とくべつなひと

詠弥つく

とくべつなひと

 あなたの透明なびいどろのような瞳が何かを映してしまうのが、熟れた桃のような産毛の生えた頬が歪むのが、落ちる前の葉のように色付く唇が開いてしまうのが、口惜しくてならないのです。それならば、わたしの汚らわしい手で摘み取ってしまう方が幸福ではないでしょうか。

 わたしを見てくれるのは至上の歓びですけれど、わたしを映さぬ方が綺麗には違いないのです。肌に触れる許可を下さるあなたは慈悲深いけれど、この指が触れた端から黒々と穢れてしまうのではないかと思うのです。あなたは何も口にせずともよいのです。そんなことをしなくても、あなたは完璧なのだから。

 たおやかな腕に針を刺すのは哀しかったけれど、ゆっくりと細るあなたは綺麗でした。

 爪を削り、眉を剃り、髪を梳ります。柔いその体に傷一つさえ残さぬように。

 やすりから零れた粉も、剃刀についた欠片も、櫛に絡まる一本すら失くさないで集めます。

 くつくつと良く煮立ったお湯に全てを注ぎ込みます。あなたの体を構成する塵のひとつも逃さないように。


 酷く衰えて、肺を膨らますこともままならぬあなた。華やかな紅色をしていた唇は枯れる直前の色になっていました。溢れる涙は不純物でしかなくて、目をめいっぱいに開き誤魔化します。

 腕を侵す針を抜けば命の雫をとろかしたようにまだ紅い血液が、ぷくりと膨らんでわたしを誘います。おそるおそる吸い上げて、甘い味なんてしないことに驚いて。

 足の指、鼻の先、胸の尖り。手の甲、耳朶みみたぶ、膝の皿。

 頬、乳房、ふくらはぎ。裂いた腹に収まった臓腑ぞうふ

 ぜんぶぜんぶ掻き集めて、赤黒く染まった鍋の中。


 匙で唇へ運び、舌に広がるその味を堪能します。

 前菜もデザートも要りません。あなただけで満たされるのですから。

 つい先程まであなたが眠っていた寝台を見つめます。神々しく、手の届かない領域で微笑んでいらしたあなた。それが今やこのわたしの胃の中で溶かされているのです。それは、どう名付けるべき悦楽なんでしょう。


 いちばん美しいあなたは、いちばん穢れたわたしとひとつになって。

 特別で、なくなってしまいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とくべつなひと 詠弥つく @yomiyatuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ