第9話「女主人が眷属にさせたいことアンケート第二位でつい……」
ガスコンロ上の沸騰したお湯を入れた鍋に、明け方買ったコンソメスープの素を投入する。
「じー……」
続いてあらかじめ切っておいた人参や玉ねぎを鍋にボトボトとぶちこんだ。
「じー……」
透き通った黄金色に輝くスープをお玉で適当にかき混ぜながら頷く。これくらいならば、俺にだって危なげなくできるのだ。
「じー……」
「……」
そしてなぜ我が妹は半眼でこちらを見てくるのか。
澄みきった朝日を浴びる酒上家の朝食作り。台所で隣に立つ刀花は刀花で、手元で朝食のサラダとなるレタスを千切っている。しかしその琥珀色の瞳は疑わしげに俺を見つめていた。
「……珍しいですね、兄さんが洋食を食べたいだなんて」
「そうか? そんな日もあるだろう」
「じー……」
こちらを見透かすようにじっとりと眺めてくる刀花に冷や汗をかく。さすがに苦しすぎたか。
英国出身の女の子を泊めた翌日に「洋食が食べたい」などと言ったら、その意図などスケスケである。
とは言っても、正直に理由を話すというのもなんだか座りが悪い。常日頃から刀花を優先してきた俺だ。そんな俺が今、別の女の子に気を遣おうとしているのだ。それは刀花も目を鋭く細めるというもの。
「まあ? 別にいいんですけどね。『女の子には優しく』って言ったのは私ですし?」
全然よくなさそうな雰囲気で刀花はこちらに言葉の刃を突きつける。
「今まで兄さんは誰とも関わりを持とうとはしませんでしたから。これはむしろ進歩と捉えて然るべきでしょう」
ブチブチと野菜を千切る刀花は、無双の戦鬼ですら寒気を覚えるほどの迫力を秘めていた。立派に育って兄さん嬉しい。
「でもですよ? 私はこうも言いました。『妹には一番優しく』と」
野菜をまな板の上に転がし、刀花はこちらに身体を向けた。その頬は「むむむ」とお餅のように膨らんでいる。
「……だから兄さんはリゼットさんに優しくした分、可愛い妹にももっとサービスするべきだと思います」
どういう方程式でそうなったのかはわからないが、刀花の可愛さの前では些事だった。
たまらなくなった俺はコンロの火を止め、正面から可愛らしくむくれる刀花を抱き締めた。
「むふー。すぐに行動に移してくれる兄さんは好きですよ」
満足げにシャツに顔を埋め匂いをハスハス嗅ぐのはどうかと思うが、可愛い妹であれば全てが許されるのだ。古事記にもそう書いてある。
「嫉妬か?」
「そうですよー。兄さんだって、私が違う刀抱いて寝たらどう思いますか?」
「泣く」
「それと同じです」
なるほど、と頷き艶のある黒髪を優しく撫でる。機嫌をよくした刀花は笑みを浮かべながら胸にぐりぐりと頭を押し付けてくる。
「ふふ、めんどくさい妹ですみません。私から女の子には優しくって言ったのに」
「いや、意地の悪い言い方にはなってしまうが……存外悪くない気分だ」
ここまで嫉妬心を抱く刀花も珍しい。年頃の近いリゼットが相手だからかなかなかに敏感だ。
刀花は「私は複雑な気分ですけどね」と言いつつもまた胸に顔を埋める。
「でもでも、その分兄さんに甘えられるというのはなんだかお得な気分です」
「いつでも甘えていいぞ」
「いつもとはフレーバーが違うんですよフレーバーが」
確かに。刀花はいつでも可愛らしいが、嫉妬する刀花はいつも以上に可愛らしい。そういうことだろう。
より一層力を込めて抱き付いた後、刀花は「よし、充電完了です!」と言って離れた。いい笑顔を浮かべる刀花は、いつもより肌の艶が増している気がする。
「さてさて、後は卵とベーコンを焼くだけですので、兄さんはそろそろリゼットさんを起こしてあげてください」
「了解した」
エプロンを外し、最後にもう一撫で刀花の頭をくしゃりと撫でてから、俺は居間でいまだに眠るお姫様の方へと足を向けた。
「すー……すー……」
居間の畳に敷いた布団で眠り続ける少女に寄り、膝をつく。
明け方ごろにはうなされていたリゼットだったが、今は落ち着いた寝息を立てている。旅の疲れもあり、その眠りはいまだ深い。
つり目気味の紅の瞳は閉じられ、その顔は年相応のあどけない女の子のそれだった。
昨夜の夢を回想する。母に甘えるリゼットの表情とこの寝顔はそっくりだ。おそらく、彼女の生来の資質はああいった甘さを備えていたのだろう。俺達に見せるツンケンした態度は、弱い彼女が生み出した、周囲から身を守るための手段なのかもしれない。
「ふむ……」
思わず、妹にするように髪を撫でる。引っ掛かりもなく指が通り、黄金を溶かしたかのような金髪がサラサラと流れた。
「むぅ~……」
しかしリゼットはむずがるように眉を寄せて頭を振った。どうも違ったらしい。
「ふーむ……」
俺は昨夜見た夢を思い出しながら、今度は彼女の母がそうしたようにより優しく髪を撫でてみた。刀花にやるような、くしゃりとしたものではなく、髪の流れに沿って、とかすように。
「……ふふ」
正解だったようだ。
ふにゃりと目尻を下げ、甘えるように手に頭を擦り付けてくる。昨日も思ったが、まるで猫のようだ。猫って可愛いよな。全世界に猫が溢れれば世界は平和になる。
そうしてしばらく猫に思いを馳せながら撫でていると、
「……ふふ……ん……?」
リゼットが身じろぎをする。どうやらお目覚めのようだ。
瞼を薄く開き、ゆっくりと身を起こしてからお上品に手を口許に当て欠伸を漏らす。そしてついでに手を伸ばし続けている俺とパッチリと目が合った。
「…………なにしてるの」
「髪を撫でていた」
「…………なんで?」
「猫が好きなものでな」
「はい……?」
頭の回らないリゼットは疑問符を浮かべるが、ふと、じっと見る俺の視線に恥ずかしそうに頬を染めて布団を胸元に寄せた。
「寝起きの女の子をあまりじろじろ見るものじゃないわよ?」
「おっと、失礼」
「あ、あら……?」
すんなりと身を引いた俺に、リゼットは怪訝そうな瞳を向けてくる。そのような瞳を向けられる謂れはないが……。
「……なんだ?」
「いえ、あまりに素直だったものだから……」
「俺をなんだと思ってる」
「デリカシーのないシスコン戦鬼」
「言ったな、甘えんぼマザコン吸血鬼」
「んなー!?」
リゼットの顔が沸騰したように真っ赤になる。
「ななな、なんで!?」
「いいご母堂ではないか、優しくて聡明そうで」
「あっ! み、見たのね!?」
「見たくて見たわけじゃないがな」
ふん、と鼻息を鳴らす。あんなもの見なかったら、目の前の少女など今頃布団から引きずり出しているところだ。
「~~~」
真っ赤になったリゼットは、プルプルと羞恥に震えている。周囲に振り撒く強気のメッキを思わぬところで剥がされ、甘えん坊である本性を見られたのだ、その心情は察するに余りある。俺としてはこちらの方が好みだが。
「……忘れなさい」
「無茶言うな」
「う~……!」
布団に顔を埋めジタバタと暴れる。埃が立つからやめんか。
「まあ許せ」
「……言っとくけど、昨日の鎖で縛られたことも許してないからね」
ジロリと布団から少しだけ顔を上げてこちらを睨む。
「吸血鬼と聞いたものでな、警戒は必須だった」
ここまでポンコツと知っていれば話は別であったが。
そんなポンコツ吸血鬼はぐぬぬと涙目で唸り続けている。
「……謝罪を要求します」
「悪かったと言っているだろう」
「……誠意を見せなさい誠意を」
なんだそれは。
土下座でもすればいいのだろうか。しかし英国式の誠意の見せ方など知らんぞ。
むむ、と困る俺に気分をよくしたのか、リゼットは意地悪そうに笑う。
「そうね――」
彼女はちゃぶ台の上に座り、足を投げ出した。薄いネグリジェから伸びる真っ白いすらりとした足が目に眩しい。
「足にキスして『申し訳ありませんでしたマスター』と言ったら許してあげるわ」
ふふん、と楽しげに笑って顔をツンと上げた。
「……」
しかし夢を見た俺にはよく分かっている。これはブラフであると。こういった強気な姿勢は周囲の環境から後天的に否応なく身に付けたもの。彼女本来の気質ではない。その証拠に、隠しきれない彼女の尖った耳は真っ赤だ。
どうせできない、とリゼットは確信しながらこれを言っているのだ。それはそうだろう、俺は刀花を守護する戦鬼。どこの馬とも知れぬ者に忠誠を誓うような真似をするはずがない。そういった昨日からの俺の姿勢を鑑み、このような無茶を言っているのだ。俺を困らせるために。
「なるほど……」
だが――
「ちょっ――」
それは昨日までの俺だ。
昨日までの俺ならばこんなことを言われた時点で刀を抜くところだが、彼女の本性を知った今の俺は違う。
ツンケンした態度の後ろに隠れる幼い少女の甘さ、なんとも可愛らしいではないか?
「どれ……」
俺はリゼットの足元に寄り、まるで従者のように片膝をつく。そして彼女の生っちろい右足に手を添えた。
「は、はわわわ……んっ……」
リゼットはこちらから下着が見えないようにネグリジェを押さえながら息を漏らしている。まさか本当に行動に移すとは思いもよらなかったのだろう。
無論、俺もそのようなことするつもりはない。からかわれたのでからかっているだけだ。
「あっ……」
「……」
染み一つない雪原のような足を包み込むようにして持つ。乙女に相応しいスベスベとした白磁の肌。それが今は、恥じ入るように火照っている。
そう、からかっているだけ……そのはず、なのだが……。
「はっ……はっ……」
チラリと彼女の顔を見ると、熱に浮かされたように息を吐き、陶然とした顔でこちらを見つめている。その顔を見ているとなんだか俺も妙な気分になってくる。
思えば、刀花は全然俺に命令をしてくれない。刀花がするのはお願いであって、道具のように使ってはくれないのだ。
しかしこのリゼットは明確な命令を俺に下した。バイト先の人間であれば不愉快なことこの上ないが、俺は彼女に少し心を許してしまった部分がある。そんな少女が、俺に命令を下したのだ。
――道具の悦びを覚えてしまいそうだ。
道具とは使われることこそが本懐であり本能である。その久しく感じていなかった本能を、俺は今この少女にビンビンに刺激されていた。
「んっ……え、ほ、ほんとに……?」
「お前が、言い出したことだろう……」
おかしい。からかうだけのつもりが、止まれなくなってきた。彼女はリンゴのように頬を染めて、しかしぞくりとしたような顔でこちらを見つめている。
「あっ、あっ……」
「――」
そしてそのまま、俺は彼女の芸術品のような足に顔を近づけ――
「ピピー! ラブコメ警察です!! 妹以外とのインモラルなラブコメは禁止ですよ!!!」
ズザーと野球選手もかくやという見事なヘッドスライディングで刀花が飛び込んできた。
「おっとと」
咄嗟にリゼットの足から手を離し、刀花を抱き留めた。
「にぃーいぃーさぁーんー?」
「お、おう……」
はち切れそうなほど頬を膨らませた刀花の視線に目を逸らす。今のは確実に俺が悪い。
「朝から不潔です」
「すまない」
「私にもしてください」
「不潔ではなかったのか?」
言いつつも近いところにあった刀花の手を取り、その甲にキスを落とした。
刀花は一瞬へにゃっと笑顔を浮かべたものの、また頬を膨らませて俺とリゼットに鋭い視線を送り続けている。
「まったく油断も隙もありませんね、まさか兄さんがここまで入れ込んでしまうなんて……」
道具の本能を刺激されてつい。
「主従ってインモラルな関係なんですね、怪しいと思ってました。やっぱり兄さんの身体が目的だったんですね!」
「ち、違うわよ! 今のはその、物の勢いというか、一種の憧れというか……」
リゼットは真っ赤になりつつもボソボソと反論する。そして刀花は俺の腕を引いて離さない。
「えっちな二人は朝御飯抜きです! せっかく兄さんが気を効かせて洋食を用意したのに残念でしたね!」
「えっ……?」
刀花の言葉に反応し、「そうなの?」と意外そうな目でこちらを見るリゼット。その頬は羞恥とは別の意味で赤くなっている気がした。
「いらっ……」
しかしその反応は刀花の逆鱗に触れた。台所での聞き分けのいい妹の顔はどこへやら、ますます強く俺の腕を抱き、
「いい傾向ですので大目に見ようと思っていましたが、やっぱり実際目にするとダメです、これはダメです。いいですか――」
刀花は宣言するようにリゼットに指を突きつけて言い放った。
「私の兄さんはぜーったい渡しませんからーーー!!」
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