そういったことは男が気にするものだと認識していたが、そこまで取り乱すことなのか?」


 バイトの休憩中に、人間がそんな会話をしていたような。しかし腕の中のリゼットは「し、仕方ないでしょう」と不満を口にする。


「私だって、もっと余裕でいたいわよ。でも……私だってなんだかよく分からないんだもの。なんか嫌なの。それに今までずっと勉強や訓練ばっかりで、男の人ともあんまり喋ったことなくって……」


 そこで彼女は言いづらそうに目線をはずし、頬を染めた。


「あなたが……私の初恋なんだもん。私の初めてなんだから、あなたの初めてだって、欲しい……」


 赤く、小さくなりながらぽしょぽしょと小声で言う。


「あぁまったく、なんという……」

「きゃっ」


 そんな彼女をより強く抱き締めた。「もう……痛いんだけど」と言いつつも拒否しない彼女をとてもいじらしく思う。

 どうにか、この可愛い女の子の要望に応えられないものか。しかし、俺の経験はほとんど刀花で占められている。いまだ俺が他人と共有していない経験。なにかあっただろうか……。


「……ちなみに一緒にゲームをするというのは俺も初めてだったぞ。これではダメなのか」

「……だめ、なんかロマンチックじゃない」


 どうやら違うらしい。ロマンチック……?


「俺を殺してみるか? これは自慢だが、俺は敵には一度も殺されたことはない。お前になら一度くらい殺されても構わんぞ」

「それがどうロマンチックに繋がるのよ……」


 これもダメか。自分より強い敵を殺すのはロマンだと嘯いていた追っ手がいたのだが……アテにならんな。


「吸血はどうだ? あれは経験がないだろう」

「……本当にぃ?」


 これだと思ったのだが、リゼットは疑わしげにじとーっと目を細める。


「トーカのことだからあなたの血くらい舐めてそうだけど」

「……そういえばあったかもしれん」


 思い当たる節があり、顔を強ばらせる。

 何らかの理由で血を流した時に、「舐めてれば治ります!」と言われベロベロに傷口を舐められたような……刀花、吸血鬼のお株を奪ってどうする。


「やっぱりね」

「うぅ~む……」


 肩を竦めて溜息を漏らす彼女に何も言えず唸る。いや難しい。難しい問題だぞこれは。

 唸る俺を上目遣いで見ながら、今度は彼女が控えめに提案する。


「……やっぱり大人のキ――」

「それはダメだ。俺の我慢がきかない恐れがある」

「あ、そ、そうなの……?」


 そもそも刀花にお願いされてもするつもりはなかった。普通のキスなら全く平気なのだが、そこまでいくとなるとな。

 まったくマセガキどもめ……。大人に憧れるのは結構だが、我慢させられるこちらの身にもなれ。


「うーん……」


 そうしてしばらく密着しながらうんうん唸って意見を擦り合わせるが解を得られず、無為に時間だけが過ぎていく。


「はぁ……喉が渇いたわ。何か飲み物を持ってきてちょうだい」

「……わかった」


 クーラーもついているのに暑いのか、彼女は白いブラウスの襟をパタパタとしながら指示を下す。まぁクッキーも食べたしな、飲み物を持ってこなかったのは気が利いていなかったかもしれん。

 離れる際にもう一度ギュッと抱き締めてからベッドから降りる。さて、何を入れたものか……。


(ん? 飲み物……?)


 そこでピンとくるものがあった。


「ふむ……」

「な、なに……?」


 顎に手を当て、キョトンとするリゼットの姿をじっと見る。

 刀花が経験しておらず、よく分からんがロマンチックで大人っぽくて、今のリゼットにしか出来ないこと……。

 ――少しグレーだが、いけるかもしれんな。


「よし、決めたぞマスター」

「え、え?」


 一つの解答に至った俺は、意気揚々と彼女に告げる。


「今夜、風呂に入った後で俺の部屋に来てくれ」

「え!? そ、それって……」


 リゼットは目を見開き、なぜかあたふたし始めた。そんな彼女を尻目に不敵に笑う。

 これは本当は刀花が大人になってからと楽しみにとっておいたのだが、まぁいい。俺の初めてを、この可愛いご主人様に捧げようじゃないか。


「今夜、俺がお前を大人にしてやるからな」

「え、えぇーーーーーー!?」


 リゼットの素っ頓狂な声を聞きながら、とりあえず麦茶でも入れるかと俺は彼女の部屋を足取り軽く後にするのだった。

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