【14】 『大』にて
和也はいつもの峠とは別の峠に来ていた。
東京都と神奈川県の境にある峠は、昔から有名である。昼間は車どおりが非常に多く、とてもじゃないが楽しく走れるような道ではない。しかし夜ともなると、車の交通量は激減し、バイクの交通量が多くなる。夜の方が楽に楽しく走れることを皆知っているのである。
金曜日の深夜。和也は一通り走り終わった後、カーブ沿いにある大きなスペースにバイクを止めて目の前をかけるバイクの集団を眺めていた。
隣には別のバイク乗りたちがいる。チーム名の入ったTシャツを着ている彼らもよくここに来る常連組だ。そのうちの一人は下りの最初のコーナーで転んでしまい、シフトペダルを歪ませてしまったため、偶然現場にいた和也が車載工具を貸している。他のバイクを巻き込むこともなく、車体へのダメージもそのペダルだけのようなので大丈夫そうだ。
目の前のカーブでは、甲高い音を立てて、今となっては旧車ともいえるバイクたちが駆け抜けいてく。その中には見慣れたフレア柄のバイクも混ざっていた。相変わらず早いようで、前を走るバイクにピッタリと追走している。
「いやぁ、ほんとすみません」
転倒してしまったバイクの持ち主である男が和也に向かって言う。
「いえいえ、怪我無いだけよかったですよ」
タイヤが冷えている時にスピードを出してコーナーリングをすると、あまりにもあっさりと転倒してしまう。ハイグリップと呼ばれるタイヤに顕著な特性だが、今回の転倒もそれが原因だった。ただスピード自体はあまり出ないコーナーだったので、衝撃も少なく、この程度では車体や人体に対するダメージはないに等しい。
しかし、思った以上にシフトペダルが固いらしく、元の状態に戻らないようだ。
一生懸命に工具をガチャガチャやっているが、どうにもうまくいないらしい。和也も手を貸す。
シフトペダルがシフトロッドという棒の部分に干渉するような形で歪んでしまっている。適当な工具を使って元に戻すだけなのだが、なにせあまりにも固い。部品と部品の隙間に工具を突っ込んでいるが、力が入らないようだ。しゃがんでいる男のそばに自分も腰を下ろし、フレームに足をかけて、自分も手でペダルを引っ張る。
なんとなくだが、少しずつ戻っているのは感じる。
一休みのつもりで両手を地面につくと、仲間内の一人であろう男が申し訳なさそうに交代を申し出てきたので、それに甘えさせてもらう。
「ところでさぁ」
彼らのうちの一人が思いだしたかのように切り出す。
「この前の『D』でさぁ、変な車いたわ」
『D』とは和也がいつも行っている峠のことだ。名称はあるにはあるのだが、隠語で呼ばれる今いる峠と違って、道の略称として頭文字のDが使われる。
「普通に走ってたラインカットしてきて横付けしてきたわ。マジで焦った」
「煽りでもされてたんじゃね」
自分も最近になって遭遇し始めたのだが、同じ車だろうか。
「そいつってどんな感じの車でした?」
自分も心当たりがあるので、話に混ざってみる。
急に話に割り込んだにもかかわらず、彼らはたいして表情を変えなかった。工具を貸してくれた人だからという理由もあるだろうが、基本的に峠に集まる人種はオープンな人々が多い。嫌な顔せずに答えてくれる。
「セダンでしたねぇ。車種までは分からんですけど」
「そうですか。いつ頃見ました?」
「三日前くらいの深夜でしたねぇ」
「俺も似たようなのに煽られたんですよ。青いライトしていましたよ」
「そう!確かに青かったですよ!」
どうやら同じヤツらしい。自分以外にも似たようなことをやっているようだが、何が目的なのか。
「このご時世によくやるわ」
ケラケラと笑うが、内心ではあまりいい気分はしない。ただでさえDは事故の多い道なのだ。これが原因でバイクの絡む事故が起きたら、世間のバイクを見る目がより一層痛くなる。
「走り屋狩りとかだったらまずいですけど、まぁ一台だけだし大して速くもないし、そのうち消滅するでしょ」
これ以上、事が荒立てば出るとこ出るだろうが、今はとりあえず様子見でもいいと思った。ドライブレコーダーで録画でもしておけばいいのだが、そんなものをつけている深夜のバイク乗りは少ない。
目の前のバイクの隊列をぼーと見ていると、Uターン地点から折り返してきた一匹女狼が和也の前で止まり、一言
「来たよ来たよ!」
と言った。
和也が急いでヘルメットをかぶり、出発する準備を整え始めたのを見た彼女は一足先にその場から走り去っていく。
それとほぼ同時にクラクションを鳴らしながら後続のバイクが駆けていき、たむろっていたバイクたちもその場を後にする。
あれほどやかましかった峠に残ったのは、車一台だけだった。
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