茉莉花官吏伝 皇帝の恋心、花知らず

石田 リンネ/ビーズログ文庫

序章

 こうりゆうを守護しんじゆうとした『てんこうこく』は、大陸の東側のほとんどを支配していた大国だ。

 しかし、大陸内のけんあらそいにより、天庚国は四つにぶんれつする形で消え去り、代わりに『げん』『せいりゆう』『びやつ』『ざく』のそれぞれを守護神獣とする新たな国がたんじようした。

 この四つの国のうち、白虎を守護神獣としたのが『はくろうこく』である。

 白虎神獣の加護を受けた白楼国の初代こうていは、首都にげつちようじようというきゆう殿でんを建てた。

 月長城はその名の通り、月の光のような白色光を放つ美しき城だ。

 城の大きな南門から中央部分まではまつりごとを行う宮が整然と並び、北側に皇帝の住まいとなる宮が位置しており、その奥には皇帝のちようあいきそい合うきさきたちのためのこうきゆうがある。

 後宮には、妃たちやそのじよだけでなく、後宮の管理を任されている官位をもつによかん、女官の指示にしたがって下働きをする官位のない宮女たちも暮らしており、ちょっとした小さな国のようにもなっていた。


 後宮で働く女官の一人、こうまつは、十六歳になったばかり。

 いろの髪とすみれいろひとみさはなくても好印象を与えるせいで優しげな顔の茉莉花は、結婚適齢期となった今、未来の夫をさがすことに苦労はしないだろう。

 しかし、後宮の女官は、皇帝の寵愛を受ける可能性がないわけではない。

 皇帝の世継ぎが生まれていないときにかいにんするという『もしも』があれば、皇帝から妃という位をいただくこともある。それゆえ、女官であっても基本的に外界とのせつしよくを禁じられていた。

 ──つまり、茉莉花は結婚の機会をのがしている真っ最中だ。

「春になったのね」

 まだ寒さが残る春の初め、後宮内に梅の花が咲いた。べにいろや白色、うすべにいろといった小さな花が素敵なとばりとなり、庭をはなやかにいろどってくれている。

 茉莉花が思わずうっとりとながめていると、梅の枝にとまっている鳥のつがいを見つけた。小鳥たちの新婚生活をうらやましく思うことはない。お幸せにとただ微笑ほほえむ。

「わたしは男の人と一生結婚することはないでしょうけれど、女官になれただけでじゆうぶんすぎるほど幸せだから……」

 元々、茉莉花は宮女として後宮入りした。宮女とは、かざのないこんいろの地味な服を着て、女官の指示に従って汗水流して働き、皇帝どころか妃と顔を合わせることもないという仕事をする女性のことである。

 それでも、給料が保証されてしんしよくに困らない宮女は、女性にとってあこがれの職だ。

 運よく宮女になれた茉莉花は、宮女の自分に満足していたのだが、とある事件でがらを立てたことにより、女官という職とせいはちほんの官位をさずけられることになってしまった。

 その日から下働き生活が一転し、れいな上衣を身につけ、鏡を見ながらしようをする時間を与えられ、髪をってようをさし、妃たちとも顔を合わせている。

 今の状況は、運よくを通りすぎておそろしいぐらい幸せだ。

「男の人にとって、きよ試験に合格したような話でしょうね」

 これ以上を望むのはぜいたくすぎる。そのしように、ほら──……。

へいがいらっしゃったわ!」

「相変わらず素敵な方よねぇ……」

 わっというひかえめなかんせいのあと、妃やその侍女、女官たちが熱いいきらした。

 人だかりから離れたところにいた茉莉花は、梅の花のすきから見える皇帝の姿をこっそりで追いかける。

 十八歳の若き皇帝『はくよう』は、はつきんの髪に金色の瞳をもつ美しき人である。

 大陸の東側に位置する国にとっては珍しいしきさいかもしれないが、西側の国々との出入り口にもなっているこの白楼国では、じろじろ見られるほど特殊というわけではない。茉莉花自身も、髪は亜麻色で瞳は菫色だが、色でいじめられたことはなかった。

「……陛下のお姿をはいけんするなんてこと、後宮の女官でなければ絶対になかったわ」

 珀陽は、乙女おとめの理想をめこんだ恋物語に出てくるような皇帝である。

 美しい顔にはいつもおだやかな微笑みが浮かべられており、声はとろけるようにあまく、だれに対してもれいを忘れず、とてもがたく、だからといって頭が固いわけでもなく、若きかんたちと楽しげにだんしようしている姿も政の宮ではよく見られるらしい──……。

かんぺきな方って、本当にいらっしゃるのね」

 白楼国の皇帝は、後宮に多くの妃をもつため、おうこうじよの数も多い。

 かつて多くの皇子の一人で、しかし力のあるうしだてをもたなかった珀陽皇子は、こうせきを捨てて臣下に下るという形で早々に独り立ちする道を選んだ。彼は文官登用試験である科挙試験と、武官登用試験であるきよ試験の両方を受けたのだが、なんと両方に合格してしまう天才だったのだ。

 その直後のことだ。珀陽の父である当時の皇帝が、あまりにも突然にほうぎよした。

 珀陽の異母弟おとうとでもあるこうたいはまだ三歳。こうぞくさいしようしようぐんたちによる話し合いの結果、おさなすぎる皇太子の代わりに、珀陽が皇帝としてそくすることになる。

 民は皆、科挙試験と武科挙試験の両方に合格していた新皇帝『珀陽』の誕生を喜んだ。

 皇帝になってからの珀陽もまた、周囲の期待にこたえ、てんさいはつして国をより豊かにすることで、国民から絶大なるしんらいを得ている。

「ああ、一度でいいから陛下に話しかけられたいわぁ……」

「わかるわかる。やっぱり夢を見るわよね、でも現実は厳しい~!」

 女官たちのささやごえに、茉莉花はとある後宮物語を思い出した。

 主役は女官になったばかりの少女だ。彼女は後宮に渡った皇帝と、あるときふいに眼が合う。近寄ってきた皇帝に名をたずねられ、微笑みを向けられる。

 それから気にかけてもらえるようになり、やがて互いに愛情をいだくようになるのだが、当然身分の差に苦しむ。

 少女が意を決してたわむれは終わりにしましょうと皇帝に告げれば、「離したくない」と抱きしめられ、ついに『妃』の位を与えられる──……。

 こんなこと、物語の中だけの話だと、女官たちもわかっている。

 でも自分なら物語の主役になれるかもしれないと、どうしても夢を見てしまう。

(わたしは、夢以上のものを手に入れたあと。後宮物語の主役になる必要はない。このまま名もなき女官役として、何事もなく暮らせたらそれで……)

 そのために今日もがんばろうと気合を入れたとき、せんぱいの女官がけよってくる。

 皇帝とすれ違わないように遠回りしてきたらしく、庭の中を早足で歩いていた。

「茉莉花、女官長さまがお呼びよ。急いで」

 それは大変と茉莉花は小走りで女官長の部屋に向かう。

 はしたないとしかられないところをきわめて速度を出すのは、いまだにむずかしかった。

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