転生先が少女漫画の白豚令嬢だった

桜 あげは/ビーズログ文庫

第1話 あんまりすぎる転生先 (十二歳)


 私の前世のおくよみがえったのは、祖父経由でこんやくわたされたしゆんかんだった。

 同時に、ここが前世で大好きだった少女まん『メリルと王宮のとびら』の世界だとにんしきする。

 ブリトニー・ハークスはくしやくれいじよう──今の私も、その話の中の登場人物だ。物語のちゆうばんで話から消えるわきやくだけれど……

 十二さいにして、八十キロをえる体重の肥満児ブリトニー。好きなものは、お類や食べ物ぜんぱんきらいなものは運動という、典型的なデブキャラ令嬢。

 色白でゆるみきった体と、大げさなほどぐるぐる巻いたくろかみぼうもれた青い目、そして、すさまじく悪い性格。

 漫画読者の間でかのじよは「しろぶた令嬢」と呼ばれていた。

 私は、自分のだらしない体を見下ろした。

(腹が出すぎて、足元が見えぬ……)

 少女漫画の中で、キャラのちはえがかれていなかったけれど、自分がブリトニーになったからこそ、わかることがある。

(……こんなしようわるデブス、婚約破棄されて当然だよ!!)


『メリルと王宮の扉』──

 前世で一世をふうした人気少女漫画は、割とベタな内容だった。

 メリルという下町暮らしの少女が、実は生まれてすぐにしつそうした王女だと判明する。

 王宮にむかれられた彼女が、いろんな苦難に立ち向かいながら成長していくという王道ストーリーだ。

 はらちがいの姉や貴族令嬢たちによるいじめ、大好きな兄の死をえ、メリルは最後に女王となる。他国の王子とのれんあいも、この漫画の見どころだ。

 ベタさやわかりやすさが、少女たちだけでなく元少女だった大人にも受け、漫画とネット小説を読むのがしゆという大学生の私も、その例にれなかった。

 人気作品のため、メリルが女王になる第一部がしゆうりようした後、第二部がれんさいされることも決まっていた。

 とはいえ、私は第二部を見る前に命を落としてしまったようで、その先の話は知らない。

 この漫画の中で、私──ブリトニーの立ち位置は、メリルの意地悪な姉の取り巻きだ。太った体をらして直接的にメリルをいじめく、いやな女たちの代表である。

 しかし、おろかなブリトニーは物語の半ばで姿を消す。メリルの姉は様々な悪事を働いており、りんごくの王子にそれがバレそうになった際、ブリトニーは全ての罪をかぶせられ切り捨てられるのだ。それが原因でブリトニーは十七歳にしてしよけい、伯爵家はぼつらくしてしまう。

(処刑なんて、笑えないんですけど……)

 当然だが、味方に切り捨てられた上で殺されるなどという道は歩みたくない。もちろんかいするつもりだし、その方法も考えている。

 悪役であるメリルの姉の取り巻きたちには共通点があるのだ。

 ──全員が、メリルの姉よりもきわってみにくいこと

 ──彼女のいい引き立て役になり得ること

 メリルの姉の容姿は、美形ばかりがそろう王家の中ではつうで、彼女は常にそのことを気にしていた。妹であるメリルにつらく当たるのも、「メリルの母が庶民で、その出自が気に入らない」という以外に、「下町育ちにもかかわらず自分よりも美しいから」という理由があったのだ。

 デブキャラのブリトニーは、メリルの姉の自尊心を満たすという点に、大いにこうけんしていたことだろう。だから……

「とりあえず、?せて処刑を回避しよう。メリルの姉の取り巻きにならなければ、きっとだいじよう……!」

 私は、社交界デビューするまでにダイエットし、体重を半分の四十キロにしようと決意した。

(たしか、前世の女子の平均体重がそれくらいだったんだよね)

 ちなみに、十二歳のブリトニーの身長は同年代の少女たちよりも低く、百四十センチ台半ばだ。社交界デビューするのは早くて数年後、メリルの姉が最初のとう会に出てくるのはもっと後。ゆうは、まだある。


 ところで、転生後の私には、両親がいない。前世の記憶の他に、私の中にはブリトニーとして生きてきた記憶も残っていた。

 ハークス伯爵家の当主だった父は、ブリトニーが幼いころに人妻とちして家を出て行き、その後の消息は不明。

 身分の高い家の出だった母はそんな父の行動に気分を害し、伯爵家とえんを切って実家にもどり、他の貴族とさいこんしてしまった。

 この少女漫画の世界のけつこんには、愛よりも実利が優先されるのだが、時代の流れなのか恋愛結婚も増えてきている。昔のヨーロッパ風の世界観と似てはいるものの、全く同じというわけではない。

 あくまでも、くうのファンタジー作品であり、主人公のメリルも最後は好きな相手と婚約した。

 今のハークス伯爵家を仕切っているのは、私の祖父──サルース・ハークスだ。

 人のい祖父は現在五十五歳、少々たよりないところがあり、よく金をだまられたり、他人に借金をたおされたり、高額な商品を売りつけられたりしていた。しっかり者だった祖母はすでに他界している。

 人としては、やさしくらしい祖父であるが、伯爵家の当主には向いていない。かれのおかげで、伯爵家の財政じようきようは大変苦しいのである。

 領地は辺境にあり山と海に囲まれた田舎いなかで、これといった特産品もないような場所。

 かつては、名馬の産地として有名だったが、ここ最近は大きないくさもなく馬のじゆようも減っている。港はあるが、岩場ばかりで海もれており交易には向かず、このままでは資金が増えることなどない。

 破棄されてしまったが──私の婚約は、もちろん政略的なものだった。

 ゆうふくな領地を治めている別の伯爵家によめりを果たし、資金面のえんじよをしてもらう予定だったのだ。

 ちなみに、ハークス伯爵家は将来従兄いとこぐ予定なので、あとりの心配はない。

 婚約破棄のおびとして祖父は結構な額のばいしようきん、そのもろもろを手に入れたのだが、私が嫁入りしていた方が後々のハークス伯爵家にとってはよかったと思う。断られてしまったものは仕方がないが……

 破棄された理由は想像がつく。婚約相手の伯爵子息が、ブリトニーの容姿を嫌がったのだろう。直接会ったことはないが、ブリトニーが性格の悪いデブだというのは有名な話だ。

 祖父経由で婚約破棄を伝えられた後、私は部屋にある大きな姿見でまじまじと自分を見た。ブリトニーの容姿は、私が男でも婚約破棄したくなるしゆうあくさである。

 なんせ、十二歳にして八十キロ超えの肥満令嬢だ。顔にるニキビも、見た目を悪化させるのに一役買っているし、デブゆえにたいしゆうもきつい。

 その上、祖父にあまやかされて育ったため、性格はわがままで頭は悪く世間知らず。趣味は食事と午後のお茶、新しいドレス選びなどの散財こう、使用人いじめ。

(本当に……ロクでもないお子様だよな)

 記憶が戻るまで、ブリトニーとして平然と生きてきた私は、激しい自己けんおちいった。

 しかし、やんでいるだけでは何も解決しない。全ては、もうおくれなのだから。

(とりあえず、ダイエットして処刑を回避しなければ)

 そして、使用人との関係も改善し、伯爵令嬢としての教養を身につけ、祖父の領地管理の手伝いができるようになれば将来も開けてくるだろう。気が遠くなるような難行だけれども……

 婚約破棄されたショックで旅に出るとか、開き直って新しい仕事を始めるなどという方法も考えた。しかし、残念ながら今の私にそのせんたくはできない。

 こんな世間知らずの肥満少女が旅などに出ても、すぐに路頭に迷うことは目に見えている。または、悪いやからに見つかって、ドナドナされてみのしろきんを取られるのがオチだ。

 おまけに前世でも社会に出たことのない私は、ひいでた技術などを持っていなかった。

 ブリトニーは、ごくごくへいぼんな……いやおそらく平凡以下の能力しか持ち得ない肥満児という絶望的な状況だった。それに、私には、伯爵令嬢としての役目を放り出し逃亡する度胸はない。貴族は、意外と責任が重いのである。

 だから、今回の回避策は「?せて、主人公メリルの姉に目をつけられないようにする」という地味なものになった。

(目指せ、体重四十キロ!)

 普通の伯爵令嬢として、第二の人生を普通に生きていく──それが、今の私の目標だ。


 翌日から、私のダイエットが始まった。

 まずは、伯爵家の専属コックのもとへと出向く。私と彼は、よく話をするあいだがらなのだ。

 理由は簡単。肥満児ブリトニーが、よく彼に新作の菓子をせびりに行ったり、料理の味付けに口出ししたりしに行くからである。

 他にも、料理の品数を増やすように指示したり、夜食や間食の追加を要求したり……

 普通は使用人経由で伝えればいいところを、このデブは自らコックのもとへ出向いて事細かに伝えるのである。コックもいいめいわくである。

 ブリトニーは、とにかく食べることが大好きな令嬢。ゆえに、食へのこだわりがはんないのだ。

(思い立ったら、行動は早い方がいいよね)

 私はさっそく、しきちゆうぼうへと向かう。まだ夕食の準備まで時間があるようで、れいに片付けられた厨房の中はおだやかな空気に包まれていた。もちろん、以前のブリトニーは、いそがしい時間帯でもお構いなしに現れては周囲を困らせていたのだけれど。

 男性のコックはこの場所の責任者で、彼の下に手伝いの使用人が数名付いて食事のたくをしている。

「──というわけで、今後は食事量を減らしてください。内容も、野菜などのヘルシーなものを中心に……間食と夜食は、今日からやめます」

 食欲おうせいなデブ令嬢からの意外すぎる言葉に、コックはいぶかしげな表情を浮かべた。

(まあ、普通はそうだろうな)

 だが、それも予想していた私は、用意していた理由を告げる。

「今回の婚約破棄が、こたえたのです……」

「そうでしたか……それにしても、おじようさま。口調まで変わられて」

「私は、今までの自分に別れを告げたいのです」

 単に、記憶が戻った際、ブリトニーの「~ですわ」、「~ですの」「~でしてよ」という口調にかんを覚えたからという理由だった。前世では、そんな言葉でしやべる人間はいない。

 それに、できる限り今までのブリトニーと別人を演じたいという気持ちもある。

 デブキャラのブリトニーは、今日から生まれ変わるのだ。


 コックへの相談を終えた後は、運動の時間だ。

 午後にひかえている家庭教師の授業も、きちんと受ける。以前のブリトニーは、授業をさぼりまくっていたけれど……

 ドレスをてて数少ない軽装にえ、に広い伯爵家の庭でランニングを始める。辺境にある伯爵家のしきは、広大だった。

 四季があるこの国で、今の季節は秋。運動するのにちょうどいい時期だ。

 赤く染まった落ち葉が風にい、小動物たちが冬の準備を始めている。私は庭にある遊歩道を一周しようと決めていた。長すぎず短すぎず、ちょうど良いきよで円形になっているので走りやすい。

(それにしても、体が重いな……)

 体重が重くなればなるほど、人の体は運動をきよぜつするようにできている。少しの動作でも、体にかかる負担が増えるからだ。

 デブのランニングをもくげきした仕事中の庭師が、こんわくがおで私をぎようし、通りすがりのメイドたちが、クスクスとしのわらいを漏らしている。

(ちょっと、見えているんだけど……?)

 だが、我儘で気難しくめんどうくさいお嬢様に声をかけることのできる人間は、その場にいなかった……いや、一人だけいた。

「そんなところで、何をやっているんだい? ブリトニー?」

 やわらかくて耳に心地ここちよい声が、風に乗って聞こえてくる。

 声のする方に目を向けると、同じ屋敷に住む従兄のリュゼが、遊歩道の向こうから手をっていた。



 リュゼは、私の父の姉──息子むすこであり、祖父の養子。つまり、次期ハークス家の当主になる人間だ。ブリトニーと同じ黒髪に、深い海を思わせる青色のひとみを持つが顔立ちは似ても似つかず美男子である。彼は数年前まで王都にある貴族学校に通っていたのだが、今は伯爵家に住み、領主になるための勉強をしていた。

 この国では、どうにもならない時のみ一時的なとして女性が当主になることもあるが、とくを継ぐのは主に男性である。

 私より五歳年上の彼は、ハークス伯爵家の人間にしてはまともでゆうしゆうな青年だ。正直言って祖父よりもしっかりしているし、き祖母に似て顔も良く性格も優しい。

 そして、実はブリトニーは、この従兄にれていた。「お兄様」と呼んでリュゼにまとわり付き、彼に言い寄る女性を常にけんせいしている。

 だが前世の記憶が戻った今、不思議なことに従兄を好きだという感情はうすれてしまっていた。

 前世の性格の方が、ブリトニーの意思にまさっているのだ。

「こんにちは、リュゼお兄様……私のことは、お構いなく。?せるためにダイエットしている最中なので」

 ゼエゼエと息を切らしながら、私は彼に答えた。

「ダイエット!?」

「はい。先日、婚約破棄されて気づいたのです。私は、?せなければならないと」

 しかし、遊歩道を一周しただけでたきのようなあせが流れている。このぶんだと、あと一周走っただけでバテそうだ。

(どれだけ運動不足なんだよ、ブリトニー!)

 私は心の中で、以前の自分に向かってさけんだ。そんな気持ちを知らないリュゼは、私に向かって優しく微笑ほほえむ。

「ダイエットだなんて。そんなことしなくても、ブリトニーは十分わいいのに」

「……それ、本気で言っています?」

「もちろんだよ」

 リュゼは青い瞳をきらめかせ、裏表のなさそうなみを浮かべ続けていた。

(従兄の本心が読めない。このフゥフゥとあらい息をく白豚が、可愛いだなんて)

 人の好いリュゼのこういうところは、少しやつかいだと思う。

 ちなみに、彼は例の少女漫画には登場していない。出ていたとしても、主要人物ではないはずだ。こんなに目立つ容姿なら、私は嫌でも覚えているだろう。

「お兄様、私のことは放っておいてください。だれがなんと言おうと、私は?せると決めたのです」

 処刑されたくないという理由ももちろんあるが、私自身がデブのままでは嫌なのだ。

 デブとは、たいしようちよう──周囲がどう思おうと、私はそう思っている。

 以前の私は、地味で目立たない女子大生だった。

 漫画とネット小説を読むのが好きで、近所の薬局でバイトをしているという、ごく普通のである。漫画などと同様に、ファッションや美容にも興味は持っていたのだが、地味顔で小心者だったため、それらをかして自らオシャレするということはなかった。せいぜい、家で趣味のせつ?けんしようひんづくり、一人メイクショーにいそしんでいたくらいである。

 将来はばくぜんと、美容関係の会社で働きたいなどと思っていたのだが、その前に交通事故にあって命を失いデブに生まれ変わった。悪夢である……

(だいたい、なんで転生先が白豚令嬢なの? 可愛らしい主人公やようえんな悪役令嬢ならともかく、こんなデブキャラに転生するなんて聞いたことがないんだけど)

 心の中でブツブツと文句を言いながら、私は再びランニングを続けようとした。

「それじゃあ、ぼくもブリトニーといつしよに走ろうかな?」

 私を観察していた従兄が、がおで思いがけない言葉を発する。

「ええっ!? ですが、お兄様は忙しいのでは……?」

「今日の仕事と勉強は、全て終わったんだ。もちろん、けんけいもね」

「……素晴らしいですね」

 やっぱり、リュゼは優秀すぎる従兄だった。

 フゥフゥと見苦しい状態でノロノロと走る私のとなりを、さつそうと駆け抜けるリュゼ。メイドたちが黄色いかんせいをあげ、庭師が微笑みながら彼を見ている。

(……私の時とは、えらいちがいだな)

 リュゼは、誰からも好かれる、理想の次期伯爵様なのだった。

「大丈夫? ブリトニー。顔が真っ赤だよ?」

「ご、ご心配なく。慣れない運動で、体が悲鳴をあげているだけですので」

「……それ、大丈夫なの?」

 リュゼは、心配そうな表情で、私の顔をのぞんできた。

 間近につやめいた青い瞳がせまり、私は少しおののく。彼に対してのれんじようは消えたものの、美形のアップは心臓に悪い。

「へ、平気です、ゼェ、ハァ……ゆうがないので、話しかけないでください」

 庭を一周半走ったところで、私はガクリとひざをついた。

「うう……もう、無理」

 ついに、両足がブリトニーのきよたいを支えられなくなってしまったのだ。

(ここまで走っただけでも、がんった……よね?)

 動けなくなった私は、リュゼにおんぶされて屋敷へ運ばれた。情けない、情けなさすぎる。そして、従兄は意外と力持ちだ。

 リュゼとランニングをし、ろうから回復した後、私はすぐに部屋に戻って服を着替えた。全身が汗でベタベタしている。

(リュゼお兄様は、すずしい顔をして、汗一つ流さずに走っていたのに……どうして私は全身が湿しめっているの?)

 汗を流してスッキリしたいところだが、この少女漫画の世界にはというものがない。熱いシャワーも、もちろん存在しない。

 風呂に入れるのは、一日一回。メイドがバスタブに湯をれ、それにかりながら体を洗う……いや、洗ってもらうのだ。伯爵令嬢でさえ、風呂は貴重。身分の低い人々の風呂事情は、してるべしである。

「ああ、汗臭い……体臭もきつい」

 せんさい乙女おとめである私のなやみはきない。

(これから午後の授業があるけれど、汗臭いままだし家庭教師に申し訳ないなぁ)

 正直、走っただけでここまで臭くなるとは思わなかったのだ。おそるべし、ブリトニーの体臭。

(リュゼは、よくこんな状態の私を運んでくれたな……)

 ドレスに着替え直した私は、メイドにかみを整えてもらい、勉強机の前にすわった。

 今日の授業は、歴史と?しゆうだ。勉強の苦手なブリトニーだったが、前世の記憶が戻ったことにより、歴史と刺?くらいならなんとかなりそうである。

 勉強嫌いのブリトニーの受ける授業は、歴史と刺?、マナーとダンス、詩と音楽……それくらいにしぼられている。

 しかし、出来の方はお察しだ。

 歴史の時間はひるの時間になり、刺?はガタガタ、最低限のマナーは身についているものの、ダンスでは教師の足を踏みつけ骨折させている。詩の才能はかいめつ的で、歌や楽器演奏は、もはや公害のレベルだった。

 最初は意欲に燃えていた教師じんも、ブリトニーのすさまじいダメさ加減を目の当たりにして、最近は少し投げやりになっている。

(もう少し早く記憶が戻っていれば……)

 こうかいするがもうおそい、今から真面目に勉強するしか道は残されていないのだ。真面目に勉強したところで、才能を必要とする詩や音楽が改善されるとも思えないが……


 歴史と刺?の授業を終えた私は、夕食を食べるためにダイニングへ向かった。

 長方形の部屋の中に、縦に長いテーブルがあり、その上には今日の食事のための皿が並べられている。かべやテーブルに設置されたしよくだいの明かりが、薄ぼんやりと部屋の中を照らしていた。

 伯爵家では、夕食は家族全員で食べるという決まりがある。家族といっても、祖父とリュゼと私の三人だけのこぢんまりとした食事だ。

 もちろん、周囲に使用人はいるが、彼らは壁と一体化して気配を殺している。

 私は、今日一日の自分の出来について考えながら食事を始めた。目の前に置かれているのは、カラフルな野菜の盛られたしそうなサラダだ。

 家庭教師による本日の授業は、おおむねうまくこなせたと言っていいだろう。

 初老の男性歴史教師は、私が変なものを食べたので眠れないのではないかと心配し、刺?の若い女性教師は、とつぜん上達した生徒のうでまえを見て、才能が開花したのだと喜んだ。

(それはさておき、まだ課題はあるんだよね)

 私は祖父に授業の追加をお願いするつもりだった。伯爵家の人間として必要な地理、経済、政治などについて最低限の勉強はしておきたい。

(これから先、社交の場でも話題に上るだろうし……はじはかきたくないもの)

 この白豚を呼んでくれるような場所があるかはわからないが、いざという時のために準備しておきたい。

 しよくたくに並べられた私専用の特別メニューを見た祖父とリュゼが、パチパチとまばたきをしている。まるで、目のさつかくが起きているとでもいう風に。

 今日の私の食事は、コックにたのんでおいた通りのヘルシー料理だ。野菜を中心に、油は控えめに、量は少なめに作られている。

 今までも、ブリトニーだけ特別メニューということは多かったが、たいていは高カロリーのこってりしたとくもりメニューだった。

「ブリトニーや、どうしたんだい。おなかの調子が悪いのかい?」

 急に食の細くなった孫を心配した祖父が、づかわしげな視線を向けてくる。

(違うのよ、そうじゃないのよ、お祖父様)

 私は、あわてて言い訳をする。

「ダイエットを始めただけで、いたって元気ですよ。太りすぎは体に良くないので、?せることにしました」

 婚約破棄うんぬんという説明は、祖父には言わない方がいいだろう。彼は可愛い孫がふられたことに、当人以上にショックを受けているのだ。

「でも、そんな食事じゃお腹がいてしまうよ。あとで、お菓子をたくさん用意してあげよう」

 サルース・ハークス伯爵は、とことん孫に甘いおちゃんであった。

(でも、今は、その優しさは逆効果。夜のお菓子なんて、言語道断……!)

 これ以上、体重を増加させるわけにはいかないのだ。

「お祖父様。お気持ちだけで十分です」

 祖父の好意を断るのは心苦しいが、仕方がない。私は、無心になっていもむしのごとく野菜を?ほおるのだった。

(別に野菜が好きというわけではないけれど、健康的なダイエットには欠かせないものね)

 そして夜、待ちに待った風呂の時間がやってくる。バスタブに浸かった私は、使用人にたるんだ巨体を洗ってもらった。ブリトニーの体積で外にあふれないよう、お湯は少なめに入れられている。

 記憶が戻った今、他人に洗ってもらう行為にじやつかんていこうはあるが、伯爵令嬢としてあきらめる他ないだろう。それにしても、面積の広いブリトニーの体を洗うのは大変そうだ。使用人が二人がかりで、必死に両手を動かしている。

(昼間かいた大量の汗は綺麗になったかな。もともとの体臭はどうにもならないけれど)

 しかし、ぜいたくを言ってはいけない。私は伯爵令嬢であるだけ、マシなのだから。

(今、私の体を洗ってくれている使用人たちは、冷たい水にらした布で体をくことしかできないものね)

 ハークス伯爵家で風呂に入れるのは、祖父とリュゼ、私だけなのである。

 風呂から上がった私は、きに着替えてベッドに横になった。たくさん運動したにもかかわらず、なかなか寝つけない。

「……お腹が空いた」

 デブの体は、さっそく食べ物を求め始めていた。予想はしていたが、ヘルシーメニューだけではブリトニーの体は満足しないらしい。

 いつも、夕食の後に夜食やお菓子を食べまくっている白豚令嬢が、あんな食事もどきで腹を満たせるわけがなく、ゴーゴーと大きなウシガエルの鳴き声に似た音が、腹の中から何度もひびいてくる。

「が、まんだ……」

 ここで食べ物を口にしてしまうと、今日のランニングやヘルシーメニューが無駄になってしまう。ブクブクと醜く太り続け、メリルの姉に目をつけられるわけにはいかない。

 目を閉じれば、のうに浮かぶのは甘いケーキやあぶらの乗ったジューシーなステーキ肉。

(うう、食べたい。でも、食べては!)

 私は、心を無にしてねむりにつくのだった。


 夜中、ひときわ大きなウシガエルの鳴き声で、私は目を覚ました。どうやら、この脂肪の乗った腹は、一晩中鳴り続ける気らしい。

「あ、あれ……?」

 ふと周囲を見回して違和感に気づく。私は見慣れない部屋に立っていた。

 薄暗いその場所には無数のだながあり、窓から入った月の光が、火の消えただんや綺麗にみがかれたなべを映し出す。

「ここ、私の部屋じゃなくて……厨房だ!」

 いつの間にか、私は部屋を抜け出して厨房まで移動していたようだ。そして、目の前に見える大きな扉は、食材の保存庫のものである。

(もしや、私はひとりでにここに来て、食料をあさろうとしていたの?)

 無意識に何かを食べてしまったのではないかと、慌てて手や口周りをかくにんする。

(手には何も持っていないし、口の周りには何もついていない。舌の上に食べ物の味も残っていない。セーフだよね……?)

 私は慌てて回れ右をし、そのまま部屋に直行した。

 おそるべし、夢遊病!

 おそるべし、デブの食へのしゆうねん


 翌日、私はさわやかな従兄の声に起こされた。

 醜いデブ令嬢とはいえ、ブリトニーも女性のはしくれだ。しん的なリュゼは、女性の部屋に入ってくるようなはせず、扉の外から声をかけている。

「ブリトニー、今日は授業のない日だろう? 少し出かけないかい?」

「はい、リュゼお兄様。すぐに支度します!」

 外出は運動するのにちょうど良く、引きこもり令嬢のブリトニーが遠出する貴重な機会である。記憶が戻ったことにより、私の中のブリトニーの感情は薄れてしまっている。今のブリトニーを構成しているのは、ほぼ過去の私の性格だ。

 もちろん、ブリトニーだった時の記憶は残っているし、ブリトニーの本能にあらがうことができず、夜中に厨房に辿たどくことはあるけれど。

「さて、準備かんりよう……」

 動きやすいドレスに着替えた私は、急ぎ足でリュゼのもとへ向かった。

「おや、どうしたんだい、ブリトニー。今日は、ずいぶん支度が早かったね。外出のさそいに乗ってくるのもめずらしい」

「……自分から誘っておいて、それはないでしょう、お兄様」

 けれど、今までのブリトニーの行動にもとづいた発言なので、彼を責めることはできない。

 引きこもりブリトニーは、外出が大嫌いなのだ。そして、外出する際には、半日ほどかけて支度をするのだ。どれだけかざっても太った外見は変えられないというのに、本当に今までの私は……鹿だった。

 祖父はともかく、リュゼがいまだに優しく接してくれることがなぞすぎる。

「今日は、近くの山の方に出かけようと思うんだけど」

 リュゼが爽やかな笑顔でこの日の計画を語った。

「まあ、それは楽しみです」

「それで、馬に乗って行こうと思うのだけれど」

「まあ、乗馬は不安です」

 というのも、ブリトニーが八十キロを超える肥満令嬢だからだ。

 この領地にいるだいたいの馬は、百四十キロまでの荷しか運ぶことができない。仮にリュゼの重さを七十キロだと想定すると、合計体重は百五十キロ。馬がつぶれてしまう……

 ブリトニーの体は制限が多い。ついでに、このデブは乗馬技術も持たないので、一人乗りなんて論外だった。

「心配いらない。僕の馬は外国生まれで力の強い品種だし、百八十キロの荷物だって運べるから二人で乗っても平気さ。それに大人しいしようだから、こわくないよ」

 言外に肥満児が乗っても大丈夫だと告げられ、私はあんする。

「本当ですね? 重い私が乗っても、馬は無事なのですね?」

 私がそう言うと、リュゼは意外そうな顔をした。

(ああ、そうだった。大事なことを失念していた)

 今までのブリトニーは、自分が太っていることを決して認めなかったのだ。デカいずうたいたなに上げて、周囲に「美人」と言わせることを強要していた。

 馬の心配なんて、もちろんしない。今だって、本来ならばリュゼの言外の意味に気づかなかっただろう。それくらい、私はどんだったのだ。

「いや、そういう意味じゃなくて……二人乗りをしても大丈夫だという意味で」

 リュゼが、慌てて従妹いとこのフォローをする。

「心配しなくても、普通の令嬢よりも太いという自覚はありますよ。馬が平気ならいいのです……出かけましょう」

「あ、ああ、そうだね」

 ハークス伯爵領の馬は、細くて足の速いものが多い。対する外国産の馬は、足は遅いがじようで重い荷物を運ぶことができる……らしい。

 二種類の馬を交配させたいと考えたリュゼが、友人から外国産馬をゆずってもらったのだとか。

 はっきりわからないのは、ブリトニーが領地の勉強をサボってきたせいだ。今までのおのれの所業が悔やまれる。

「ブリトニー、なんだかふんが変わったよね」

「そうですか?」

「うん。急にランニングなんて始めたし、夕食の量も内容もきよくたんに変わってしまった。大好きなお菓子も、全然食べていないみたいじゃないか。今日だって、すぐに外出の準備を終えてしまったよね」

「……ま、まあ。最近、健康に目覚めまして。運動がしたかったので」

「健康って……まだ、十二歳なのに」

「えっと、婚約破棄されたこともありますし、このままではいけないかなと思いまして。?せるために、体を動かしたかったのです」

 私は、むにゃむにゃと言葉をにごしながら足を進める。少女漫画のことをリュゼに話してもいよいよ頭がおかしくなったと思われるだけだ。

 従兄と一緒に庭を移動すると、黒くてたくましい大型の馬が、馬小屋のすみ?つながれていた。あれに乗るようだ。

「よいしょっ……と」

 リュゼが、私を持ち上げて馬に乗せる。

 なんと……! 彼は体重八十キロの私を軽々とげた!

 ランニング後に運ばれた時もそうだったが、この細い体のどこにこんな力があるのだろうと思ってしまう。

「リュゼお兄様は、力持ちですね。この私を持ち上げるなんて……」

「王都にいた時に体をきたえていたんだ。それに、ブリトニーはとっても軽いよ?」

?うそだ。いくら紳士的なリュゼお兄様でも、その言葉には無理がある)

 心の中でツッコミを入れつつ、私は久しぶりの乗馬を楽しんだ。馬に乗るのは、幼い頃以来だ。ぶくぶくと太りだしてからは、ずっと二人乗りなんてできなかった。

(今日は、お兄様に連れ出してもらえてよかったな)

 とはいえ、馬が潰れるのではないかとハラハラする気持ちはおさえられない。

「ブリトニー、馬が心配?」

「もちろんです。こんなに大人しくていい子を、骨折させたくありませんから」

 私たちが話している間も馬は歩き続け、短い草がそよぐ山のふもとで足を止めた。

 この場所は、町から少しはなれていて静かだ。草原には、ところどころ岩がむき出しになっている場所があり、その周りは赤土におおわれている。

 目の前にそびえる小さな山は火山らしいが、ここ数百年間はだいふんをすることはなく、小規模な火山活動すら起こっていない。とりあえず、安全だと思う。

 馬から私を抱き下ろしたリュゼは、こしは痛くないかと気遣ってくれた。

「問題ありません、楽しい乗馬でした。ありがとうございます、リュゼお兄様」

 きっと、ブリトニーのしりの脂肪が、しんどうかんしてくれたに違いない。乗馬中も、あまり痛みは感じなかった。

 馬から下りた私は、リュゼの隣に立って周囲を見回す。近くには小さな池が点在しており、馬は勝手に移動して水を飲んでいた。

「池がたくさんあるのですね……」

「そうだね。昔、山が噴火した後に水がまったんだろうね。といっても、飲める水は少ないけど……火山地帯だから、水の中に有害な成分が混ざっていることが多いんだ。でも、あの馬が水を飲んでいる池は、大丈夫なんだと思う」

「へえ、馬はかしこいですね」

 馬が水を飲んでいるとうめいな池の他に、せつかつしよくに濁った池がある。興味を持った私は、池のふちにしゃがみ、中に手をんでみた。

 池の中の水は、びた鉄のようなにおいもするけれど、適度に温かくて気持ちがいい。

「この色にかおり……まるで、温泉みたいです」

「おや、ブリトニーは、温泉を知っているのかい? そんなものに興味を示すなんて、珍しいね」

「……ええ。えっと、何かの書物で読んだような気がします」

 普通の令嬢──特にブリトニーのような引きこもり気味の令嬢は、天然の温泉など知らないだろう。私は適当にごまかした。

「君の言う通り、これは温泉だよ。ハークス伯爵領には、このような池がいくつもある。他の領地にも温泉があるけれど、こことは違って海辺にいているみたいだよ」

「リュゼお兄様は、物知りですね」

 ここの温泉は、池の中から湧き出しているようだった。小さな岩のすきから、コポコポと温かいあわが出ている。それを見ていた私は、ふといいことを思いついた。

「あの、ここの温泉水を街まで引いたりはできないでしょうか?」

「えっ……急に、どうしたの?」

「ええと、お風呂代わりに使えるのではないかと思いまして」

 リュゼはいつしゆん、「何を言っているんだ、このデブ」という目で私を見る。だが、彼の表情は、すぐに微笑みに変わった。

(仕方がないか……)

 おそらく、この世界では「温泉を引く」という発想がないのだ。

(だって、この領地には水路すらないのだから!)

 あの少女漫画にも、温泉びようしやは出ていなかった。この世界の風呂は、バスタブに沸かしたお湯を汲み入れるのみ。温泉の効能も知られていないし、わざわざ温泉に入るためにここまで通う人間もいないのだろう。

「ブリトニーは、変わったことを言うね。確かに、動物が温泉に浸かっている光景を見ることは多いけれど、風呂代わりにするとは」

「ええとですね……私たちのような貴族は別として、しよみんはお風呂に入れないじゃないですか。寒い冬でも、冷たい水に布をひたして体を拭くのみです。衛生的にも良くないと思いませんか?」

 ハークス伯爵領では、寒さの厳しい冬になるとやまいで亡くなる人間が多い。

 もっともな理由を述べるが、運動後の私がいつでもねなく入れる風呂がしいというのが本音だったりする。ついでに、町の人々の健康も守れれば一石二鳥だ。

 私は、リュゼに、町に公衆浴場を作れないかと提案した。たしか、昔々のヨーロッパでそんな浴場があったと思う。技術方面にうとい私には、そのしようさいまでわからないが……

「仮に、その浴場とやらを作っても、庶民がそこを風呂として利用する保証はない。彼らは僕らと違って風呂に入る習慣なんてないから、無用の長物になるのではないかな? それに、そういったせつを作るのにはお金がかかるけれど、うちはびんぼう領地だからね。今のところは難しいかな」

 王都でも、ハークス伯爵家周辺でも、自然に湧いている温泉に浸かる人はいるけれど、いつぱん的ではないらしい。

「……そうですね、ごもっともです」

 やはり、現実的に難しいらしく、私はシュンとかたを落とす。

 そんな私を見つめつつ、従兄が口を開いた。

「ところでさ、地下から温泉が出る場所があるんだけど……畑にくには温度が高いし、火山の成分が混じっているから誰も使わなくて、そのまま川へ垂れ流されている。ブリトニー、る?」

「……えっ、欲しいです! そこは、うちの土地なのですよね?」

「もちろん。屋敷の敷地内だからね。帰ったら、お祖父様に相談してみよう」

 リュゼは、やっぱり私に甘い。彼がどうしてこのデブに優しいのかは、漫画に登場していなかったので未だに謎だ。

「ブリトニー、温泉は引かないけれど、水路はいずれ整える予定だよ。僕も、この領地の衛生状態を良くしたいと思っているし、そのために王都で勉強してきたんだ……今は資金不足で手が出ないけれど」

「そうだったのですね、さすがリュゼお兄様です」

「……君、本当に別人みたいになったよね。以前は、部屋にこもってお菓子を食べているだけだったのに。領地のことなど考えもしなかったし、もっと……」

「もっと、なんでしょう?」

 私が続きをうながすと、従兄は目をらしつつ言葉を濁した。うん、悪口の類かも。

「とにかく、君が成長してくれたみたいで、僕はうれしく思う」

「ありがとうございます?」

「今の君なら、安心してお嫁に出せるね」

「えっと、嫁……ですか?」

 とうとつに嫁入りの話を出されて困惑した私は、まどいがちに従兄を見た。

「ああ、もちろん、数年後にという意味だよ? 君は、まだ十二歳だから」

「びっくりしました……なるべく、金持ちの家にとつげるように頑張りますね。今のままでは、婚約なんてできそうにないですが」

 そう答えつつ、私はリュゼにわくの目を向けた。さとい彼は、ブリトニーが自分に好意を向けていたことを知っているのだろうか……?

 知っていて、今の言葉を吐いているのなら、従兄に対する評価を改めなければならない。彼は、決して優しいだけのリュゼお兄様ではないと。

「僕も同意見で、ブリトニーの行きおくれを心配していたから、近々君を家から出す予定だったんだ。早く伯爵領を継ぎたいけれど、君が家を出ない限りお祖父様は君の立場を心配して僕に領主の座を明け渡してくれない。お祖父様は優しくて人間的に素晴らしい方だけれど、領地経営には向いていないと思う」

 リュゼは、青い瞳で私をじっと見つめながら話を続けた。

「婚約話とは別に、いい話もあるよ。王都でできた知り合いの妹が、話し相手をしゆうしていてね。僕はブリトニーをすいせんしようと思っていたんだ。手当だって出るし、君の成長にも?がるかと思って。そういう話ならと、お祖父様も賛成してくれていた」

「話し相手? 一体、どなたのですか?」

「この国の王女、アンジェラ様だよ」

 告げられた名前を聞いて、私は息を飲む。

(出たー! アンジェラ!)

 それは、『メリルと王宮の扉』に出てくる主人公の意地悪な姉の名前だった。

(なるほど、こうしてブリトニーは、メリルの姉、アンジェラの取り巻きになったのか)

 こんなに早くから取り巻きフラグが立っていたなんて、少女漫画の世界はおそろしい。

 私は、ガクガクと太い足をふるわせながら従兄にうつたえた。

「お兄様、私……王都へは行きたくありません! 家を出る必要があるのなら、他の方法で出たいと思います!」

「でも……」

「お願いします。王都へ行く以外なら、なんでもしますから!」

「ブリトニー……そんなに、王都へ行きたくないの? いい話だと思うけれど」

 顔を覗き込まれ、私はブンブンと短い首を縦に振る。命がかかっているのだ、ここで折れるわけにはいかない。

「嫌なのです! ですが……こちらからお断りするとなると、まずいでしょうか?」

「それは大丈夫。王女様の近くにはべりたい人間は、いくらでもいるから。今回も、まだしんされたに過ぎないし」

「そうなのですね。では、『ブリトニーは馬鹿すぎて、王女様のそばに仕えると失礼なことを仕出かしそうです』と、お伝えください。ああ、でも、私が城に行けば、多額のほうしゆうが出るのでしょうか? だとしたら……」

 この領地は、ただでさえ収入が少ない場所。しかも、経営下手な祖父のせいで、借金もかさんでいる。私が断ることで、本来なら得られるはずだったお金が、手に入らなくなってしまうかもしれない。

「ああ、それはないから心配しないで。報酬は君の手当だけだし、王女様といい感じに?がりが持てればなあと思っただけだから……」

「リュゼお兄様の損になることはないのですか?」

「ないない。王都でできた知り合いというのは、この国の王太子なんだ。僕は、もともと彼と仲良くさせてもらっているし、今は王女様まで手をばさなくても困らない」

「……でしたら、私は、王都へ行きません」

「そっか……そんなに嫌なら、とりあえず行かなくてもいいよ。でも、意外だなあ。君なら、喜んでこの家を出て行くかと思ったのに。王都なら、流行のドレスやお菓子がたくさんあるし、王女の取り巻きになれば、貴族令嬢の中でもっていられる」

「私は田舎に慣れているので、王都は落ち着かないと思います。できるだけ、早く家を出られるよう頑張りますから」

 私がこの地にいる限り、リュゼは領主になれない。祖父は、私の行く末を心配してくれており、だから王女の取り巻きになる件も喜んだだろう。

 リュゼは領地を継ぐために祖父の養子になっているが、彼の実の両親(私の父の姉とその夫)は少し欲深く、リュゼが伯爵になった後に得られる利益を当てにしている部分があった。彼らに私がないがしろにされるのではないかと、祖父は心配してくれている。

「今の君を見て、僕も少し考えが変わった」

「リュゼお兄様?」

 目を細めた従兄は、私をまっすぐ見つめた。間近に美しい顔が迫り、またもや落ち着かない気持ちになる。思わず目を逸らすと、彼の肩しに見える空が、薄い青から灰色へだんだん色を変えていくのが見えた。

「天気が悪くなってきたね。そろそろ、戻ろうか」

「は、はい……」

 私は来た時と同様に、リュゼに持ち上げられ、馬に揺られて帰路につく。

(馬よ、再びごめんね)

 私は、従兄が操縦する黒い馬に腰掛けながら、心の中であやまった。

 伯爵家へ戻る道すがら、リュゼは話を続ける。

「今回の王都行きの話は断るけれど、僕は早く領主になりたいと思っている。いつまでも、君が出て行くのを待てるわけではない」

「はい、そうですね」

 彼の言うことは、もっともだ。私がこの屋敷にいる限り、彼は伯爵になれないのだから。

「そこで、提案があるんだ」

「なんでしょうか?」

「あと三年で……ブリトニーが十五歳の誕生日を迎えるまでに、婚約者になれるような相手を見つけることができたなら、僕は君を王都に出さない。それまでは伯爵になるための勉強を続けながら、君の成長を見守るよ」

「十五歳までに、それができなければ……?」

「予定通り、アンジェラ様のもとか、他の上位貴族の話し相手として王都へ出向いてもらう」

 従兄が彼なりに私の身を案じてくれているのはわかるが、それは結構無理のある提案だった。

「お兄様、せめて、十七歳までというわけにはいきませんか?」

 無茶な条件を緩和すべく、従兄に期限を延長してほしいと訴えてみたが、彼は艶めいた表情をくもらせてしぶい顔をする。優しい表情をくずさないリュゼだが、ここで折れる気はないようだ。

「ブリトニー。僕は、なにも君に結婚しろと言っているわけではない。あくまで婚約者になりうる可能性を持つ相手を見つけることができれば……という条件に抑えている。悪い話ではないと思うよ」

 リュゼの言うように、本来なら悪い話ではないかもしれない。ブリトニーが、生まれながらに清らかな心を持つ美人令嬢であればの話だが。

(現実は厳しい……)

 この貧乏領地のデブ令嬢をめとってくれる相手なんて、よほどの物好きしかいない。

 そして、金とそれなりの身分を持ち、デブが好きというとくしゆせいへきを持った年頃の男子が身近に存在する可能性も、限りなく低い。

「その提案、お受けしなければならない……ですよね?」

「本当は、問答無用で君を王都に出す予定だった。でも、今の君なら、婚約できる可能性があるんじゃないかと思うんだ」

「リュゼお兄様。もし、私が提案に同意したものの、ダラダラと三年間伯爵家にすわって、その後もお祖父様を丸め込んで、出て行かないという行動に出たらどうするのです?」

「その時はその時だね。とても困るけれど、ブリトニーがその気なら僕にも考えがある」

「……じようだんです。お兄様、目が怖いです」

 私は、彼から顔を逸らしてため息をついた。

(やっぱり、リュゼお兄様は、ただ優しいだけの従兄ではない)

 どうしようもない従妹に優しくするのも、期間限定だと思えばえられるし、敷地内に湧く温泉を気まぐれで一度私にあたえたとしても、すぐに戻ってくる。

 リュゼの優しさは、きっと打算に基づくものだ。彼の本心はわからないけれど、言動から察するに、そんなところだと思う。

(はあ、地味に傷つくなあ……)

 私だって人の子なので、他人には打算抜きで優しくされたい。それが、血の?がった従兄ならなおさらだ。

 でも、今までのブリトニーの行動をかえりみれば、それは無理というものだろう。私がリュゼなら、とうに縁を切っているレベルだ。

「わかりました、三年間で婚約者を見つける努力をします。難しいとは思いますが……誰かに婚約を申し込んでもらえればいいのですよね?」

「うん、婚約成立までいかなくても、せめて打診くらいは欲しいね」

「打診……」

 仮に失敗したとしても、アンジェラの取り巻きにならないよう対策をしていれば、なんとかなるはずだ。?せたり、ニキビをなくしたり……ぜん多難だけれど。

 馬に乗っての近場ピクニックは、デブの体に堪えたらしい。ブリトニーの全身からは、またしても大量の汗がしていた。

(うわぁ。この状態のデブをかかえるリュゼには、ちょっと同情する)

 私でもわかる。今の自分の体が、とても汗臭いと。

 もともとの体臭も混ざって、ブリトニーの体はっぱいしゆうを放っていた。ドレスは汗で湿っているし、振動で体が上下するたびに脂肪がたるんたるんと揺れている。

 けれど、リュゼは文句一つ言わずに私を抱えてくれていた。

(……お兄様は、こういうところが紳士だな)

 私は、改めて従兄を尊敬する。彼は自分が伯爵になる上で従妹をじやに思っているだけで、私自身を嫌悪しているわけではないのかもしれない……

(いや、その想像は楽観的すぎるか)

 はかない希望はいだかずに、私は現実を直視することにした。


ブリトニーの体重、八十キロ

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