俺のマスターは吸血姫~無双の戦鬼は跪く!~

黎明煌

プロローグ 「吸血姫と人間、時々戦鬼」

第1話「朝はキチンと起きる、そう誓ったわ」



 この俺、酒上刃さかがみじんに与えられし朝の使命は、まずご主人様を起こすことから始まる。

 広大な洋館、その廊下に敷かれた絨毯を遠慮なく踏みしめながら、身体の動きを隈無くチェックしていく。全ては己が使命を果たすために。


「む……」


 着慣れない学園の制服が少しだけ自分の動きをぎこちなくさせ、思わず眉を寄せてしまった。


 ──我が性能は主と妹のため、常に十全に発揮されねばならない。彼女達の幸福こそ、我が覇道のいさおし。いざという時に「動けなかった」では少女達を守護する戦鬼せんきの名折れよ。


 身体の違和感を修正しつつ大階段を経て二階に上がり、隅の一室の前へ立つ。

 そうして遠慮なく、コンコンと重厚な木製の扉を叩いた。


「……」


 反応なし。

 彼女を起こす業務を続けて一ヶ月ほど経つが、もはや想定通りの反応過ぎて驚きもしない。

 そんな変化の無いままの扉に目を細め、俺はもう一度強めにノックをした。


「マスター、朝だ。起きろ」


 こちらから声をかけると、部屋の中からくぐもった呻き声が聞こえてきた。

 どうやらようやくお目覚めらしい。小さい声で「学園行きたくない……」と言っているのが耳に届いた。


「入るぞ」


 一応、制服の襟を整えてからドアノブを回す。小気味のいい音と共に扉を開けば、優しいラベンダーの香りが俺を出迎えた。


「む……」


 ……人工的な冷風も、おまけにして。


「……またエアコンをつけっぱなしで寝たな。風邪を引くからやめろと言っているだろう」


 ピッと冷気を送り続けていたエアコンを止める。まったく、森深くの洋館にあって無粋な風である。

 俺は深紅のカーペットを踏みながら、天蓋付きベッドのこんもりした膨らみを少し湿っぽい目で見やった。

 そんな視線の先にある膨らみはもぞもぞと動きながら「だって日本の夏暑いんだもの……」と呻いている。それで布団の中に引きこもっていては世話もなかろう。


「もう夏休みは終わったのだ。刀花とうかがもう朝飯を作っている、早く起きて支度をせねば」


 少女の朝の支度は、ただでさえ時間がかかるのだからな。

 豪奢な部屋に散らばったお菓子の残骸やゲームのコントローラーを片付けながらそんな言葉を投げ掛けていれば……、


「うー……わかったわよ。よいしょ……」


 もぞもぞと動くシーツから、小動物のような動きでひょっこりと顔だけが出てきた。


「ふあぁ……おはよう、ジン」


 欠伸混じりに一人の少女が姿を現す。

 黄金を溶かしたかのような金髪がベッドの上にさらさらと流れ落ち、深紅に輝く瞳はまだ眠そうに細められている。陶磁器と見紛う滑らかで白い手が瞼を擦り、少女はいまだ出る欠伸を噛み殺していた。


「うむ。おはよう我がマスター、リゼット。夏の朝日を食らえ」


 そんな彼女に容赦なくカーテンを開け放つ。夏の朝日が暗い部屋に差し込み、リゼットの目を焼いた。


「うー……あなたそれ吸血鬼にすること? ひどくない?」


 しかし彼女は眩しさに瞳を細めるのみで、消滅したりはしない。


「吸血鬼といっても苦手なだけだろう。平気で昼間に日傘さしてコンビニに行っているではないか」


 こちらの言葉に「うるさいわねぇ……」と言いながら吸血鬼の少女は身体をうんと伸ばす。シーツが流れ落ち、無防備なネグリジェ姿が露になった。


 ──リゼット=ブルームフィールド。

 イギリスから留学してきた吸血鬼のお嬢様であり、ひょんなことから俺を眷属としご主人様マスターとなった高校一年生の少女である。

 そんな寝起きの少女は喉の調子を確かめるように「んっ、んっ」と何度か鳴らした後、無造作にこちらへと手を差し出した。


「喉が乾いたわ、血を寄越しなさい」

「そら」

「ふぎゃーーーー!?」


 その命令を待っていたと言わんばかりに、俺は霊力で作り上げた大鋏を虚空より取り出し、自分の首を一息に切断する。

 噴水のように湧き出る俺の血をお望み通りぶっかけてやれば、我が主は猫のように髪を逆立たせ悲鳴を上げた。


「朝っぱらからなんという悲鳴だ。仮にも花の乙女だろうに」


 絶叫する彼女へと、カーペットに転げ落ちた首から話しかける。

 うむ、ここからだとネグリジェの裾から投げ出されたスラリと細い足がよく見える。我が主は寝起きであろうと相も変わらず美しい。

 だが、我が麗しの主はこれがお気に召さなかったご様子だ。


「こんなスプラッタ見せられたら普通そうなるわよ! 落ちた首から喋らないでよ気持ち悪い!」


 高い声で言い放った我が主は「それにあなたの血は錆び臭すぎるからいらないって言ってるでしょ」とぶつくさ呟きつつベッドから下り、俺の首を雑に拾った。


「こら髪の毛を掴むんじゃない。円形脱毛症にする気か?」

「わ・た・し・よ、それになりそうなのは。あなたはもう少し加減ってもんを知りなさいよ」


 彼女は一言ごとに強調しつつプリプリと怒りながら、無造作に俺の頭を首の上に乗せる。

 ぐちゃりと水っぽい音がして、俺の頭と首は一瞬でくっついた。


「……逆なんだが?」

「お似合いよ?」


 ほう、主のお気に召しているとなれば俺に否応はない。

 俺はそのまま彼女の戯れに肩を竦め、ズボンのポケットから血の入ったパックとストローを取り出す。

 頭と身体が前後逆だろうがすいすい動く俺の様子を見てリゼットはドン引きしているが、これがお気に召したのであろう? 受け入れよ。


「もう、持ってるなら最初から出しなさいよ……」

「目は覚めただろう。始業式限定の出血大サービスというやつだ」

「出血し過ぎなのよ。もうスプリンクラーみたいになってたじゃないの」


 そう言いながらげんなりした様子でパックを受け取り、血をチューチュー吸う彼女は白い目でこちらを見てくる。昨夜に頑張って考えたサービスだったのだがな、ダメだったか。


「まったくもう……」


 血塗れのリゼットが指を鳴らすと、周囲に飛び散った俺の血が霞むように消えてゆく。血の扱いに関してはそこそこやる。半人前のため基本ポンコツではあるが。


「お見事」

「……ふん、どうも」


 照れたように顔を背けて血を吸う。吸血鬼らしく尖ったその耳は赤く染まり、色白な肌に赤がよく映えた。彼女は褒められるのに慣れていないのだ。


「さすがは俺の主だ。だが、もう多少は多芸になってくれねば守護する立場として安心はできん。これからもより励むがいい」


 手本を見せるように、次々と血で作られた剣やナイフ、果ては鎌を作り出しポンポンとお手玉のように投げる。

 そうして最後に手にした鎌を大きく一払いして、絨毯上に散っていた塵も一掃しておいた。我が主の健康を害する存在など生かしておけんわ。

 満足げに息をついて鎌を消す俺を見て、リゼットは眉をヒクヒクとさせていた。


「見せびらかしてくれるじゃないの……」

「示威行為も時に必要なことと心得る。我が主におかれては、自分がどういった存在を眷属としているのか常に自覚していてほしいものだ。クク……そう、我こそは”無双の戦鬼”であ──」

「うわ出た」


 言葉の途中でリゼットが呆れたように手を振り、あっさりとした様子でドレッサー前の椅子に座る。良いところだったのだが?

 そうして「こっちに来なさい」と言わんばかりに人差し指をくいくいと動かすのを認め、俺は物言いたげにしながらも彼女の傍らに控え、ブラシを手に取った。


「ファンタジー世界ならまだしも、この現代社会で今時流行らないわよ戦鬼さん? 使いどころないじゃない」


 存在がファンタジーな吸血鬼様に言われるとはな。俺とて彼女に出会うまで吸血鬼というのを見たことがなかったのだぞ。

 彼女の見事な金髪をブラシで梳きながら、適当に相槌を打つ。


「存外、便利なのだぞ? 草刈りなどにもな」

「あなたそれで何回お屋敷の壁壊してるのよ」


 ガーとちっちゃい牙を見せ、我がご主人様はご立腹な様子である。いらぬ地雷を踏んだ。

 俺は努めて無視して、髪のセットへ意識を集中。ブラシで梳かした後は長髪の先端に大きめの白いリボンを括ってまとめ、風で乱れないよう整えていく。

 そうやって朝からむくれるご主人様の相手をしながら、俺はさらに彼女の制服や下着を用意した。


「ちょっと、下着は私が用意するって言ってるでしょ」

「マスターが用意したら、上下色違いになって畳む時に面倒なのだ」

「所帯染みたことを……っていうか、ご主人様の下着を見てもっと言うこととかあるんじゃないの?」


 そう言ってリゼットは自慢の金髪を手で掻き上げ、紅蓮の瞳を挑発気味にゆらりと揺らす。しかしその頬は少し赤い。我がマスターは余裕ぶりたいお年頃なのだ。


「ほう……」


 そのご主人様とやらを、ためつすがめつ眺める。

 水のように流れるは、黄昏色に煌めく金髪。日に当たるのを嫌がり太陽の下に出ないため、その肌は雪のように美しい。薄着のネグリジェを程よくボリュームのある胸が押し上げ、扇情的に映る。

 美しく均整の取れた身体に強気な瞳が、彼女にバラのように咲き誇る雰囲気を纏わせている。まさに、女主人として相応しい凛としたオーラと言えよう。

 そんなリゼットお嬢様の芸術品に等しい容姿を認めた俺は「うむ」と一つ頷き、言葉を放った。


「えー、上から八十三、ごじゅう──」

「きゃーきゃー!?」


 顔を真っ赤にして騒ぎ出し、一気に豪奢な雰囲気は霧散してしまった。

 吸血鬼の女主人とて、一皮剥けば一人の女の子なのである。


「あああ、あなた! なんで私の詳しい数値を!?」


 自分の身体を抱くようにしながら、信じられないものを見るかのような目付きでこちらを見てくる。知らんのか?


「俺はマスターの忠実なる下僕であるがゆえに……それと、下着のタグに書いてあるだろう。誰が洗濯をしていると」

「トーカじゃないの!?」

「俺も手伝っている。たまには部屋でゲームばかりしていないで家事を手伝え……とまでは言わんが、自分の下僕の仕事程度は把握しておくがいい」

 

 うっ、と気まずそうに顔を背けるリゼット。

 まったく、ぐうたらめ。まあ生活能力皆無のお嬢様には酷な話か。世話の焼ける可愛い女の子である。そんな部分も含めて採点は……、


「うーむ……九十点」

「……ちょっと、マイナス十はどこからよ」

「妹と同い年だからだマスター、もう一人妹ができた気分だ」


 俺が「もう少し背があったらな」と言うと、不満げにプクッと頬を膨らませる……が点数が高いのが満更でもなかったのか、それとも俺にとって”妹”という存在がどういうものであるのかを理解しているからか。彼女は一つクスリと笑みを浮かべ、その顔が長く続くことはなかった。

 そんなご主人様も可愛らしい……やはり、内心百点に書き換えておこう。いや百億点満点だな。我が主は妹と並び宇宙一可愛らしいのだ。異論は許さん。

 俺がそう心の中で讃辞を投げていれば、リゼットはからかうような口調でこちらに新たな命を下す。


「はいはいわかったわよお兄ちゃん? 着替えるから先に下へ降りて食事の用意をしておいて」

「一人で着替えられるのか? 下着をちゃんと上下揃えられるか?」

「頭と身体が揃ってないあなたに言われたくないわ」


 白い目で見てくるリゼットにクツクツと笑い、首をゴキリと治しながら俺は部屋を出ようと──、


「おっと」


 したところで後ろから投擲された枕を掴む。

 振り返ると、我がご主人様は今朝一番に不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。


「……忘れ物よ」

「……あぁ、なるほど」


 いかんな、どうやら俺も今朝は少し散漫なようだ。てっきり済ませたものとばかり思ってしまっていた。

 唇を尖らせる彼女をいじらしく思いながら、椅子に座る彼女の傍らにひざまずいた。


「ご希望は、マスター?」


 聞くと彼女は少し恥ずかしげに「……お、おでこ」とだけ囁いた。


「なぜおでこ? いつもは──」

「だ、だって……」


 白い太股をもじもじと擦り合わせる。


「今日から学園だし、あんまり朝から蕩けちゃうのも……」

「なるほど」


 可愛らしい理由を聞いて微笑ましくなった俺は、彼女のお望み通り、金色の前髪を掻き分け──、


「んぅっ!?」


 ……ることはせずに、彼女の唇に自分のものを重ねた。

 リゼットは一瞬目を見開くが、すぐにその紅い瞳をとろんとさせ、こちらの首に腕を回す。

 そうしてしばらく、互いの唇を啄み合った。


「……っ、はぁ……」


 熱い吐息を漏らしながら唇を離し、呼吸を整える我が主は恨めしげに俺を見る。その頬はリンゴのように真っ赤だ。


「……いじわる」

「鬼だからな」

「……おでこって言った」

「毎朝おはようのキスをしろと厳命されているので、それを実行したまでだ。狙いがずれてしまったのは許せ。我が主の美貌と威光に、つい目が眩んでしまってな」

「ふ、ふぅん……でもその言い方だと、なんだか命令だから仕方なくって感じに聞こえる……」

「は、たわけめ。命令下であるからこそ、この程度で済ませているのだ。それがなければ俺は、ご主人様の唇を奪い続ける機械となるだろうよ」

「っ……そ、そう……?」


 何を疑っているのかは知らんが、我が心は既にご主人様に奪われている。そのことは誰よりもよく知っていよう?

 今度こそ彼女の額に唇を落とし「刀花を手伝ってくる、早く着替えて下りてくるのだぞ」と言って部屋を出る。


「もう……ばか」


 背中にかかる、そんな甘い罵声を浴びながら。




「あ、兄さん。リゼットさんはいかがでしたか?」


 朝食作りを手伝おうとキッチンに赴くと、白と青のコントラストが眩しい夏のセーラー服に、花柄エプロンを身につけた少女が俺を出迎えた。


 ──酒上刀花さかがみとうか

 リゼットと同い年の、我が愛すべき妹である。

 料理をしながら鼻歌を口ずさむ彼女は人懐っこい雰囲気を身に纏い、ふにゃっとした笑顔はこちらの庇護欲を刺激させる。ご主人様が高嶺の花ならば、この妹は可憐に咲き誇る野花を思わせた。

 スープの入った寸胴鍋をかき混ぜるたびに、彼女の艶のある黒髪ポニーテールがゆらゆらと揺れる。そうしながら琥珀色の瞳でチラリとこちらを見た後、彼女は小皿にお玉でスープを注ぎ、こちらに手渡してきた。

 そのスープを口に運べば、俺の好みを完全に把握した味付けが、染み渡るようにして身体に溶けていく。さすがは俺の妹だ。


「ん……美味い。毎日妹の作ったスープが飲みたいとすら思う」

「むふー、プロポーズですか? 婚姻届は用意してありますよ」


 満足げな吐息を漏らし、刀花はしれっとそんなことを言う。

 おそらく本当に用意してあると思えるのが、この妹の可愛いところだ。市役所は何時から開いているのだったか。


「あとでサインをする、判子も用意しておいてくれ。それとマスターは着替え中ゆえ、今の内に飯を運ぶのを手伝おう」

「ふふ、ありがとうございます」


 どちらに対しての感謝とも取れる言葉を可憐な唇に乗せながら、純真そうな瞳を細めた刀花はこちらにお皿を差し出す。

 受け取った皿に温かいスープを注ぎ、サンドイッチの乗ったトレイを持って談話室の方へと向かっていく。毎朝恒例の、兄妹による共同作業である。

 そんな隣を歩く俺の姿を、刀花はニコニコと眺めていた。


「どうかしたか?」

「兄さん、制服似合ってますね」


 刀花はこちらの白いシャツに黒のズボンというシンプルな制服姿を見て嬉しそうに微笑むが……俺は少し眉を八の字にした。


「讃辞痛み入る。とはいえ、少々動きづらいことのみが難点であるが……」


 談話室に入り、テーブルの上に皿を並べながらごちる。この一瞬の油断でマスターや刀花を守れぬかもしれんと思えば、最早全裸で登校した方が良い気さえしてくる。


「もう、兄さんったら。そんな危険なことありませんよ。信号も守ってますし」

「俺は一ヶ月前に轢かれたがな」


 まあそのおかげでこうして学園に通えるようになったのだと思えば悪くもない。マスターさまさまだ。

 一ヶ月前の出来事がふと脳裏を掠めていれば、食器を配膳し終えた刀花がこちらを向き、幸せそうにポムと手を合わせている。


「私、兄さんと学園に通うの夢だったんです」

「マスターには感謝しないとな」

「そうですね。まあ兄さんは渡しませんが」

「ブレんな、我が妹は」


 そう言うと刀花は「当たり前です」とふんすと腕を組む。とんだブラコンだ。まあ俺もシスコンだが。刀花なら目に入れても痛くないむしろ入れておきたい。

 そんな可愛い刀花は「高校デビューですからキチンとしないと」と俺の適当に散らした黒髪や白いシャツの襟を甲斐甲斐しく直してくれている。彼女が動く度に、ポニーテールが嬉しそうにピョコピョコと揺れた。


「──残念だったわねトーカ、ジンは既に私のモノよ。諦めることね」


 そんな風に兄妹睦まじくしていると、リゼットも談話室に入ってくる。刀花と同じように夏のセーラー服に身を包んでおり、どうやらきちんと着替えはできたようだ。刀花の事前指導の賜物である。

 そんなリゼットの発言に、刀花は分かりやすくムッとしている。


「私と兄さんは魂で繋がった兄妹なんですー。主従関係みたいに不純なリゼットさんとは違う真実の愛なんですぅー」


 そう言いながら、刀花は独占するように俺の腕を抱き寄せる。リゼットよりも大きな膨らみが腕を包み込み、その形を変えた。


「ふ、不純じゃないわよ失礼ね! それとそちらこそ不純なモノをジンに押し付けるのはやめなさい!」

「えーなんのことですかー?」


 大きい。スクスクと育ってくれた妹にこの戦鬼、感無量である。


「ジン、朝から妹がふしだらよ。兄としてなにか言ったらどうなの?」

「手軽にできる料理という題目のはずだが、調味料からして手軽ではないなこの料理コーナー」


 無視して朝のテレビを見やる。ご主人様にはすまないが、妹はのびのびと育てるのが我が酒上家の方針なのだ。


「ホント妹には甘いんだから……」

「失敬なことを言う。俺はマスターにも甘い」

「はいはい」


 白い目をしてぶつくさ言いながらリゼットはテーブルにつく。刀花も気が済んだのか腕を離し、隣の席について好物の牛乳をコップに注いでいた。


「……むむ」


 唸りながら我がマスターは、どこか複雑な眼差しで刀花を睨んでいる。主にその胸部を。別にマスターのものも小さくはないだろうに。

 だが、その意は汲もう。俺はデキる下僕だからな。


「……」

「ねぇ、無言で私のティーカップに牛乳注ぐの、気を利かせているつもりならやめなさい? イラッとするから。それに何回でも言うけどトーカと違って私はバランス型なの。トーカのを見てたのはいわば相対的な視点からであって、均整の取れた美しいご主人様ボディに私は誇りすら持ってるのよオーケー?」

「無論、"おーけー"だ」

「今どの口でオーケーって言ったの? なみなみ注いでおいて。もう表面張力でプルプルしてるんだけど」

「さ、マスター? 早く号令を。刀花が朝食を前に待ちきれんとウズウズしておるわ」

「ご主人様の言葉無視した……もう。はい、いただきます」

「「いただきまーす」」


 皆で手を合わせ、早速俺は刀花が気を利かせて肉をたっぷり入れてくれたサンドイッチにかぶり付く。リゼットや刀花もまたそれぞれ、澄ました顔とニコニコ笑顔を浮かべながら。

 そうして三人しかいないお屋敷の朝は、いつもより少し賑やかに始まっていくのだった。




「などと、のんびりしている場合ではなかったな」


 刀花がお屋敷の鍵を閉めるのを眺めながら腕時計を見る。完全に徒歩では学園に間に合わない時間だ。

 夏休み中の編入試験の折にそれとなく時間配分の計算はしていたのだが、リゼットもまた初めての登校ゆえ少々見誤ったか。


「屋敷が無駄に広いのがなんともな」


 次に活かそうと反省しつつ、振り向いて屋敷の全体を眺める。

 郊外の森に建てられた洋風の立派なお屋敷だ。二階建て庭付き、離れもある。おかげで戸締まりも一苦労だ。

 まあ世を忍ぶ俺達のような者にはもってこいの物件ではあるのだが。

 庭も植物を植えられるほど広く、門を出るまでも距離がある。三人暮らしでは少し持て余し気味だ。

 門まで距離のある道を眺めながら、隣で黒い日傘をさすリゼットに提案をしてみる。


「遠いな。門までの道を凍らせて”すけーと”でもするか?」

「あら、いいわね。暑いしやってちょうだい。ただし、ちゃんと加減を──」

「ふ……見ろ、我が主。庭全体が"すけーとりんく"のようだ」

「 あ な た ね 」


 突き立てた氷の魔剣を消しながら、凍土と化した庭を眺める。

 またも我がサービス精神が発露してしまったか……リゼットにつねられる頬が痛い。


「ご主人様の言葉が終わる前に行動しないの。この頬、氷に押し付けて霜焼けにするわよ」

「はは」

「笑いどころあった?」


 夏だからすぐ溶けるだろうに。気にするとその自慢の金髪が抜けてしまうぞ?


「鍵の確認できましたよ。行きましょうか」


 騒ぐ俺達に特に言及もせず、のほほんと言う刀花がスイスイと見事な足捌きでこちらにやって来た。庭全体が凍る程度など慣れたものである。伊達に十年、この戦鬼の妹をやってはいない。


「歩きじゃ間に合わんぞ、さぁどうするマスター?」

「はぁ、仕方ないわね……」


 リゼットは一つため息をつき、キリッとした顔をして俺に向き直る。


「ジン、”オーダー”よ。『私たちを今すぐ学園に送り届けなさい』」


 片手で己の顔を覆い……この俺を従える我が主は、妖しく輝く深紅の瞳をこちらに向けてそう宣言した。

 ほう、かっこいいではないか……。


「そのポーズ練習したのか?」

「ええそうよ悪かったわね!」


 真っ赤になってキレるリゼットに、刀花がクスリと笑いながらこちらに寄り添う。


「それじゃ兄さん、お願いしますね」

「承知した」


 ”オーダー”

 眷属に対する主人の絶対命令権。

 それを課せられた眷属は身体に力がみなぎり、主のため命に代えてでもその命令を遵守するという。

 とはいえ、リゼットは半人前なので一日一回しか使えず、増える力も微々たるものだ。雰囲気を楽しんでいるのだろう。なにせ俺が彼女の、念願の初眷属なのだから。


「さて──」


 リゼットの”オーダー”に従うようにして、我が右目も紅く呼応する。そうしてちょっぴりやる気になった俺は、彼女達の願いを叶えるため、姿を変えた。

 ……と言っても、頭から二本の黒い角を生やしただけだ。せっかく妹が整えてくれた制服だ、衣装までは替えずともよかろう。

 霊力の発露と共に戦鬼形態になったことで、鬼の力が全身に行き渡り血が沸騰したように熱くなる。この熱の滾りがあれば、彼女達の願いなど容易に叶えられるだろう。


 元来、俺はそういった”道具”であるがゆえに。


「それでジン、どうするの? 走るの?」


 リゼットも日傘を畳んでこちらに寄ってくる。

 右腕にリゼット、左腕に刀花を乗せて。グググとバネのように屈む脚へ、俺は膂力と霊力を溜めた。


「跳ぶ。口を閉じていろ舌を噛むからな」

「はい?」

「兄さんゴーゴー!」


 二人が安全バーのように角を掴んだことを確認し、溜めていた力を一気に解放する。

 敷地のタイルと氷が割れ、空気を切り裂く音と共に、俺達三人はジェットコースターもかくやという速度で学園方面に向けて空高く跳び上がった。


 楽しそうな悲鳴とガチの悲鳴を聞きながら。

 妙な生活になったものだと、こうなる切っ掛けとなった一ヶ月前の出来事を俺は思い返していた。

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