第3話「我が社で君の力をどう活かせますかって質問が一番嫌いだ」
ご機嫌よう。
イギリスからやってきた美少女吸血鬼、リゼット=ブルームフィールドよ。
容姿端麗、頭脳明晰。ブルームフィールド家当主を父にもち、これでもかなりの家柄のお嬢様なの。まあ事情があってあまり恩恵はないのだけれど……。
「そら、ちゃきちゃき歩けご主人様」
「うっ、うっ……」
そんな私は現在、夜の薄暗い通りをまるで罪人のように手を鎖で繋がれながら歩かされていた。どうしてこうなってしまったの……。涙があふれて止まらない。
「ね、ねえ、ご主人様っていうならこの鎖を外しなさいよ」
「ふん、ご主人様(笑)」
「んなー!」
この男……!! 無礼、無礼すぎるわ!
本来なら私に跪いて「いかなる命令をも叶えてご覧にいれましょう」とか言って然るべきなのよ眷属のくせに!
私の周囲の吸血鬼はカリスマ溢れ、それはもう当然のように眷属を傅かせていた。眷属に反逆されたなんて話聞いたことがない。それなのに……。
「うぅ……『オーダー』! 『オーダー』よ!」
「なんだ腹が減ってるのか?」
「ちーがーうー!」
絶対命令権である『オーダー』も効果をなさない。おそらく、この男が契約を斬ってしまったからだ。まだぼんやりとした繋がりは残っているけれど、それだけだ。私はこの男に抗する術を何も持っていないということになる。
「もう少し抵抗されるかと思ったのだがな。コウモリになるなり影に溶けるなりしてよかったのだぞ?」
「うっ……」
それが出来たら苦労はしない。いや出来たとしてもこの男なら簡単に捕まえられそうだけれど。
数分前に感じた霊力の奔流を思い出し身震いする。彼の纏った、全身が総毛立つような禍々しいオーラ……およそ一個体の生物が出していいものではなかった。彼の存在を世界の方が許容出来ず空間が軋む音、そして魔王のような哄笑がまだ耳に残っている。
そんな相手に抵抗する気も起きない。私はダバダバ涙を流しながらドナドナされるのみだ。
「どこに連れて行く気なの……?」
「俺の”所有者”のところだ、光栄に思うがいい」
”所有者”って何?
先ほど覗いた情報では彼の知り合いは妹しかいなかったはず。でも妹が”所有者”って? そもそも五百の魂を生け贄にって? その妹があなたを作ったの?
だとしたら……まずい。こんな傍若無人な鬼を作ってしまうような人間だ。きっと私も何かの材料にされてしまうのかもしれない。
あぁ、お母様。このリゼット、短い吸血鬼生でした。今あなたの御許に向かいます。愚かな私をどうかお許しください……。
私は一体どんな魑魅魍魎の巣に連れて行かれるのかと、半ば現実逃避しながら夜の通りをひたすら歩くのだった。
「ひっ」
「着いたぞ、ここだ」
隣から短い悲鳴が上がったが、気にはしない。まあ刀花も似たようなリアクションしてたしな。
改めて目の前の建造物を見やる。一言で言えば錆び付いたオンボロのアパートだ。窓から覗くカーテンは破れ、窓ガラスが割れている部屋もある。当然住人の気配はなく、もはや廃屋と言って差し支えない物件だ。幽霊アパートと近所では噂になっているらしい。実際、ここに以前に住んでいた住人は、悪霊により殺された者もいると聞く。
だが仕方あるまい。金のない俺たち兄妹が住むにはこういった物件しか残されていなかったのだ。
「ねぇ、ここ大丈夫なの?」
隣にいる吸血鬼が恐る恐る聞いてくる。なにについてだ? 住み心地か? 幽霊についてか?
「トイレと風呂は意外にも各部屋にあるぞ」
「いやそういうことじゃなくて……」
「いいから行くぞ」
少女は「えー……」と嫌そうだが付いてくる。外観に目を瞑れば格安でいい物件なのだがな。幽霊は引っ越し初日に除霊(物理)した。
安っぽいカンカンという音を鳴らしながら階段を上がる。電球が切れかかっているのか、明滅し視界が悪い。そんな中で……前方の廊下に人影が垣間見えた。
「ひっ、だ、誰なの!?」
怯えた様子で警戒をあらわにする少女。威勢はいいが腰が引けている。
「――」
吸血鬼の声に反応を示さない廊下の先の人影はゆらりと揺れた後……、
「――!」
長い黒髪を揺らし、猛然とこちらに走ってきた。
「いやあああああああ!?」
あまりの恐怖にしゃがみ込む吸血鬼を尻目に、俺は鎖を離して両手を広げた。
「おかえりなさい、兄さん!」
「ただいま、刀花」
まるで数年離れていた恋人達がするように抱き合う。最近バイトばかりで二人の時間がとれていないから、寂しい思いをさせているのだろう。刀花は近頃毎回こうやって出迎えてくれる。
「まだ起きていたのか」
「夏休みですから大丈夫ですよ。それになんだか胸騒ぎがして……」
不安そうに目を伏せる。霊力の高い人間の胸騒ぎはバカに出来ない。実際俺は問題を抱えてしまったのだから。
隣でプルプルと震えてしゃがみ込んでいる吸血鬼を見る。さて、どう説明したものか。
「むむ……?」
「どうした?」
頭を撫でられ胸に顔を埋めていた刀花は、唐突にくんくんと鼻を鳴らしている。汗臭かったか……?
「……兄さんから女の人の匂いがします。まさか――」
目のハイライトを消してそんなことを言い出した。電球の明滅も加わり異様なプレッシャーを放つ刀花はこちらを静かに見つめ……、
「まさか、トラックに轢かれたところを死にかけと勘違いされて吸血鬼の女の子にダメ元で術式をかけられてそれがなぜか成功して眷属になっちゃったんですかー!?」
「いやすごいな」
何も補足するところがない。俺のスメルにどれだけ情報が詰まっているのだ? さすがは我が妹だ。俺は誇らしいぞ。
「あ、どうぞどうぞ吸血鬼さん、上がってください。事情を聞かせて貰いますので」
刀花は鎖で縛られた吸血鬼の手を取って自室へと招いている。
リゼットはぐすっぐすっとべそをかきながら我が自室へと入っていった。
「こら、兄さん」
ポコン、とお玉で頭を叩かれた。
「女の子を怖がらせちゃダメっていつも言っているでしょう?」
刀花も怖がらせていたではないか、とは言わない。我が妹には全てが許されているのだ。俺の妹だからな。
そんな妹は現在、腰に手を当て「めっ」とこちらを叱る。俺は正座である。
「いいですか?『女の子には優しく、そして妹に一番優しく』はい復唱」
「イモウトニハイチバンヤサシク」
トウカチャンカワイイヤッター。
「なんなのこの人達……」
六畳一間のチンケな自室へ入り、お茶を淹れた後、ちゃぶ台を囲んで刀花に事情を説明したところ叱られてしまった。その様子を見て、リゼットはドン引きしている。ちなみに鎖はとっくに消した。妹の命だ、従おう。
「ごめんなさいリゼットさん。怖がらせるつもりはなかったんです」
「え、ええ……」
素直に頭を下げる刀花に、リゼットは拍子抜けした様子だ。一体何を想像していたのか知らないが、刀花は霊力は高いがただの人間だ。いや違うただの人間ではない。世界一可愛い妹である。
「あの、謝罪ついでにいろいろ聞かせて貰ってもいいかしら」
小さく手を挙げるリゼットに刀花はお茶を注ぎながらどうぞどうぞとニコニコしている。
「えっと、”所有者”っていうのは? あなたがこの男を作ったの?」
リゼットはチラリとこちらに目を向ける。こちらを警戒している目だ。
「うーん、どう説明しましょうか……」
刀花も困ったようにこちらを見る。どこまで話してよいか決めあぐねているようだ。
「別に、そのまま話していいのではないか。繋がった感じ、悪いやつではなかったと思うぞこの者は」
契約で繋がった際、あちらからも流れ込んでくる何かがあった。後々文句を言われるのも嫌なので断ち斬ったが。
そう言うと彼女は「な、なによ……」とそっぽを向いた。嫌われたものだ。
「そうですねぇ……十年前の話になります」
十年前。人間社会に溶け込み、細々と生きる俺達のような者の中に、馬鹿な奴らがいたのだ。人間を滅ぼそうなどと。そう嘯く者たちが。
「当然、人間は対処に追われた。もちろん表立ってではない。俺達人外の者は秘匿されて然るべき存在だからな」
この現代社会。一部の者にしか俺達のような存在が実在することは把握されていない。実際問題が起こったのはその十年前きりだ。それでいいと人間も思っているし、人外達もそう思っている。何事もバランスが大事なのだ。だからこそ、十年前は異常だった。
「そんな中、人間に反逆を企てた者もバカだったが、人間達はさらにバカなことをした」
霊力の高い身寄りのない人間を集め、とある儀式をおこなったのだ。
「人間も人外達に直接相対するのは嫌だったのだろう。代わりのものを用意しようとしたのだ」
何者にも負けず、臆さず、敵を自動的に殲滅する”道具”を。
「それが俺で――」
「生け贄は私を含めた人間五百人です」
五百の魂を、鬼を斬ったとされる妖刀にぶち込んだ。そうして俺はこの世に顕現したのだ。
「え、でも生け贄って死ぬんじゃ……?」
「他の方は死んでしまいましたが、私は特別霊力が高かったのか、生き残ることができたんです」
まあ実感はありませんけど、と刀花は苦笑する。幼い頃のことだ、あまり記憶にはないのだろう。それでいいと思う。
俺は鮮明に覚えている。
夥しい死体の数の中、一人生き残った少女。
「そして俺に誰よりも早く言葉を投げかけたのも刀花だった」
『――たすけて、ください』
『……命令を受諾した』
「俺は刀花を”所有者”と見初め、全てを破壊した」
儀式も、人間も、人外も。彼女を傷つけた者を悉く討ち滅ぼした。俺はそういう意図で作られた”道具”だったので簡単な仕事だった。あんなもの、この世に残しておくべきではない。
「まぁ、”所有者”というのはそういうことだ」
「もう、私はその言い方嫌だって言ってますよね?」
そんな過去を持つ俺達は呑気に茶をすする。リゼットも「そんなことがあったのねぇ……」と息を漏らした。まあ、裏社会じゃよくあるような話だ。よくある、ありふれた悲劇だ。珍しくもない。
「”妹”、です。私の魂も入ってるんですから、血よりも濃く繋がった家族なんですー」
「ふ、そうだな」
刀花の魂は大部分返したのだがな……。
嬉しそうにポニーテールを揺らしながらじゃれつく刀花を撫でて苦笑する。
俺の姿は顕現当時から変わっておらず、「兄っぽいから」と漠然とした理由で兄妹ということになっている。正直俺にはよくわからんが、そこは譲れないらしい。
リゼットはこちらの様子を微笑ましそうに見ながら「なるほどね」と呟いた。
「そういう経緯ならこの男がそれだけ強いのも納得だわ」
「そうなんです!!」
「きゃっ……!」
ずいっと刀花は琥珀色の瞳を煌めかせながらリゼットに迫った。
「兄さんは最強なんです! その膂力は地を砕き、創造する武器は天を裂く! 内包された霊力であらゆる属性すら付与する千変万化の武は他の追随を許さず、総ての存在を圧倒します!!」
刀花はまるで買って貰ったばかりのおもちゃを自慢する子どものように一気にまくし立て始めた。こういう話ができる相手もいなかったし、何か溜まるものがあったのだろう。この妹は俺の話になると早口になる。
今も「実は兄さんにはまだまだ隠された機能があってですねぇ――」とドヤ顔で語っている。
俺も「うむうむ」と得意げに頷く。所有者に「使える!」と言われて喜ばない道具はいないのだ。
「わ、わかった。わかったわ。あなたのお兄様がどれだけすごいかよくわかったわ」
引き気味にリゼットは身体を遠ざける。
「でも、一ついいかしら……?」
「なんでしょう! 兄さんのことならなんでも聞いてください!!」
刀花はドンと自分の胸を叩く。大きな胸がたゆんと揺れた。
「あなたのお兄さんがすごい力を持っているのはわかったわ。それであなたの命を助けたのもわかった。だけど――」
言いにくそうに「素朴な疑問なのだけど」と言葉を濁した後、リゼットは言葉を続けた。
「――それって日常生活でなにか役立ってるの?」
――ピシリと、空気の凍る音がした。
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