第21話「わんわん(高音)」





 定食屋に入った俺達は入り口近くの食券売り場に歩みを寄せる。

 朝の騒動で些か遅い朝食となり、店内のラッシュタイムは過ぎている。店内はほとんど人もおらず視線を集めるようなこともない。我がお嬢様はこういった文化に触れるのは初だ。急かされず落ち着いて知っていってもらいたいため、人がいないのは好都合と言えた。


「わぁ……どれにしようかしら」


 顎に指を当て、前屈みになりながらディスプレイに表示された料理の画像を眺めるマスター。自国とは異なる料理の数々を見て瞳を輝かせる姿は、年相応の純朴さが垣間見える。端から見れば、誰もこの女の子を夜の支配者たる吸血鬼だとは思うまい。


「マスター、漢字は読めるか? 一応英語に切り替えも可能だぞ」

「ふふ、あなたのマスターを甘く見ないことね。こっちに来る前に一通り叩き込んだわ」


 振り返り、自慢気に髪を靡かせる。吸血鬼としての力が弱いためか、彼女は彼女の可能な範囲で努力を重ねてきた。来日するにあたってもそういった彼女の生き方は変わらず、腐ること無く対策を練ってきたのだろう。


「ふむ、さすがは俺のマスターだ」

「あ、あう……」


 そんな彼女の気高い生き方に素直に称賛を送ると、彼女は頬を染めそっぽを向く。そして誤魔化すように咳払いをしてゴニョゴニョ呟いた。


「そ、そういうの急にはやめてよね……」

「なぜだ?」


 虐げられるとはいかないまでも、彼女のこれまでの環境は決していいものではなかった。報われない努力をひたすら続け、それを嘲笑される日々。そのような環境におかれてなお、腐らない者はそうはいない。彼女の意志は折り重ねた鋼のように硬く、そして美しい。誰も彼女を称えないのであれば、俺が称えねばなるまい。俺は、彼女の眷属ゆえに。


「……く、癖になっちゃいそうだから」


 指をこねくりこねくりさせて、もじもじする。

 その様子は大変可愛らしいが、俺は「うぅむ……」と唸って頭に手をやった。


「……難しいものだな」


 自己肯定感が低いというのも考え物だ。彼女と接する内に、なんとか彼女がありのままの自分を受け入れられる日が来ればいいと願う。例え吸血鬼の力が弱くとも、彼女の芯鉄は高貴な輝きに満ちているというのに。

 これが刀花であれば諸手を挙げて「ありがとうございます!」と喜んで称賛を受け入れるのだがな……。そんな純粋な刀花は鼻歌混じりに自分の「エビフライ定食(ライス大)」と俺の「焼き肉定食」の食券を買っている。ドーナツとはなんだったのか……。


「こ、コホン……じゃあ、これにしようかしら」


 こちらの顔を見ないようにして赤くなった頬を隠していたリゼットは、刺身定食の映った画面をしげしげと眺めタッチパネルを押す。外国人は生魚が苦手と聞くが……?


「あら……?」


 そんな懸念を抱いていた俺の耳に、リゼットの不思議そうな声が届く。


「どうかしたか?」

「この機械、直接お金を入れないと食券を貰えないの?」


 それはそうだろう。無料で食事などできようはずもない。


「その通りだが……」


 ……まさか。


「マスター、金を持っていないのか」

「えぇ……」


 ……なんということだ。

 つまりは、ブルームフィールドの一族は一文無しで年頃の娘を国外に追いやったというのか!?


「許せぬ……」


 荒れ果てた屋敷を宛がうだけでなく、このような仕打ちをリゼットに……。


 ――なめられたものだな。


 いいだろう。

 既に我が力は彼女の力となった。彼女は「報復のための力はいらない」と答えたが、俺自身はやられたら何億倍にしても返す者だ。例え彼女が望まずとも……そうだな、今夜辺り二人が寝静まった頃に英国に跳び、誰の主人に手を出したのか思い知らせてくれ――


「困ったわね……」


 静かに殺意を固める俺の気も知らず、リゼットは一枚のカードを取り出した。

 待て、カードだと?


「私これしか持ってないのに」

「な、なに……?」

「わ、すごい初めて見ました」


 頬に手を当て取り出したのは一枚の硬質なカード。そのカードは店内の照明を反射せず、ひたすら光を貪欲に呑み込む……黒色だった。


「――」


 何も言えずに固まる俺に、「どうしよう?」と首を傾げて目で聞くリゼット。

 ……なるほど。どうやら侮っていたのは俺の方らしい。放逐した者にこのようなカードを持たせても痛くも痒くもない、それがブルームフィールド家ということか。今後はそれを念頭に置きながら敵視することにしよう。

 それによく考えなくても、リゼットの来日目的はあくまで留学だ。事実上の勘当とはいえ、娘を一文無しで島流ししたなど、そんなことを知られれば外聞が悪すぎる。いまだ格差激しい英国の貴族ともなると、その辺りは気を遣うのだろう。


「素寒貧で来たのかと思ったぞ」

「あなた私の家をなんだと思ってるのよ……」


 さすがにそこまで非道ではなかったか。危うく英国に夜駆けするところだ。

 やりきれない雰囲気の俺の様子に、リゼットは疑問の目を向けたものの、やがてすぐに理解の色を示した。


「……もしかして、怒ってくれてたの?」

「当然だろう」


 俺の主人となったからには、身にかかる火の粉は振り払ってもらわねば困る。その時にこそ俺はその刃となり、脅威を打ち払う力となるのだから。

 そう言うとリゼットは目をパチクリさせた後、サッと顔を伏せた。


「……ジン、頭をこっちに」

「む?」


 俯き、前髪で表情の見えない主人は、俺の疑問の声に「いいから」と急かす。


「こうか?」


 俺より背の低いマスターに合わせ、跪くように頭を寄せる。すると――


 わしゃっと。


 小さな手が躊躇いがちに俺の髪を撫でた。


「ありがとうジン、私のために怒ってくれて。ちょっぴり乱暴だけど、あなたのそういうところ……結構好きよ」

「――」


 彼女はツリ目がちな瞳を優しく細めながら梳るように髪を撫で続ける。ほんのりと温かい掌から、彼女の温もりがぎこちなくも伝わってくる。

 その熱に息が詰まりながらも、なんとか口を動かした。


「……俺はお前の眷属だ。特別なことをしたわけではないのだぞ」

「うぅん……それでも嬉しいの」


 俺のご主人様はゆっくりと首を横に振り、こちらの様子を伺いつつわしゃわしゃと手を動かす。

 一撫でするごとに、彼女の温もりがじんわりと胸を温かくした。その優しい熱に思考を溶かされ、殺意も敵意も霧散し、難しいことが考えられなくなってしまう。


「わ、わん……」

「兄さんが犬に!?」


 おっと、あまりのことに忠義が溢れてしまった。しかし仕方あるまい。俺は元来からして仕える者としての気質を備えている。他の人間にこのような扱いをされれば殺意しか湧かないが、俺が認めたご主人様から直々の褒賞だ。

 刀花とは甘やかし合う関係だが、主従関係で信賞必罰がしっかりしている彼女との関係は、俺にはとてもしっくり来る。俺はこの子の犬になりたい……。


「やっぱり主従プレイじゃないですか……」

「「うっ」」


 ジト目でボソッと呟く刀花に何も言えず、ギクリとして目を背け合う。「息まで合い始めました……」という声が気まずさを加速させる。

 俺は誤魔化すように咳払いをしてから小銭を取り出し、リゼットの食券を買うために券売機へ硬貨を投入するのだった。

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