なんちゃってシンデレラ 王宮陰謀編 異世界で、王太子妃はじめました。

汐邑 雛/ビーズログ文庫

プロローグ


「……さ、寒い」

 家に帰り着くなり、私はその寒さにふるえた。

 一人暮らしの家は、寒い。体感として寒いだけではなく、こう、何か心理的にも。

 三十すぎて独身だからわびしいんだろうって言われれば、返す言葉がないんだけど。

(でも、別に不自由感じてないし、さみしくないって言えばうそになるけど、だからってなりふり構わず結婚したいってわけでもないし……)

 一昔前だと負け犬女だとか言われたかもしれないけれど、別に負けたとか思わない。

 自由に好きなことができる今の生活に、私は満足している。

「さーむーいー」

 だれも答えない暗い家の中、さぐりで照明のスイッチを見つけて、ける。

 テーブルの上は出かけたときのまま、書きかけのレシピが置きっぱなしだった。レシピを書くのはなかなか大変だ。自分の為のおぼえがきと違って、誰が作っても同じものが作れるように表現しなければならない。

(分量とかはいいとして、問題は手順の説明だよね)

 料理知識が小学校の家庭科レベルの初心者でも、同じものを作れるように書くのが理想だけど、自分ではちゃんと書いたつもりでも理解されないことがあるから難しい。

(とりあえず、続きは食後だ)

「お湯、お湯」

 レシピは後回しにして電気ケトルのスイッチをいれる。

 家に帰ってくると、何か温かいものを飲んで身体を温めるのがいつものルーティーンだ。

「今日は何にしようかな」

 何かと声を出すのも一人暮らしのとくちようかもしれない。つい、何でもなくても声に出してしまう──こたえてくれる人はいないのに。


 テーブルの上のかごには、手作りのちやとかいろんな味のしようの素のびんめや、ネットで買ったお気に入りのはくとうウーロンちやかんなんかがまとめてあって、お湯さえあればいつでも好みのものが飲める。選ぶ楽しみというのは、日常生活の中のささやかなうるおいだと思っているから、いつもいろいろな種類を籠の中にそろえておくようにしている。

 行きつけの紅茶屋さんは複数あるし、じつてんだけじゃなくてネットショップもいくつかブクマしている。フレーバーティーはそれほど得意ではないけれど、お茶はこだわるとおくぶかい。紅茶に日本茶に中国茶……去年は、自分で日本茶作りにもチャレンジした。知り合った生産者さんからいただいて庭に植えたお茶の木は二本。

 二本分の新芽では、ちょうど家で三回飲む分くらいしか作れなかったけれど、味はなかなか良かった。確実に無農薬だし、自分で作ったお茶というだけで三わりしおいしく感じられる。れてみるとその色はかなりうすくて、緑というよりはあわい金色。かおりが高く、すっきりした後味が印象深かった。

 もちろん今年もちようせんするつもりだし、木を増やして、いずれ紅茶や烏龍茶もためしてみる気でいる。


「今日は冷えるから、もん生姜湯にしよっと」

 赤いふたびんを手に取る。これは、スライスした檸檬れもんと生姜をはちみつけたもの。

 去年作ったものだけど、空気にれなければ檸檬れもんくさらない。長期保存のコツは蜂蜜をケチらないことだ。これをお湯にかすと、のどに良くて身体も温まる冬にぴったりなホットジンジャーレモネードができる。夏だったら氷をいれて冷やして飲んでもしい。

 一応、部屋にエアコンはあるけれど、よっぽど寒くない限り使わないことにしている。築二十二年の年代物の平屋なのですきかぜがひどくて、コストパフォーマンス的にイマイチだから。びんぼうしような私としては光熱費をできるだけ節約したいのだ。

 お湯をかしている間にコートをいで、しんしつへと足を向けた。

「やっぱり、ここに忘れてたか……」

 ベッドサイドのじゆうでんしっぱなしだったけいたい電話を発見して、ちょっとほっとした。

 淡いピンクゴールドの携帯は、三年前の年代物。こんなに厚みのある携帯は今時ないって職場の子たちによく言われる。新しいモデルが発表されるたびに迷うけれど、なかなか全てが気に入るような機種が見つからなくていまだにえられない。

 画面を見たら、着信が七件も入っていた。半日見なくて七件が多いか少ないかは人によると思うけど、家族がいない私にはだいぶ多い。

「あれ、こうさかせんぱいだ……」

 めずらしく彼女から留守電が入っていたので再生してみる。

『まやちゃん? 匂坂です。メールもリターンもないからたぶん携帯忘れたんだと思うけど……帰ってきたら電話ちょうだい。仕事があります』

「……すいません。その通りです~」

 テレビや留守電やそういったものと会話してしまうのも、一人暮らしが長い人間のクセのようなものだと思う。

 私は、携帯電話に手を合わせて小さくあやまった。

 私、和泉いずみは、本業がパティシエで、副業でワインバーの臨時コックをしている。

 女だからパティシエールって言うべきなのかもしれないけど、お店のめいかたきがチーフ・パティシエなのでいつもパティシエと言ってしまう。

 本業で働いているのは銀座の裏通りにあるフルーツタルト専門店で、ここは雑誌にもしょっちゅうとりあげられる人気の店だ。

 私は三人いるチーフの一人。お店には見習いもふくめるとパティシエが十二人いて、四人で一つのチームになっている。チーフのとつけんは、接客に出なくていいこと。お客さんの生の声が聞けるのはうれしいけれど、私は作る方が好きだから、しようかくした時は嬉しかった。

 この仕事はきらいじゃない。むしろ、大好きだ。でも、ちょっと物足りないところもある。

 当然のことだけど、店ではレシピがげんみつに決まっているから自分でふうするとかそういう余地がないし、季節によって多少の違いはあれど、毎日毎日同じものしか作れないというのはちょっとストレスがたまる。

 そこをおぎなっているのが、もう一つの職場だ。

 私は、ローテーションで週に一、二回、休みの前日の夜だけ、以前うちの店に勤めていた匂坂先輩のだんさんが経営するワインバーのちゆうぼうに入っている。

 このお店、お酒のメニューはあるが、料理のメニューはない。

 その日仕入れた材料で、お客さんの選んだワインに合う料理を、お客さんの希望を聞きながらそつきようで作るのが店の売りの一つだ。

 オープンキッチンのカウンターは常にお客さんに見られていて気がけないし、メニューがないというのも逆に自由すぎて難しい。

 お客さんの希望を聞き取りながら、その日ある材料で何を作るかを決めるのはものすごくコミュニケーション能力が試される。さらにキッチンが丸見えだから、料理をしているだけなのに、お客さんとのしんけん勝負! といった感じになっている。でも、そのほどよいきんちようかんが、すごく好きだ。

 あまり大きな声では言えないけど、夜がおそい割にお給料は安い。でも、味にうるさいお客様にきたえられながらワインの味も覚えることが出来るし、スキルがあがったというか、腕があがった実感があって、ここで働くのも私には大事な時間になっている。

 休みの日にバイトしていたら休みにならないんじゃない? ってよく聞かれるけれど、私の場合、料理は仕事であり、しゆでもある。つまり、仕事が休みの日に趣味に時間を使うのといつしよだと考えてもらうといと思う。

 私の場合はそうやって自分の好きなことをしながら、バイト代までいただけてしまうのだから、ちょっとくらい体力的にキツくても、いつせきちようなのだ。


 携帯の向こうでむなしいコール音がひびく。

「……忙しいのかな? 先輩」

 匂坂先輩にリターンしたけど?つながらなかった。

 仕事、いつですか? とだけメールをいれて、キッチンに立つ。

 料理人は家では料理したくないって人も多いけど、私は家でもする。

 研究もねているので、ざんしんこんだてになることも珍しくない。もちろん、責任持って最後まで食べるのが基本だ……どうしても食べられないものができることもあるけど。


 大家さん宅のはなれであるこの平屋は、料理好きだったという大家さんのおばあさんの住まいだったそうだ。

 おばあさんと私の身長はあまり変わらなかったみたいで、シンクやガス台の高さがちょうどいいし、動線も考えられて設計されているから使い勝手が良い。何よりも、オーブンがついているのが最高だ。ちんたいでこんな本格的なオーブンがあるキッチンは珍しい。

 このオーブンがこの家を借りる一番の決め手になった。これがあるから、多少の隙間風なんかまったく気にならない。

 キッチンがとても心地ごこちよいので、すいはかなりこまめにしている。

 今日の夕飯は、寒い日にとても嬉しいおでん。

 おでんって、その家の味がよくわかるメニューだと思う。とあるコンビニでは地域ごとにを変えているらしいし、洋風のトマト出汁をウリにしている専門店もあるというくらいベースとなる味がいろいろある。中に入れるおでん種もせんばんべつだ。コンビニのおでんがあんなに種類豊富なのは、みなが食べ慣れたのおでんを求めるからだろう。

 私が作るおでんはかつお出汁ベースの関東風で、タコ足をいれるのと小さなたまねぎを丸ごといれるところが特徴だ。むのにはなべを使う。

 おでん種を一度煮込んだ後、なべごと新聞紙にくるんで毛布につつんで保温しておく。朝それをやっておくと、帰ってきたときにはすごーく味がしみこんでる。いわば保温調理。専用の鍋もあるみたいだけど、そんなものは全然いらない。土鍋ならごはんだってけるし他にもいろいろ使えるから、一人暮らしでも大きめの土鍋はひつじゆひんだと思う。

 出汁のよくしみたおでんを温めながら、大根やにんじんの皮のきんぴらを作ってて気付いた。

からがない……)

 辛子なしのおでんなんて、プリンにカラメルソースがかかってないようなものだ。私は断固として辛子を要求する! な~んて、おたま片手にエキサイトしてみても一人暮らしのかなしさで自分で買いに行くしかない。

(仕方ないなぁ)

 徒歩三分のコンビニまで買いに行くことにした。もちろんスーパーの方が安いけど、ちょっときよがある。当たり前だけど、この時間にそこまで足をばす気にはならない。

 コートにそでを通し、携帯とさいと家のかぎだけ持って出る。

 最近はどこもぶつそうだ。このあたりは大通りも近いし、街灯も多いからまだマシ。夜に女一人で歩いていてもそれほど怖くない。こういう時は都会に住んでいてよかったと思う。

 携帯をライト代わりに手にして、とぼとぼと歩く。自分のかげしか動かない夜道は、とても静かで何だか不思議な気分になってくる。

(まるで、夜の中に入りこんでしまったような……)

 すべてが少しだけよそよそしくて、うまくめていない……自分ひとりだけが、いてしまっているようなかん

(もしかしたら、そういうのをどくって言うのかもしれない)

 だから、コンビニのあかりが見えた時、ほっとした。

 あのロゴの看板を見ると何となく安心するのは、東京での生活にれたせいだろう。

 もともとの出身はほつかいどうの山の中だけど、東京に来てから十年以上がった。

 地元にはもう誰もいないし、実家も整理してしまったから、このざつで他人だらけの都会が私のゆいいつの居場所だ。

 好きなことを仕事にできて、お互いにゆうづうをきかせあえるどうりようが居て、じんなことがあったら私以上におこってくれる先輩や親身になってくれる仲間や友達がいる。

 一人でいることのさみしさをどことなく感じつつも、こういうのが幸せっていうんじゃないかなって思う。『幸せ』なんておくめんなく言えるほど若くもないけど、と思いつつ、でもそれはやっぱり幸せだった。

 そういう時間を重ねて生きていくのだとずっと思っていたし、それを一度として疑ったこともなかった。


 横断歩道の信号が青になる。

 足をみ出したしゆんかんにキキーッというみみざわりなブレーキ音と、誰かの悲鳴が聞こえた。

(……まぶし……)

 なんでまぶしいのかわかったと思った瞬間、私の身体はふわりと宙にい、そして意識はホワイトアウトした。


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